浦島太郎の随想

浦島太郎の随想 - 物理屋の妄想タイム

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竜宮城で貰った玉手箱をうっかり開けてしまった浦島太郎ですが・・・その後もしぶとく生き続けてネバーランドに流れ着き、
若い人々と物理学を楽しむ日々を送っています・・・

教員視察団(3)

 

 

 

「教員視察団(2)」から続く

 

 

・・・ 訪れた教員視察団の一行は、男性の教員だけで構成されていたような気がする。女性を一人も覚えていない。そしてこのことは、今考えると、後に起こった騒動の要因の一つかもしれない・・・

  

 

視察団の構成

 

学生寮のあとは、キャンパス内の生活ゾーンを中心に案内した。講義室や図書館などは日本の大学とそれほど変わらないので必要ないと判断した。生活ゾーンでは、学生のキャンティーンとスーパーのほか、書籍・文具類などの幾つかの店舗、銀行の支店、郵便局が並ぶ。そして、別の記事で紹介したように、中心にディスコを兼ねるパブがある。

 

さらに、キャンパスの外周に出て、湖水のほとりを1/4周ほど回ると、美術館をかねる強化ガラス張りの素晴らしいキャンティーンがある。そこを紹介したかったが、メンバーには高齢者が多く、やや歩き疲れていたようなので、遠くから眺めただけで引き返した。

 

 

帰り道、歩きながら、コンダクターと小声で話をした。

 

彼の勤める旅行社は毎年、この教員視察団の世話をしているそうである。各都道府県から1名ずつ、文部省がメンバーを選考する。大都市圏を有する自治体からは、複数名だったかもしれない。若い教員も少しずつ増えてはいるが、選ばれるのは殆ど、定年直前の教員だそうである。

 

選ばれた人々は、幾つかのグループに分かれて、1か月ほどヨーロッパの各地を回り、地元の教員と交流する。

大学の視察は一か所だけで、主に高校レベルの教育現場が対象である。彼らは前日に、地元の学校を何校か訪問していた。

 

 

「1か月のヨーロッパ旅行となると、その費用は大変なものですね」と話を向けると、

「それだけのお金をかけて、定年の直前に視察しても、意味ないですよね」と苦笑しながら、彼は苦労話を打ち明けた。

 

渡航経験のない老人ばかりの引率は大変である。その前年には、経由したモスクワ空港を離陸した直後に、大騒ぎになった。

最長老の先生が、乗船していなかったのである。

 

その先生とは、最初からコミュニケーションでかなり苦労していた。耳が遠かったのであるが、それだけではなかった・・・と言っていた。

歩行もやや困難であったので、かなり注意してゲートを通過したことを確認したが、なぜかモスクワに残っていた。当時は、ソビエト連邦の時代であった・・・

 

 

予定を30分ほどオーバーして、私は役を終えて別れを告げた。コンダクターは、私に深々と頭を下げ、礼を述べた。

 

 

研究室に戻って1時間ほどすると、秘書さんがドアをノックし、私に電話がかかっている、と告げた。今しがた別れたばかりの、コンダクター氏からであった。

 

 

(続く)