浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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回り道をした人々5(後編)

 

 

中編から続く)

  

・・・しかし、このような私の指導は、どうも裏目に出た可能性がある・・・

 

 

研究室訪問

 

A君がアカデミックな研究職の希望を持っていることを、私は感じていた。しかし彼の年齢は、その道を選ぶには微妙であった。

 

博士号を取得するには問題はないが、研究の世界にとどまるためには、その後何年間か、研究員を経験し、それから研究機関の正規ポストに応募することになる。それには実質的な年齢制限があった。

 

私は後期博士課程の進学先を考えるにあたり、メジャーな他大学の、ある先生の研究室を訪問してみることを勧めた。私の研究室で後期博士課程に進み、博士号を取得することは可能であったが、それを私から勧めることはしなかった。その先生は、オーソドックスなスタイルの優れた理論家であり、人間的にも信頼できる。そして私が知る範囲では、学問的な方向性が彼に最も適していた。

 

研究室訪問に際して、私から事前に連絡を取ることは避け、本人の自主的訪問に任せた。私の学生であることは、先方も認識していたと思われる。すでに修士論文の研究成果はまとまっており、これを持参して面談に臨んだ結果、先生はA君にかなりの期待感を持ち、博士課程への進学は事実上内定した。

 

 

 

A君の選択

 

ところがA君は、別の大学にも併願していたのである。彼は意外にも、ブランド大学に憧れ、(訪問した大学も十分なブランド大学であったが)最後の段階でそちらを選んだ。そして、併願の事実を知らされていなかった先生を驚かせ、大いに失望させることとなった。

 

 

物理学の世界では、人間関係のこじれが将来に影響を及ぼすことはあまりない。多くの研究者は、そのようなことが起こることを戒める。やや極端な言い方をすれば、学問的な判断が社会的常識に優先する。経験を積んだ研究者は、自分の実力を高めるための若者の利己主義には寛大であり、むしろ評価の対象とする。それを最優先にした選択であれば、それは生きたであろう。

  

しかし、決定的に重要であるのは、指導教官が、研究者としての将来を視野に入れて指導する気があるか否かである。

 大学院の定員は、適正水準を超えて、大幅に増やされてきた。メジャーな大学は、定員の範囲で志願者を受け入れるが、地方の小さな大学からフリーで志願してきた者が、将来の研究者として期待される可能性は低い。とくに後期博士課程への編入では、指導教官同士の信頼関係が大きく物を言う。

 

A君が研究者への道を強く望んでいたかは定かでないが、その可能性は、彼が別の進学先を選んだ時点で、ほぼ消滅したと言える。年齢を考えると、彼の選択は、それを承知の上であったのかもしれない。

 

A君が進学先として選んだ大学では、S君という卒業生が、研究員として勤務していた(彼は私の研究室の後期博士課程学生の第1号で、今では研究者として大変立派なキャリアを築いている)。学内の指導体制をつぶさに見ていたS君は、心配してアドバイスを与えていたが、A君は従わなかった。

 

  

その後、A君からの連絡は途絶えたが、3年後にS君からの知らせで、A君は無事に博士号を取得し、企業に就職が決まったことを知った。彼の能力と物理学の知識が、ある程度は生かせる職場だったようである。

 

 

人生の選択は、個々人の価値観と優先順位で決まる。そして、自分にとって最適な優先順位は、自ら経験によって学ぶしかない。

 

A君は自分にとって最良の選択をして、回り道を終えたのか・・・

 

あるいは人生の冒険者として、まだその途中にあるのか・・・

 

それは、彼にもまだ、分からないのかもしれない。