浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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教育のページ

言葉の重要性4ー卒業を控えた学生(後編)

前編の続きであるが、その学生に、どのようにして単位を出したのかは、覚えていない。当時は今とは比較にならない超売り手市場で、就職は内定していた。 答案も採点も保管され、外部審査が監視する今の時代なら、単位の認定は不可能であった。私なりの基準は…

言葉の重要性3ー卒業を控えた学生(前編)

「言葉の重要性2」から続く 私の着任当時、奉職した大学では、卒業研究のために研究室に配属を許される基準が非常に緩かった。私は3年次後期の必修単位の1つを担当しており、単位認定を厳しくしていた。その結果、他研究室の4年生が、就職は内定したが卒…

言葉の重要性2-ドイツのディクテーション

前回の記事では、多くの日本人が文章から情報を正しく読み取ることが出来ない、という読解力調査(RST)の結果を紹介し、その結果について、「特に驚いていない」と述べた。 さらに、調査を行った国立情報研究所の新井教授の分析とは異なり、日本に特有の…

言葉の重要性1

最近のテレビ番組で、RST(リーディング・スキル・テスト)という読解力調査のことを知った。国立情報学研究所の新井紀子教授により進められたプロジェクトである。 検索 したところ、昨年中にすでに発表されていた。物議を醸したようだが、私は知らなか…

回り道をした人々5(後編)

(中編から続く) ・・・しかし、このような私の指導は、どうも裏目に出た可能性がある・・・ 研究室訪問 A君がアカデミックな研究職の希望を持っていることを、私は感じていた。しかし彼の年齢は、その道を選ぶには微妙であった。 博士号を取得するには問…

回り道をした人々5(中編)

(前編から続く) 彼に叱責を与えたのは、この一度だけであるが・・・ 反逆者の顔 指導を進めるうちに、A君の反逆的な気質は徐々に姿を現すようになった。そして彼は時々、私の指導に逆らった。 実は、ワークステーションの立ち上げの時が最初ではなかった…

回り道をした人々5(前編)

ロンリー・ウルフ A君は、私が学部から修士課程の修了まで指導した学生である。その後、メジャーな大学の博士課程に進み、博士号を取得した。 A君は私の担当科目をすべて履修したが、彼のレポートを添削したことは、ほとんどない。あるとすれば、情報量を…

回り道をした人々4

博識のH.B. 教授 H.B.教授とは、「タテの教育とヨコの教育」や「ある転職」に登場したスイスのB教授のことである。また「スイスの鉄道網」でも紹介した。彼もまた、回り道をした人々の一人であった。 彼は非常な紳士であった。客人に対する気配りは相当なも…

回り道をした人々3

第2回に書いたN君のように、社会人の間に資金を貯め、なおかつ、在学中もアルバイトをしながら卒業して行った学生が、他にも何人か記憶に残る。 夕刻のやや遅い時間であった。私と妻は、家から少し遠いところに、まだ営業しているスーパーを探し、翌日のた…

回り道をした人々2

若い人々は、かつてのように、人生を急がなくなったのかもしれない。 大学へ入学する人々の年齢が、昔に比べると高くなってきた。 高校を卒業し、社会人を何年か経験してから入学する者、他大学から進路変更して転入してくる者、高校を中退し、大検を経て入…

回り道をした人々1

私と同年代の人であるが、ある高名な理論物理学者の御子息と、同じ高校であった。 その高校では、しばしば生徒同士の喧嘩があったが、野次馬とともに教師が駆け付けると、当事者の1人は必ずその御子息だったそうである。その時々で、相手は変わっていた。 …

子供教育の注意事項11-心の自由と自己修正

前回、心の自由と社会的な問題の関わりを書いたが、心の自由は当然、個人の問題にも大きく関わる。 日本に教えに来た有名な音楽家が、「日本人はすべての人が幼稚園児のようだ」と嘆いていた。判断を他人に預ける習慣が身について、自立心が育っていない、と…

子供教育の注意事項10-教育と矯正の違い

このシリーズの「誤解の種類」で、誤解に自分で気付き、修正する能力が必要であると述べた。また、どのような場合に誤解(というより無理解)が起こりやすいかを、前回の「日本的誤解とその起源」で少し述べたので、誤解を修正する場合の話も、書かなければ…

子供教育の注意事項9-日本的誤解とその起源

日本人のハンディ 前回、日本人は misconceptionに対する警戒心が薄いと書いたが、なぜか? そもそも、正しい概念の上にのみ正しい理解が成立する、という認識が乏しいからである。 日本語の辞書を開くと、抽象的な言葉の多くは、漢字のみで書かれている。ま…

子供教育の注意事項8- 誤解の種類

言葉と概念 人間は言葉によって様々な知識を与えられ、成長して行く。言語的でない体験も人間の成長に大きく関わるが、言語的な交流は大きなウェイトを持つ。人類は言語を通じて他者から影響を受け、他者に影響を与え、集団として成長する社会的な生き物であ…

子供教育の注意事項7 - キョーツケ! 前へ倣い!

what と how、および what と why 前回の記事で、whatとhowの区別ができない、という点を問題にしたが、これには言語的な問題が関係している、と考える人々が多いかもしれない。 良く似た話で、howとwhyの区別の問題がある。日本語で「どうして?」という表…

子供教育の注意事項6 - what と how の混同

What の概念 英語の初級クラスで学ぶことの一つに、Who are you? とWhat are you?の違いがある。前者には自分の名前を、後者には自分の職業を答えなさい、と教えられる。 日本語で「あなたは誰?」と聞かれれば、当然、名前を答えるので、Who are you?は分か…

子供教育の注意事項5 ー 感動の重要性

やや大袈裟な言い方かもしれないが、何か新しいことを理解するということは、多かれ少なかれ、何らかの感動を伴うように思う。私の場合、記憶にある範囲では、時計の読み方が最初の方である。 自然科学や数学の知識については、いつ、どこで最初に学んだか、…

子供教育の注意事項4 - 想像力の作用と反作用

ふたたび分数計算の例 私がタフな教師として学生に知られ始めていた頃のことである。ある日の昼休み、私は学外の喫茶店で昼食をとり、食後のコーヒーを待っていた。そのとき、ふと店に置いてあるコミック単行本の牧歌的なタイトルに惹かれ、手を伸ばした。 …

子供教育の注意事項3 - 人はどのようにして理解に達するか

「子供教育の注意事項2」から続く ふたたび時計の話 私はどのようにして、最終的に右と左を理解したのか、覚えていないが、時計の場合は、理解した瞬間をはっきりと覚えている。 時計は見るのも嫌になっていたが、ある日の午前中、誰もいない居間で、ふと柱…

子供教育の注意事項2ー未知と遭遇するとき

学習は未知との遭遇である。ここで学習とは、必ずしも学校の勉強という意味ではない。成長過程での、広い意味の「学び」である。 未知に向かうことは、暗闇の洞窟を歩くようなものである。そう簡単に足が前に出るものではない。暗闇で強引に手を引っ張り、無…

子供教育の注意事項1

はじめに いきなり、生意気なタイトルを書いてしまったが・・・ 私は子供の教育の専門家ではない。 自分自身の子供の教育についても、決して理想的だったと思っている訳ではない。 自分自身を教育者だとも思っていなかった。 単に物理学を継承する人間であり…