浦島太郎の随想

浦島太郎の随想 - 物理屋の妄想タイム

~記事へのコメントは歓迎です~

竜宮城で貰った玉手箱をうっかり開けてしまった浦島太郎ですが・・・その後もしぶとく生き続けてネバーランドに流れ着き、
若い人々と物理学を楽しむ日々を送っています・・・

英国にやって来た教員視察団(7)

 

 

 「教員視察団(6)」から続く

 

 

正面の男

 

校長の長い演説が終わり、ようやく通常のパーティに移った・・・

が、危機はそれからだった。

 

私は両隣の英国人と楽しく会話し、向かい側の教員にも、できるだけ通訳した。

物理が趣味と語った地元の男性教員は、インド哲学と妙に符合する現代宇宙論など、私とも少し話したが、あまりそれには踏み込まず、主に職場での苦労などを人々に紹介してくれた。

 

彼の職場は、治癒する見込みのない難病の子供たちの施設であった。とくに英国では筋ジストロフィーの子供たちが多く、最大の努力を傾けて学習を助けても、多くは20歳前後で他界してしまう・・・という、シリアスな話であった。

 

オトメが「要注意」とした理科教員は、「自分の勤務校は大学と近いので、大学の人と共同研究をしている」とだけ述べた。研究の内容には言及せず、時間帯などの細かい話をした。時を置いて、勤務先の学校の様子などを聞いてみたが、何を聞いてもその都度、「大学に近いので共同研究をしている」と完全に同じ話を繰り返した。さすがにむっとしたが、話に加わる気が無い以上、放っておくしかない。

 

社会科の教員は熱心に耳を傾け、話に参加した。彼は通訳不要で、殆どの会話の内容を聞き取れていた。自分から話すことを試みたが、やや時間がかかり、遠慮してすぐ聞き役に回った。

 

 

問題はやはり、正面の男である。彼は最初から、話の内容や場の雰囲気に不快感を示していた。そして、時間の経過にともない、苛立ちを強めて行った。酒量が非常に多く、教育関係の話を嫌い、話題を変えようと、しきりに仕掛けてきた。 

 

話題を変えるというより、彼はパーティそのものを変えたがっていた。彼は日本式の宴会、つまりは「無礼講」を期待しており、それを始める機会を伺っていた。

日本ならそろそろ・・・という時間になっても、一向にその気配がない。

 

「このつまらんおしゃべりを、いつまで続けるのだ?」と言いたげな表情である。私たちは教育の話から、パーティ向きの会話に移っていたが、彼は脈絡なく様々な言葉を唐突に口にして割り込み、私に通訳を要求した。

 

彼の口にする言葉は、あまりにも「不適切」で伝える訳にはいかなかった。私は通訳に徹して、場を仕切らないつもりでいたが、そうも行かなくなり、彼を無視するしかなくなった。

 

ついに彼は、こんなパーティは何も面白くない、これは自分たちが招待しているのだから、日本流でやるのが当然である、今日はそれを見せてやるのだ、それでこそ国際交流ではないか・・・と言って、席の遠い日本人を相手に、下ネタ話を声高に始めるようになった。 

 

 (続く)