浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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英国の暮らし - 英国人は怠け者か?

英国人の家事労働

 

35年以上も昔の話であるが、当時ヨーロッパ人は、日本人を「ウサギ小屋に住む働き中毒」と評していると伝えられていた。これに対して日本人はヨーロッパ人を「休暇ばかり取っている怠け者」と考えていたようである。

 

しかし「ウサギ小屋・・・」は、一部の中傷的な報道が誇張されて伝えられていただけで、当時はヨーロッパ全体に、日本人の勤勉さを尊敬する雰囲気が満ちていた。

 

むしろ日本人の勤勉さが、やや誇張して伝えられていた感がある。スペインでは、英語にすると「Japanese strike」と表現されるストライキがあると聞いた。「日本人のように長時間働くから、給料を上げてくれ」と要求するのだそうである。

 

実際には、彼等は(少なくともイギリス人は)休暇の多くの時間を、家庭での労働に使う。彼等が怠け者というのは間違った判断である。ただ、彼らの勤勉さは、経済に寄与しない。

 

家の手入れに関しては、これまでの記事でかなり紹介したが、建物の管理だけでなく、夫は週末のうち必ず一日を、芝刈りをはじめとする庭の手入れに費やす。庭は広いので、これは重労働である。

  

家だけでなく、車の修理なども、出来るだけ自分で行う。私が最初に単身で下宿していた家では、親戚一族がすべて、同じ車を買っていた。それをできるだけ自分達で修理しながら使い、どこかの家の車が修理不能な状態になると、他の家族は自分たちの車を修理するため、骸骨になるまでそこから部品を調達する。

 

これも子供の頃から父親を手伝い、経験を培っているから出来るのである。カー・ショップには、ありとあらゆる部品が並んでいる。スクラップヤードで廃車の部品を調達すれば、車一台を自分で組み立てられる、と言った友人もいた(実際には廃車の部品もそれなりの値段なのでやらないが)。

 

車検制度は英国にもあるが、費用はあまりかからない。エンジンが故障して動かなくても、車検は通る。ブレーキやウィンカー、テールランプなど、動いた時に他人の安全を脅かすところだけを点検する。それ以外は自己責任である。私は日本では誰も乗っていないレベルのボロ車を使っていたが、最後の車検にかかった費用は、7千円ほどであった。

 

 

 自己生産・自己消費の経済

 

何でも自分でやってしまうと、経済、とくにサービス業は停滞する。英国の失業率の高さは、ここに原因があると思われる。

私はY教授に「時給の高い人は、労働時間を延長して収入を増やし、家や庭の手入れなどは専門業者に任せた方が効率が良いではないか、仕事も生まれ、平均所得も上がる・・・」と言ってみた。Y教授の答えは、「延長勤務をするより、自分で家をケアする方が人生は楽しい」ということであった。

  

日本のある大学から、経済学の先生が、市場調査のため英国を訪れていた。彼は、英国のマーケット状況は、他の国々と比較して、不思議な点が多いと言っていた。彼の調査の目的は、ほぼ1年かけて、車の普及率と販売数のアンバランスの原因を究明することであった。

 

話を聞きながら、私とオトメは笑いをこらえるのに苦労した。中古マーケット、特にオークションなどを調べてはいかがですか、と進言することを躊躇した。 

実際に、走っている車の古さは信じられないほどである。渡英して早々、クロガネという日本のオート三輪車が走っているのを見た時には、非常に驚いた。私が子供のころ、日本の道路を走っていた車種であるが、完全に忘れ去っていた。この会社は、私がまだ小学校を卒業しないうちに無くなったはずである。

 

車の製造年は、ナンバープレートで分かるようになっている。大文字のAからYまでのアルファベットで区別される。年度が変わると、登録される新車には次のアルファベットが与えられる(中古車のナンバープレートは前の所有者から引き継がれて変更できない)。遠くから見て数字と見間違えるO、Q、I などは除かれるが(Zも2と間違えるので除かれる)、それでも20以上の文字があり、これが容易に1周する。つまり、新車のAと20年以上昔のAが路上で共存している。ちなみに、メーターに表示される走行距離は最長で10万マイル(16万キロ)であるが、これも容易に一周してゼロに戻る。

 

 

 自分たちで修理し、長く使うライフスタイルは、自分自身のための価値は生み出す。しかし社会経済を潤すわけではない。経済学で何と呼ぶかは知らないが、自己生産・自己消費型で、日本の経済とは根本的に成り立ちが違う。 日本を訪れた英国人は誰もが「日本の道路には新車しか走っていない!」と驚く。ついでに、「日本人は真新しい服しか着ていない!」とも驚いていた。英国では10代の若者が、普通に祖父のコートを受け継いで着ているのである。

 

 

ついでの話:日本車の人気と不人気

 

日本車は人気があった。

価格は高いが故障が少なく、長持ちするからである。メーターが一周しても、なかなか判別できないほどで、中古で高く売ることもできる。これは詐欺行為ではない。中古の売買は買う側の自己リスクが原則で、むしろ売主に情報を求めることは、重大なマナー違反である。

 

日本車は不人気であった。

一度故障すると修理が難しいからである。一つには部品の調達に時間がかかるためである。スクラップヤードには、まだ日本車はほとんどなく、中古部品の調達も難しかった。しかし、修理が難しい理由は、それ以外にもあった。

 

私は日本車の中古を購入したが、さすがに古いため、時々トラブルが発生し、その度に友人に助けて貰っていた(酒好きの彼に、日本酒などで御礼をした)。修理のためボンネットを開けると、日本車を初めて見た人は、驚きの声を上げる。あらゆる部品が所狭しと並んでいるからである。

 

彼らの車の、なんと簡素な造りのことか・・・ある小型車の場合であるが、ボンネットを開けると、中サイズの旅行カバンを3つ、三角形に並べた感じに、部品の集団があった。つまり、隙間だらけである。これで本当に車が動くのか・・・?と疑ったほどである。確かに修理はしやすいが・・・

 

修理はお手のものの友人も、私の日本車には少々手こずった。故障の原因を特定するにも時間がかかる。調べようとしてネジを探してはずし、部品を引っ張る。しかし、びくとも動かない。「あれ?」と言って、もう一本ネジを探し当て、同じことをする。ようやく3本目のネジを外して部品を取り出し、肩をすぼめて手を広げ、首を振った。

 

日本車は、1つの部品を固定するのに、最低でもネジを3本は使っている。その他にも、さまざまな高機能が満載である。日本製品の複雑さは、自己生産・自己消費型の経済をブロックする防波堤になっていたのかもしれない。

 

(続く)