浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

~記事へのコメントは歓迎です~

日本人の亭主

 

 

日本で

 

ある日、形勢逆転を狙い、レストランで食事をしながら

 

  「・・・ところで結婚する前に、言っておくことがあるけれど・・・」

 

と切り出した。私を見つめるオトメに

 

   「僕はフェミニストじゃないからね。亭主関白で行くよ。」

 

その刹那、

              「あはははは」

 

と笑い飛ばされた。彼女の超高速の反射神経は、先手をことごとく塞ぐ。その後も何度か聞かされることになった

 

        「だって、笑うしかないじゃない

 

というセリフは、この時が最初であった。

 

 

 

ゲストハウスにて

 

英国に渡り、キャンパス内のゲストハウスに住んでいた時、ハウスの住人にブラジルの一家がいた。

 

日系移民の多いブラジルでは、英語に直訳して「Japanese husband」という表現があるそうだ。いわゆる「亭主関白」を意味する。

 

本物の Japanese husband が隣人となり、当初ブラジルの奥さんは、興味津々だったが・・・

 

   「何だ・・・私達と全然変わらないじゃない」

 

とがっかりしたそうである。「どうして?」と尋ねると、

 

   「だって、タローは毎日、キッチンでお皿洗ってるじゃない・・・

    外からちゃんと見えてるわよ・・・」

 

 

 

自分でも、どうしてそうなってしまったのか、わからなかった。

 

 

 

Y教授宅にて

 

それから何年かして、Y教授宅のパーティに招かれた時のことである。私の他にも教室内の数人のメンバーが、夫婦同伴で招かれていた。楽しく談笑し、食後のコーヒータイムになった。この時、私とオトメはコーヒーではなく、紅茶を頂いた。

 

私は当時、紅茶には少量の砂糖を入れていた。一同は食卓からソファーに移り、そこに2人の紅茶のカップが運ばれた。オトメは私のカップに適量の砂糖を入れ、残りを自分のカップに入れた。彼女にとっても、それが適量である。そして、まず私のカップをスプーンで掻き回した。

 

ふと、奇妙な沈黙が流れていることに気が付いた。人々の視線がオトメの動作に注がれている。男性は皆、何となく鼻の下が伸びたような不思議な表情をしていた。女性の方は何となく、眉が・・・

 

 

突然、Y婦人の鋭い叫び声が、静寂を切り裂いた。

 

  「 オトー!! What are you doing !? 」

 

私たちが驚いて夫人の顔を見上げると、

 

  「タロー、あなたは、そんなことをオトメ

  にさせるの!? いつもさせてるの!? 

  なぜ自分でやらないの!?」

 

と恐ろしい剣幕である。突然のことに目をパチクリさせていると、

 

  「なぜ黙って見てるの!自分でやりなさい!

   オトはあなたの召使いじゃないのよ!!」

 

私は苦笑しながら、両手を広げて肩をすぼめた。余裕をかましたその態度が、火に油を注いだ。Y婦人は再びオトメの方を向き、

 

  「オト! 大体あなたが ・・・あ、まだやってる・・・ 

 

        オト、やめなさい!!

 

       タロー!! 早く自分で!! 

 

      ・・・!!    

 

 

Y夫人は、遂にはオトメの手を掴み、阻もうとした。が、すでに砂糖は完全に溶けている。私はカップをゆっくりと口に運んだ。

 

 

 

ティータイム

 

翌日の職場のティータイムに、パーティに同席した3人の男性が、ティーカップを持って私の隣に集まってきた。私に色々と聞きたがっている。

 

    「日本人の女性は、誰でもあんなふうに、するのか?」

 

    「誰でもと言う訳ではないと思うけど、まあ、外ではね・・・

     一種のパフォーマンスだよ。期待される女性を演じる・・・

                  家の中では、また違うよ」

 

    「中と外で違う? ふ~ん・・・

     で、君の奥さんは、家で君のことを何て呼んでいるんだ?

     やっぱりファースト・ネームで、タロー、と呼ぶのか?」

 

 

この質問は、それまで数えきれないほど多くの人からされてきた。

 

    「いや、それはやらない。タローさん、と「さん」を付ける。」

 

日本人が尊称に「さん」を付けることは、殆どの人が知っている。

 

    「ふ~ん、「タローさん」か・・・

     君も奥さんを呼ぶとき、「さん」を付けるのか?」

 

    「いや、僕から呼ぶときは、そのままファースト・ネームだ」

 

へえ、と彼等は顔を見合わせた。「タローさん」は実はあまりやらず、家では「あなた」と呼ばれることが多い、と付け加えた。すると納得顔で「アメリカ人の My darling  と同じだな」と言うので、またややこしいコメントが必要となる。「あなた」はyouの尊称であること、日本語にはyouの尊称に多くの段階があること・・・

 

「あなた」とは、どういう意味なのか、「うちの主人が・・・」などと言うときの主人とは、どういう意味なのか・・・

 

元々の意味はほとんど意識されていない、と、くどいほど強調しても、やはり無理に対応させようとすると、「Your Majesty」や「My Lord」など、とんでもない言葉が出てくる。彼等の口からため息が漏れた。

 

    「My Lord か・・・俺も、言われてみたいな・・・

     ・・・ パフォーマンスでもいいから ・・・」

 

 

 

蛇足:Japanese Wife

 

パフォーマンスの効果があるのは、日本国内だけではない。Y夫人がお気に召さない行動はあったが、オトメは日本の淑女として評判が高く、これは交流において私を大いに助けた。

 

英国以外の国では確認していないが、当時、最高の贅沢は

 

    「米国で給料を貰い、英国の家に住み、中国人のコックを雇い、

     日本人女性を妻とする」

 

と言われていたそうである。最近の日本食ブームで、中国人のコックは不要になったかもしれない。

 

無意味なことをする理由・させる理由(8)

前回からの続き 

  

 S君は私の研究室で大学院に進学し、博士号を取得するまで在籍した。

 

S君の困難

 

彼が学部の卒業論文で、数値計算を含む2つのテーマを3か月で終了させたことは前回話したとおりである。彼はそれまで、プログラミングはおろか、キーボードに触れたことすらなかった。私は彼の修士論文では、卒業研究の2番目のテーマを延長した。数学的な手法を中心に学ばせたが、博士論文では彼の適性を生かすため、大規模な数値計算を取り入れた。

 

そこで研究は大きな困難に突き当り、彼は苦渋の数年を送った。

数値計算には素人同然の私は、最初のうち困難の正体に気が付かず、S君がプログラムミスを犯していると考えていた。滑らかなグラフになるはずが、まったく飛び散った値を示し、異様な計算結果である。そのような場合には、苦しくても自分で間違いを探させ、修正させなければいけない。彼は悪戦苦闘し、後半の1年を無駄にした。すでに最終学年の半ばに差し掛かっていた。通常ならば、すでに投稿された論文が幾つかあり、博士論文の執筆にかかっている頃である。

 

精神的にかなり参っていたはずであるが、独立心の強い彼は、私に殆ど頼らない。私との接触は1回に15分程度でさっさと引き上げる。接触を避けているようにすら見えた。

 

1か月ほどS君と連絡が取れなくなった。学生の一人が、入院したので私に知らせて欲しい、とのメールを受け取ったと伝えて来た。そして研究室に現れた時は、顎に縫い合わせた大きな傷があった。夜中に車を運転していて、気が付いたら朝になっており、血だらけで野次馬に囲まれ、タンカで救急車に搬入されていたそうである。車は水辺で道路から飛び出し、半分沈んでいた。

 

私はこれ以上は放置できないと判断し、原因を究明するための補助計算を幾つか指示した。黒板を前に、私は行うべき計算を、かいつまんで説明した。これだけの説明では、普通はプログラムを書き始めることは難しい。しかし、彼はメモもとらずに聞き流しているように見える。そして「わかりました」と言って、15分で立ち去った。

 

こんな調子だからトラブるのだ・・・解らなくなって、またやってくるだろうから、その時に説教しよう・・・と思っていたが、彼は2時間後に結果を持ってきた。私が指示した計算はきちんと出来ている。私は次の指示を与えた。

 

これを何回か繰り返したが、指示は概略を説明するだけで十分であった。この1年間、彼なりに工夫し、色々なことを試みて力を付けていたようである。プログラム言語すら変えていた。

 

 

そして原因は突き止められた。プログラムのミスではなく、ギブス振動という、良く知られた現象が関係していた。これは当然の現象であるが、別の問題と絡んで予想外の形で表れていたため、大変複雑な数値的困難を引き起こしていた。これは学生が自分で発見するのは無理であろう。

 

私はこの時点で、S君の博士論文の提出が、少なくとも1年は遅れることを覚悟した。単純な三角関数の振動なら抑える方法は昔から色々あるが、今は特殊関数を用いており、かなり面倒な数学が必要である。腰を据えてかからなければならない。

 

勉強させる文献を用意するには、少し時間がかかる。私はとりあえず、特殊関数のある性質を利用した、簡単な対処方法をその場で思いつき、指示した。専門家なら笑い出すような子供だましである。そんな方法が通用するはずはないとは思っていたが、これを試みた結果は、今後の戦略を立てる上で役に立つ情報を多少は含んでいると考えた。また、今までのプログラムを修正するだけですぐ実行できるので、ダメ元で試してみても良い、と思ったのである。

 

すぐ実行できると言っても、2,3日はかかる・・・と思っていたら、彼は15分後に計算結果のグラフを持ってきた。この速さには驚いた。そしてさらに、その結果に驚いた。

 

 

決断 

 

ギブス振動は綺麗に取れ、滑らかなグラフである。そこで、厳密に解けるモデルに適用し、厳密解との比較をさせた。結果は驚異的な精度を示した。ここまでの精度であれば、当初の予定になかった物理量まで、様々な計算が可能である。私は多くの追加を指示した。

 

数週間のうちに、主要な計算は完了した。それまでS君が蓄えていたプログラムはすべて、少し手を加えるだけで使えたが、新たなターゲットも加わっての作業である。彼の計算力は、すでにプロフェッショナルであった。困難な時期を無駄には過ごしていなかった。

 

計算結果のグラフの山を目の前にして、論文の構想を話し合いながら、

 

    「今まで、良く投げ出さずに頑張りましたね・・・

     でも、もう少し私にまめに報告をしていれば、少なくとも

     一年前に、ここまで来ていたのではないですか?」

 

と言うと、「はい」と率直に頷いた。博士論文に相応しい研究成果が得られ、危機は去ったが、やはり残念ながら、1年遅れることになるであろう。博士論文を提出する資格として、英文の国際的な専門誌に投稿し、レフェリーの裁可を経て掲載された論文が必要である。すでに別のテーマで論文は出ていたが、規定の数に達するには、もう一編必要であった。日本物理学会のジャーナルで良いが、新しい方法には必ず疑いの目が向けられ、レフェリーの査読に時間がかかりそうである。ましてや子供だましである。不十分な状態で投稿すると、ますます裁可が難しい。

 

そのあたりの事情を話し、

 

    「今年の提出は難しいね。やってみても良いけれど・・・」

 

と言うと、

 

    「やってみます」

 

と即座に答えた。間に合わなくても、間に合わせるつもりでかかる方が良いであろう。私は前向きな姿勢を尊重した。

 

 

数値計算を積み重ねるにつれて、「ダメ元法」の驚異的な精度を支える数学的な背景が明らかになってきた。そのようなことは稀にある。インチキ臭いやり方が予想外に当たる。後からその理由が判ると、深さと一般性を備えた堂々たる正統派に変身し、適用範囲は大きく広がる。だから、何でもやってみなければいけない。

 

三角関数を使った場合には、余り御利益が無いことがわかった。昔から知られている素朴な方法のひとつに帰着する。しかし特殊関数を使うと、最適化が自動的かつ精密に実行できる。さらに計算が、2桁以上に高速である。

 

この定式化を完成させることは大きな意味がある。紙と鉛筆の計算が強い学生でないと難しいと思われたが、S君はすでに、その一部を試みていた。これは出来るところまで、一人でやらせよう。が、こちらはまだ、彼はプロフェッショナルではない。時間を要する仕事なので、とりあえず手持ちの材料で論文を書くように指示した。残りは博士論文が終わってからでも良い。ただし、投稿する論文は正統派のスタイルを前面に出し、「その場しのぎ」の印象を与えないこと、そして適用可能な範囲のすべてに言及し、一般論として別の論文を準備中である、と先鞭をつけておくように注意した。

 

 

 

日程との闘い

 

レフェリーの一人が難色を示している、と物理学会編集委員長から直々に電話があった。「博士論文に関係した論文であるので、速やかな査読をお願いしたい」と私は投稿の際にコメントを付けていたが、編集委員長の対応は、通常の手続きを省く異例のものであった。彼は「計算例が少なすぎる」とのレフェリーの見解を口頭で伝え、計算例の追加が可能なら、ファイル添付で改定版を自分に送ってくれればレフェリーに転送する、それで恐らく論文は受理されるであろう、と手を差し伸べてくれた。期限まで一週間を切っていたが、博士論文を提出する資格としては、掲載決定の通知があれば良い。論文受理のメールは前日に届き、間に合った。

 

博士論文は大学に提出される。これは申請時には間に合わせで良い。審査会が開かれる直前に差し替えることができる。しかし、実質的な本番は予備審査であり、これは長時間におよび、質疑応答も厳しい。予備審査までには審査員に渡す差し替え版が出来上がっている必要がある。何とかこれを間に合わせ、プレゼンの準備をした。通常は10回もリハーサルをするところであるが、1回半しかできなかった。審査員を選ぶのは指導教官の権限であるが、私はこのような場合には誰もが敬遠する、最も手厳しい若手の助教授をメンバーに加えた。S君は理論グループの最初の博士号申請者であり、この審査のレベルは、その後の基準の目安となる。私は、いい加減な審査で博士号を乱発するジャンクの大学院の方向には、向かわせたくなかった。

 

判定会議では、助教授氏が「素晴らしい」と繰り返し、誰も合格に異議を唱えなかった。

 

 

 

就職

 

博士号を手にしたものの、職の当てはない・・・

 

と思っていたが、突然、高名な先生から、S君はセミナーに招待された。

私と交流の全く無い先生ではなかったが、反応が余りにも早すぎる。私はこの先生が、投稿した論文のレフェリーの一人であったと直感した。今度は入念に下準備をさせ、リハーサルを行った。出発する日、万が一、職のオファーがあれば、どのような分野であっても決して断ってはいけない、と念を押した。言うまでもないことであろうが・・・

 

近隣の研究室からも多くの参加者があり、セミナーは学会のような雰囲気だったそうである。先生は終始厳しい態度で質問を浴びせ、プレゼンはボロボロになった。そしてセミナーが終了すると、「私の部屋に来なさい」と言われた。隣に座っていた中堅の年齢の先生が一緒に立ち上がり、同伴した。

 

研究室に入り、ソファーを示されて腰を掛けるや否や、

 

   「君は働く気はあるかね?」

 

と尋ねられた。「あります」と答えると、先生は

 

   「では、どちらかを選びなさい」

 

と言って、研究機関の名前を2つ挙げた。どちらも日本を代表する一流の研究所である。一方は名門大学に付設され、もう一方は独立の研究機関であった。S君は「どちらでも結構です」と答えると、先生は大学に付設している方を勧め、

 

   「こちらの先生が来月、教授として赴任されるので、協力して

    仕事をしなさい」

 

と言い渡した。

 

先生は研究内容より、蓄えられた彼の力量を見抜き、評価したのであろう。知らせを聞いて、私は大いに慌てた。先生に「ドクター終了まで田舎で過ごした学生であり、環境的に不十分であったが、伸びしろは十分にあるので、長い目で見てやって欲しい」と丁重なメールを送った。

 

 

S君はそこで数年間を研究員として過ごした。関連性はあるが異なる分野であったので、私は心配したが、彼には大きな強味があった。十分に理解していなくても、とりあえずターゲットが分れば、仕事を始められるのである。これは、十分に理解しないと足が前に出ない私とは全く異なる。得てしてこのタイプは、理解せずに数値計算だけを進めるため、とんでもないことをやって沈没するが、彼は不思議と、最後には理解が追いつき、帳尻が合う。そして彼が仕上げたダメ元法の拡張版は、異なる分野でも威力を発揮し、適切な指導者を上司として、共同研究は多くのヒットを生み出した。これらの一連の応用は、この方法をメジャーな手法の一つに育て上げた。この研究所は、世界最速を目指した科学計算用スーパーコンピュータのプロジェクトに関わっていたが、S君は立ち上げメンバーの一人となり、これを基幹プログラムの一つに加えた。

 

 

S君は、女神が微笑んだ人である。日の当たらない冬の寒い日々には、下に向かって根を伸ばしていた。事故に遭ったが天使が救い、命を落とさなかった。そして時間が無い状況でも、退かずに前に出たことが、次のステップに繋がった。この時の決断がS君の人生を決めた。時間に余裕が無かったことが、むしろ幸いしたかもしれない。余裕があれば、見込みの薄い方法は試さなかったであろう。

 

幸運に出会うことができるのは、困難を回避せず、問題解決のために意味のある行動をとる人である。当然ながら、問題を回避しようとすれば、問題を解決するチャンスには出会えない。

 

S君は現在、かつて提示された「もう一方」の研究所に移って研究分野を広げ、順調にキャリアを積んでいる。

 

 

 (完)

無意味なことをする理由・させる理由(7)

 前回から続く

  

ある年、私は2人の学生の卒業研究を指導した。一人は成績が第一位のK君であった。K君は初年時の私の授業を満点で通過しており、大変真面目な学生であった。もう一人の学生は、別の記事に登場したS君である。

 

 

対照的な2人のレポート  

 

3年生になった時、2人は添削指導を行っていた私の選択科目を履修した。私は2年次の授業を担当していなかったので、久しぶりの対面であったが、K君のことは良く覚えていた。S君については、1年次の記憶が全く無く、初対面の印象であった。

 

2人のレポートは対照的であった。K君のレポートは真面目に書かれているが、記述が長く、私は必要な事項だけを簡潔に書くように毎回のように指導し、添削にやや苦労した。一方、S君のレポートは非常に短く、ほとんど「ぶっきら棒」と言えた。説明不足を注意するか迷うところであったが、最低限のことは書いてあるので、結局、私はS君のレポートはそのまま返却することが多かった。考えてみると十分良いレポートであったが、賛辞や励ましの言葉も添えなかった。いずれにしろ、2人とも最後まで履修を続けて全問を解答し、良い学生と言えたので、私は彼等を研究室に迎えて喜んだ。

 

 

2人が4年生になったこの年、私は他大学の知り合いの先生を、集中講義に招いた。選択科目の単位がまだ不足していたS君は、これを履修した。K君は単位数は十分に足りていたが、私の勧めにしたがって、彼もこの集中講義を履修した。

 

先生はレポート課題を課し、最終日に提出させて単位を認定した。かなりの数の学生が最高評価のAを与えられていたが、先生はとくにK君だけ、「A」の文字の上に小さく丸印を付し、「浦島先生の研究室には素晴らしい学生がいますね」と喜んでおられた。

 

S君の評価は、合格ラインぎりぎりのCであった。私は気になって2人のレポートを調べた。K君のレポートは20頁にも及んでおり、示された課題の解答以外にも、自分が勉強した内容を詳細に書き連ねていた。S君のレポートは2枚弱で、相変わらずぶっきら棒であったが、それ以上に大きな問題があった。式変形のあちこちに大きな飛躍があるかと思えば、書く必要がない自明な変形が示されている。これは他人のレポートを写した場合に見られる典型的なパターンである。バレないように部分的に抜粋し、短くなりすぎないように、下書きの計算用紙を貰い、見繕って埋める。これで、異なった導き方のように見せる。採点に時間をかけない教員は気が付かない・・・と思っている。

 

もちろん、S君がそのようなことをする学生ではないことは、良く知っている。私は彼を呼び出し、事情を聞いた。事情は聞くまでもなく解っていたが、呼び出したのは、添削指導の際に与えなかった注意を与える良い機会と思ったのである。彼は計算用紙に乱雑な字で手早く計算し、全部を清書するのは面倒なので、何行かをランダムに抜粋し、提出していた。そして説明の言葉など入れない。

 

わざわざ来て頂いた先生に提出するのであるから、相手が分かるようにしっかり書くのは礼儀である。これを最初に注意すれば良かったが、その前に私は

 

  「こんな書き方をすれば、他人のレポートを写したと誤解されてしまう

   ではないですか。K君はAの上にマルまで貰っているのに、君は正当

   に評価されず、いつも損をする人生になってしまいますよ」

 

と彼の側に立って諭した。だが彼は、

 

  「別に単位を貰えなかったわけではないので、いいです」

  

と、そっけない。そこまで自己責任でやっているなら、もはや何も言うことは無い。私は少々あきれたが、それ以上の説教はしなかった。私は日頃、学生には「レポートに無意味なことは書かないように。自分が理解したかどうかだけに拘りなさい。君たちは、生涯成績表をぶら下げて生きる訳ではない」と注意していた。S君はそれを忠実に守っていたことになる。無意味なことをしないという点では、私より徹底していた。私の注意を守ったというより、元からの性格であろう。

 

 

K君の長大なレポート

 

正直なところ、私はK君のレポートに高い評価を与えた集中講義の先生の採点に、やや苛立ちを覚えていた。彼のレポートの長さはS君の10数倍にも及び、しかも設問に無関係な内容が殆どである。そして結局、設問にはきちんと答えていなかった。

 

K君は成績が第一位であったので、卒業研究を行う研究室を自由に選べる立場にあった。実は後で知ったことであるが、実験系の教官の多くは、彼が私の研究室を選んだことで、胸をなでおろしていた。逆にすべての実験家は、成績が「中の上」であったS君を欲し、彼が私の研究室を選んだことを悔しがっていた。

 

実験系の教官は、学生実験で日頃から学生を良く観察しており、彼らの特徴を知っている。そしてK君のレポートは毎週、教官を悩ませていた。ある若手の教官は、K君に向かって

 

  「君は蛇足という言葉を知っているか? 余分に足を描いただけ

   ならまだ良い。君はレポートに、足しか描いておらんぞ!」

 

と叱りつけたそうである。

 

しかし、毎回のレポートが余りにも膨大であるため、彼の努力を認めない訳にはいかなかった。実験の授業に限らず、多くの教官が、結局は彼に良い評価を与えていたのである。

 

課題が自分にとって難しいと判断すると、書籍を写す、あるいはネットで検索した内容をそのまま書く、という行為は、かなりの学生が行う。他人のレポートを写しているのではないので、規則上の不正行為ではないが、私は無意味な行為と断じ、レポートの添削指導では、これを厳しく禁じていた。

 

私の知る限り、K君にはそのような行為は一度も無かった。他の教官の授業でも、同様であったに違いない。しかし、「関係のあるなしに関わらず膨大な量を書く」という、代替行為を編み出していた。「別の事であっても勉強は意味がある」という主張もあろうが、目的に達しないという点では、これも無意味な行為の一種である。誰かが読まなければならないので、他人にも無意味な行為をさせることになる。

 

  

K君の困難

 

K君は、それがすっかり習慣となっていた。解らないこと、出来ない事に出会うと、条件反射的に、違うことで代替しようとする。私の添削指導では、やかましく注意していたので、そこまで私の目に見えていなかった。このときはまだ、意志を持って習慣を抑えることができたのであろう。レポートの長さはS君の3倍程度であり、私はそれを1.5倍程度まで縮めるように指導して、再提出させていた。

 

しかし卒業研究では、心理的な壁が高くなり、意志を持って習慣を抑えることが難しくなった。ゼミナールにおいて、与えられた文献が難しいと、別のことを勉強して、それを話そうとする。癖になっているので、自分の知識と能力で十分に対応できることでも尻込みし、試みる前から代替の仕事を探そうとする。これをやめさせ、必要なことに集中させるのは、容易ではなかった。

 

卒業研究は、目的に沿って結果を出さなければならない。最後にはコンピュータにかけて数値を出すのである。別のことでは代替出来ない(私は学生の将来を考えて、必ずプログラミングを要するテーマを与えていた)。

 

とうとう最悪の事態となった。数値計算とは、何かをインプットし、アウトプットを得る作業であるが、彼はインプットを「代替品」で間に合わせようとした。それを得るために調べる文献を与え、読むべき範囲を指定したが、「必要な情報が書かれていない」と主張したそのページは、一度も開いていなかった。

 

結局、すでに計算を終えていたS君の結果を使わせて貰い、K君は研究発表だけを行った。同じテーマを2人で分担させ、それぞれの受け持ちを発表させる予定であったが、それができなくなった。S君には直前の1か月で、全く別のテーマで個人指導を行い、数値計算まで終えさせ、それを発表させた。S君は余裕でこれをこなし、別のテーマが勉強できたので、却って喜んでいた。

 

 

先生、それは違います!

 

K君の困難は保護者も知るところとなり、私は父親の来訪を受けて、今後について、本人をまじえて話し合った。記録上の成績は別として、理論研究を行うだけの基礎学力が形成されていないことは、本人も分かっている。理論的なテーマでの指導は難しいと判断された。話によると、彼の習慣は中学生時代に始まったそうである。小学校時代から成績は思わしくなかったが、ある時、提出物を熱心に書けば高い評価が与えられることに気が付き、その方向に走り始めた。それが成功体験となって高校時代もそれを続けた。そして平常評価を上げて推薦で大学に入学し、これがさらに成功体験となった。

 

もとより真面目な学生である。彼も自分の問題点を自覚し、大学院では実験系の研究室に移り、地道に努力したいと述べ、父親もこれに同意した(彼は学部の成績により大学院への推薦入学が決まっていた)。

 

私は指導教官を探す約束をして、今後の心得として、すでに何度か与えていた注意を、最後にもう一度繰り返した。論文であれ職場の報告書であれ、また研究室での日常の報告であれ、すべてはレポートと同じである。私の添削指導を思い出しなさい、情報量が同じであれば短い方が良い、などと話し、無関係な記述は社会では負の評価にしかならない、と結んだ。

 

思わず出た言葉であろうか、そのとき父親が、

 

  「先生、それは違います! 無関係な事でも書いておけば、それは社会

   でも、一定の評価の対象になります!」

 

口を挟んだ。名刺によると、彼は地方の原子力施設の所長という肩書であった。耳を疑った。

 

今まで話して来たことを、どう考えていたのか?

中学生時代に始まったという習慣は、恐らく親の指導によるものであろう。

これほどの事態を招きながら、まだ続けさせるつもりなのか?

彼は職場でも、部下をそのように評価しているのであろうか?

 

 

 

評価する者の責務

 

評価されることを望み、努力することは、決して悪くない。それは、一般には自分を向上させる。しかし、間違った評価の基準が存在すると、意味の無い方向に導き、向上の機会を奪うことがある。実際に大学でも、K君に第一位の成績を与えていた。それが彼の判断を狂わせて来たと言える。正しい評価基準を示すことは、正しい努力目標を示すことであり、教育機関の第一義的な責務の一つである。 

 

K君を受け入れる教官を見つけるのに、やや苦労した。私は多くの若手教官から、理論研究室で引き受けたこと自体が、最初から無謀である、と批判された。「日頃から君たちの成績評価がでたらめだから、こういうことが起こるのだ」と反論したかったが、同じ穴の狢では、反論する資格が無い。私のすべての担当教科でも、彼の評価は第一位である。私はベストを尽くしたつもりでいたが、やはりどこかで間違ったのであろうか。 

 

しかしK君は、在学中に自分の判断の間違いに気付き、人生を軌道修正することができた。判断を誤らなければ、資質の良い面が生かされる。私の授業では精一杯を尽くしてきたのであろう。やれば必ずできる人であった。その後、廊下ですれ違う機会は何度もあったが、元気に挨拶を交わした。彼は順調に修士課程の研究を終え、無事卒業した。

 

 

なおS君であるが、彼は私の指導を受けて博士課程後期まで進み、博士号を取得して、その後研究者として立派なキャリアを積んでいる。彼もまた、資質の良い面が最大限に発揮されている。卒業論文で急遽与えたテーマが、彼の博士論文に繋がった。だがこのため、彼は在学中に、全く別の困難に遭遇することとなった。これについては、このシリーズの最後として、次回にお話ししよう。

 

 

(続く)

無意味なことをする理由・させる理由(6)

 

 前回から続く

 

 

「無意味なこと」というタイトルでシリーズを書いてきたが、この言葉を目に(または耳に)したとき、「学校の勉強」を思い浮かべる人が、かなり多いのではないだろうか? 

 

私は小学生時代、真面目に勉強した記憶が無い。むしろ、なるべくやらずに済ませようとしてきた。授業中は常に空想に耽り、自分にとって無意味な時間を、少しでも減らしたかった。どこかの大学で無理やり授業に出席させられている学生と良く似ている。

 

    学校が自分にさせていることに、意味があるのか? 

 

という疑問は、日に何度も頭を過った。加減乗除の計算などを繰り返しやらされたときは、大人になって、こんな仕事で毎日を送るなら、死んだ方がましだと思った。物理学を志さなければ、この思いはさらに捻くれてエスカレートしたに違いない。

  

    学問など、役に立たないのは明らかではないか。

    仕事を得るために卒業証書が必要だから、仕方なく進学する。

    そのために、仕方なく勉強する。 

    やる気が無い者はやめればよい、と言うが、やる気とは何だ? 

    自己欺瞞そのものではないか?

                 

 

    世の中には、無意味なことをさせる権力を持った人間が大勢いる。

    学校の教師、役所の人間、会社の上司・・・

    神様に貰った大切な時間が無意味に使われることを防ぐのは、

    基本的人権である。役に立たないことを人にやらせて利益を得る

    者がいるから、このような世の中がいつまでも続くのだ。

                 

 

 

面白さと難しさの比例関係

 

物理学の世界に入ってから、子供時代に私と同様だった人々が、研究者にかなり多いことを知った。学生にも、何人かの同類項を見出した(「回り道をした人々」など)。

 

余り知られていないが、理系を好む者の殆どは、単調な作業を嫌う。簡単にできるが長く単調な作業と、困難ではあるが決して単調ではない仕事があれば、前者を選ぶ者はいない。

 

理系に限らないが、面白さと難しさは正比例する。

単純なゲームはすぐに飽きるが、将棋は奥が深く、ファンが多い。多くの人が参加するのでレベルが上がり、人間の能力の限界を競う競技になる。面白いものは努力を要し、面白さと辛さは表裏一体である。

 

一般に、仕事を簡単な方向に変えて行こうとすると、仕事は次第に単調で魅力がないものに変化する。ある段階になると、やる意味も失われる。逆に、仕事を面白くしようと心がけていくと、仕事の価値は増し、そして難しくなる。

面白さ、価値、難しさの3者は、互に比例関係にある。

 

 

 

困難なものを何とか簡単な方向に持ち込もう、と発想することは、多くの場合、理系人にとって不幸の始まりである。代替できる作業は、たとえ見つかっても、最も嫌っていた種類の作業となる(真に独創的な新しいやり方なら話は別であるが)。

 

試験の丸暗記対策や書籍の丸写しレポートなど、自ら行ってしまう作業は自己責任であるが、誰かがそのように設え、強制している場合も多い。極端なケースは、幼児に微積分を教えるような教育法である。発案者は教育関係者ということであるが、理解させるという困難な作業を、思考を停止させた記号操作という、単純作業で置き換えれば良いと考えたのであろう。

 

これは民間療法であるが、学校の数学教育や語学教育、理科教育は、かなりの程度まで、それに近い。かくして、理系的人間は、理系科目を嫌うようになる。そして不幸なことに、彼等が興味を持てる内容は、もはや学校教育には余り残っていない。

 

 

(続く)

 

無意味なことをする理由・させる理由(5)

 

 

 

前回から続く 

 

 

 

既得権益を保護するための仕事

 

 

かつては意味があったが、現代ではほぼ無意味になっている・・・それが分かっていても、制度上なお存在し続けている・・・という仕事は、かなりあるように思う。 

 

これは個人の価値観や習慣でやってしまうことではないので、これまで述べてきた例とは異なる。

 

無意味になった仕事が存在し続ける裏には、多くの場合、それによって収入を得ている人々が存在する。

 

 

署名に加えて捺印させる、というのは、一つの典型例かもしれない。ハンコを廃止すれば、仕事を失う人々は結構いる。

 

中高生の学生服は、一向に廃止にならない。生徒は毎年入学するので、これに関わる仕事の儲けは大きいであろう。学生服には意味がある、と主張する人が依然としているようであるが、私には全く理解できない。

 

日本の車検制度は、外国人の間で、いたって評判が悪い。殆どの車がポンコツの状態で走っていた1960年代までは、交通安全のために意味のある制度であったかもしれないが、安全に直結しない自己責任に属する点検項目まで多く含まれ、世界で最も故障の少ない車を生産する国となってからは、どこも悪くない車をいじくりまわし、手数料をとる制度となった。 

 

 第3回の記事で、「無意味な慣行は悪用される」と書いたが、車検の際に不要な部品交換を付け加えられた人は多いであろう。ハンコ制度に関しては、実印を偽造する犯罪なども誘発しているかもしれない。

 

 

 

既得権益を尊重する日本の社会では、このような仕事を排除することが難しい。実際には、無用な仕事を排除しないため、社会の新しい発展に対応したビジネスに労働力が流れず、利益の少ない仕事に固執する社会になっているように見えるが・・・ 

 

既得権益の受益者には、国や自治体も含まれる。

 

実印の登録は有料である。

パスポートの書き換えにもお金が取られる。

運転免許の更新にも・・・

国際免許証の発行にも・・・

・・・にも・・・

 

 

行政サービスには、すでに税金を払っているではないか。

これらの制度は、多くの国々では存在しないか、もしくは無料である。

これらは「隠れた税金」と呼ばれるそうである。ヨーロッパの殆どの国々に比べて、日本は税金が安いと言われるが、隠れた税金を合わせると、そうではない、と言う。

 

ちなみに、これに便乗して、民間も真似をする。

金融機関は送金をするのに高額の手数料をとる。外国の人は、これが最も腹が立つようだ。短期間でもその金は一時的に金融機関に保有され、投資に回されて利益を上げている。一定以上の金額であれば、粗品のサービスくらいあっても良いはずだが、逆に「手数料」をとる。「信じられないことをする国だ」と何人もから苦情を聞いた。

私は社会の経済的な仕組みは殆ど理解できていないが、彼らによると、政府が過保護な政策をとっているため、運用で利益を上げる銀行本来の能力が貧弱で、手数料に頼って生きる体質になっている、ということである。

 

 

 

抵抗勢力

 

組織が習慣的に不要な仕事を抱えている場合は、非常に厄介である。私が直接関わった話として、大学で体育の授業は必要か? という議論が持ち上がったことがあった。

 

実はこの議論は、昔から密かに何度も繰り返されてきた。新制大学における体育の授業は、終戦直後の発足時からであるが、これは帝国大学も、また(大学に昇格した)旧制高校も、多くの軍事教練の教官を抱えていたからである。

 

 

当然ながら、当事者の教官を交えて公に議論することは難しい。が、教養教育の改革の機運が盛り上がった20年ほど前に、この議論が本格化したことがあった。これは全国的な動きである。私が奉職していた大学では、このとき、理学部の教官と教育学部の体育系の教官の討論会が開かれた。

 

  廃止しろとは言っていない。実技を必修単位の指定から外したいだけである。

  必修単位の総数に上限があるので、他の重要科目を必修に出来なくなっている。

 

と理学部側は趣旨を説明したが、これに応ずるはずは無い。必修の指定を外した途端、履修者がゼロになることは目に見えている。それは事実上、廃止と変わらない。

 

  現在の授業形態はやめて、教官が履修者に合わせたトレーニングメニュー

  を作り、指導すれば、喜んで履修する者はかなり居るのではないか?

 

  それを喜ぶ教官はいない。我々は大学教授である。フィットネスクラブの

  従業員ではない。常に体操服を着用し、体育館に勤務する気はない。

 

理学系の教官は、仕事場とはそのようなものであると主張した。理系の教官は、日々作業服を着て、実験やフィールドワークに汗を流している。

 

だが、仮にその方向で進めた場合、将来はどうなるのかを、体育系の教官は正確に予想している。定年退職者が一人出るたびに、非常勤の職員に替えられる。授業科目はやがて廃止され、大学がスポーツ教室を経営し、収入を得るようになるのである。諸外国の例を見れば、それは明らかである。ちなみに、これは語学の教員にもあてはまる。

 

話は体育実技にとどまらず、保健体育の授業にも及んだ。

 

  保健体育は重要である。エイズのような、新しい問題もあり、授業で教える

  べきことは多い。

 

  エイズに有効な方法は避妊具を使うことだけだ。テレビの番組で誰で

  も知っている。それ以上は必要ない。 

 

  揚げ足を取るのはやめて欲しい。健康管理の知識全般について言っているのだ。 

  これは、生涯にわたって役に立つ、重要な教養ではないか。

  

煙草を吸いながらこの発言をしていた保健体育の教官に対して、生物学の女性教官が、控えめに発言した。

  

  煙草が健康に悪いことは誰でも知っている。それにもかかわらず、

  人々は、そのような健康を害する行為を、自ら行う権利を有する。

  健康管理は個人の問題であって、おせっかいは必要ない。

 

 

この言葉どおりではない。女性らしい見事な言葉使いであった(残念ながら思い出せない)。顔色を失った保健体育氏は、あわてて煙草をもみ消し、沈黙した。

 

閉会後、彼女は理学部の教官から喝采を浴びた。彼女は教授会の席でも時折に発言をしたが、その言葉の破壊力と切れ味は、オトメに匹敵するものがあった。

 

 

 

しかし結局のところ、変革は難しい。私はその後、全学の教養教育改革委員を務め、そのとき、この問題は最大の山場を迎えたが、長い議論にもかかわらず、体育の必修指定は維持され、大学はそのために人件費の支出を続けている。これについては別の機会に書くかもしれないが、あまり話を続けると、

 

  そもそも、日本にこれほど多くの大学や教員が必要か?

  なかんずく、社会で役に立たない理論物理は・・・

 

などとなりそうなので、ここではやめておこう。

 

 

ちなみに、現在ではキャンパス内の喫煙は、数か所の小さな喫煙所を除き、厳しく禁じられている。教官は、自分の居室においてすら喫煙を許されない。

 

 

 

 「今しなければならないこと」を見極める勇気

 

「した方が良い」ことは限りなく存在する。さらに、「しない方が良い」ことや、「してはならない」ことまでも、必要性を主張する理屈は、いくらでも捻り出せる。

 

この中から、本当の意味で「しなければならない」ことを見分けることは難しい。逆に、これらを「しない方が良い」と決めつけることも簡単である。例えば、「金がかかりすぎる」と言えば、反論は難しい。

 

このような場合、「費用対効果」という言葉が良く使われる。費用を見積もるのは簡単である。そして、重要なものほど、人々が驚愕するほどの金額となる。効果を予見し、価値を見極め、優先順位を付けることは、その時々に叡智と英断を必要とする。

 

 

 

例えば、人類はオリンピックの開催を続けてきた。経済効果が目当ての場合や、政治利用が目的の場合もあったが、やはり背後に、その価値を認める人々の良識があったと思う。

 

世代を重ねるごとに天井知らずに増加する加速器の巨額の建設費に、アメリカ政府は悲鳴を上げた。議会の公聴会に呼ばれ、将来的な費用の上限を尋ねられた物理学者は、赤道を一周する加速器の建設が最終目標である、そしてその前に、月を一周する計画を進めることが妥当である、と話した。議会は静まり返ったが、非難の声は上らなかった。

 

その後、アメリカ政府は、次世代加速器建設の支出の大半を日本に求める共同プロジェクトを持ち掛け、日本政府が前向きであったため、日本の物理学会は沸き立った。このとき、ある著名な先生が老人介護の惨状に警鐘を鳴らし、物理屋は余りに身勝手が過ぎるのではないか、と自制を求める記事を物理学会誌に掲載した。

 

この計画は、結局、種々の理由により実現しなかった。先生の記事がどの程度影響を与えたかは不明であるが、私の印象では、老人介護についての政府の姿勢は、それ以来、少しずつ変わってきたように思える。

 

今しなければならないことをするためには、必要なことすら据え置く勇気が必要である。社会は不要な仕事に出費する余裕は無いはずである。

 

 

 

無意味なことをする理由・させる理由(4)

 

 

前回から続く

 

仕切り直しをして、 無意味な仕事の分類学の続きを試みよう。

 

無意味と決めつけることは言い過ぎとしても、しない方が良い、あるいは、しなくても良い、という仕事は、日本の社会では山ほどある。

 

 

 

 

見栄のための仕事

 

第2回の記事で、私の「綺麗に仕上げた図」や、実験家の「切りの良い温度までの測定」を、「習慣による無意味な仕事」と分類した。

 

考えて見ると、「習慣による」 というのは、広すぎて、色々なものを含んでしまう。第2回の記事では、習慣の背景として恥の文化を挙げたが、恥の文化に関係したものは、習慣で一括りにせず、独立したジャンルとした方が良いかもしれない。ここでは「見栄のための仕事」としておこう。

 

私の綺麗に仕上げた図も、恰好を気にしていた面があったかもしれない。何を「カッコ悪い」と考えるのか・・・実験家も私も、気付かないうちに、幼児の時から色々と摺り込まれているであろう。恥や恰好を気にするのは、他人と比較されることを意識するからである。 

 

私は実は、恥の文化を必ずしも悪いと思っていない。「見劣りする」という表現は、どこの国にもあり、人々は多かれ少なかれ見かけに拘る。

 

見かけを向上させれば、必然的に、中身も多少は向上する方向に向かう。立派に包装された御歳暮の箱を空けたとき、中にタワシが並んでいれば、ジョークにしかならない。多くの人は、立派な包装に見合った中身を考えるであろう。

 

ちなみに、御歳暮そのものに意味があるかは、また別の話である。「みんながやっているから、やめられない」というのも、見栄と無関係ではないが・・・

 

 

 

評価から美学へ

 

比較は評価に繋がるので、「評価のため」と「見栄のため」の区別は微妙である。

大学の人事選考のプレゼンテーションで、字配りが悪く、図も乱雑で見にくければ、「この人に授業を任せても大丈夫かな?」と誰でも不安になる。負の評価を避けるのが目的であれば、プレゼンの資料をできるだけ綺麗に仕上げるのは、少なくとも本人にとっては「無意味な仕事」ではない。

 

若手にとっては、学会発表なども、評価の場である。そのため、学生時代には、できるだけ視覚的に見やすいプレゼンをするように指導される。この時点では、指導は実質的に重要な意味がある。見やすくするにはどのように工夫すれば良いか、何を省き、何を強調すべきか、話の順序は・・・など、様々なことを学ぶ。

 

しかし指導が実質の範囲を超えたり、自分でもハマってしまって、本来の目的が忘れられて単に習性となり、「習慣による無意味な仕事」に繋がる。また、常に周囲と比較されることを意識づけられ、「見栄のため」となることもある。

 

そして、最後は「自己の美学」に昇華する。

  

  

何年か前、様々な国籍を有する世界の若者が、チームを組み、共同でビジネスを立ち上げる、という模擬プロジェクトが、何回か番組で紹介された。大変成功した試みとして紹介されていたが、その後の類似番組の情報や、関係者から実情を聞いたところによると、この種の企画では、どの国の人々も、日本人とチームを組むのを嫌がり始めるそうである。

 

例えば簡単な打ち合わせなど、準備段階のプレゼン資料などは、どの国の人々も手書きで15分程度で済ませるが、日本人は綺麗に仕上げるために何時間もかける。そのような性向がすべてにおよび、それを「質の高い仕事」と勘違いして人々にも強制し、目的と無関係な仕事を次々に作り出す、というのである。「何のためにやっているのかを全く忘れている」と中国人が不平を漏らしていた。

 

 

私は自己の美学に拘る性格の人間であるので、偉そうには言えないが、一般論で言えば、自己の美学に他人を巻き込むのは、迷惑な話と言える。 

 

(続く)