浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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言葉の重要性4ー卒業を控えた学生(後編)

 

 

 

前編の続きであるが、その学生に、どのようにして単位を出したのかは、覚えていない。当時は今とは比較にならない超売り手市場で、就職は内定していた。

 

答案も採点も保管され、外部審査が監視する今の時代なら、単位の認定は不可能であった。私なりの基準は守る努力をしていたので、最終的にはそれなりの勉強をさせたはずであるが・・・

 

 

 

精一杯やりました!

 

いずれにしろ私は、この学生には勉強させる以前に、別の指導が必要であると考えていた。本来は卒研の指導教官の仕事であるが・・・

 

理系の人間にとって、言葉は第一義的に、情報を伝える手段である。感情を伝える手段ではない。まず、それを解らせなければならない。好奇心を持って読まなければ情報は読み取れない、とシリーズの最初の記事に書いたが、拒否の心すら持ってしまっては、耳に入るはずもない。そこが第一歩である。

 

 

レポートに関する最後の指示を言い終え、彼が正確に書き取ったことを確認してから、私はこう言った。

 

  「君は・・・そのままでは、社会に出て仕事は出来ませんよ。

   出来ない人より、違うことをやってしまう人が最も困る。

   違うことで誤魔化して、やったふりをするのは、もっといけません・・・

   君の場合は、どう言い訳しても、上司の人はそう判断しますよ」

 

しょんぼりと下を向いた。私の指示は何も覚えておらず、言葉すら書き取れなかったのである。反論はできない。が、

 

  「君は、レポートに真剣に取り組みましたか?」

 

と聞くと、座りながらキョーツケの姿勢をとり、

 

  「はい、精一杯やりました!」

 

と即答した。念を押したが同じ答えである。

 

 

 

何たることか・・・この期に及んでも、自分は真剣ではなかった、という自覚が生まれていない。何度叱っても、同じことをするはずである。「上司の人はそう判断しますよ」では通じない。

 

 

小学校以来、「一生懸命やりました」と答えるように指導され、その習慣が身に付いている。そのように答えれば、「努力家」としての評価は担保され、それ以上は追求されない。

  

その言葉が、自らを錯覚させ、成長の機会を奪ってきた。

図書館に行き、何時間も本を探した。自分の手で写し、提出した。辛い作業に良く耐えた。自分は真面目な人間であり、努力する人である・・・ 

 

実際に難行苦行である。解っていないものを部分的に写し、繋ぎ合わせて何とかレポートの形にする・・・その作業の辛さが、自分は真面目な人間であると錯覚させる。

 

  

文章を読まず、人の話を聞き流すという生活習慣病の要因の一つは、目的を無視した行為を「努力」として評価する、という学校教育の馬鹿げた慣行にある。これが社会に出ても続くわけではないことを、誰かが一度は教えなければいけない。

 

 

 

  「精一杯ですか・・・

   仮にそれが本当でも、職場では、そう言わない方がいいよ」

 

と私は続けた。

 

  「こういう時は、『いい加減なことをしていました、もう一度やらせて

   下さい』  と言わないと、次の日から仕事がなくなるよ・・・」

 

 

  「真剣でなかったと言うなら、叱ってもう一度やらせよう、ということ

   もあるかもしれないけれど、精一杯やりました、と言われたら、別の

   人にやってもらうしかないからね・・・」

 

  「 問題文もほとんど読まず、計算も自分でやらず・・・

   適当な本を抜粋して、繋ぎ合わせる・・・

   指示されたことは覚えていない・・・実際には聞いてすらいない・・・

   そして、同じものを何度でも提出する・・・ 

 

   それで『真剣にやりました』と言う人に、仕事を任せる上司はいません」

 

 

 

 

無意味な行為を繰り返し、その自覚がない学生は、自分の「努力」を否定されると強く反発する。このような学生に私の言葉が有効であった例は殆ど無い。あくまでも自分の行為は勉強であり、努力であると主張する。

が、就職が近づくと、少数ながら例外も出てくる。社会に出れば、無意味な作業は負の評価にしかならない。少し想像すれば、誰にでも解ることだ。

 

これに気が付くことは、言葉の重要性に気が付くことと、表裏一体である。意味のあることをしなければいけないと悟り、注意して人の言葉を聞き、丁寧に本を読んでみると、実は教師も著者も、意外に親切である。自分がひたすら、情報を無視していたことに、はじめて気付き、卒業間際になって「もっと早く気付いていれば・・・」と悔やむ。

 

 

就職を間近に控え、将来をリアルに想像したのか、次第に表情が固くなった。反抗的な態度は見えない。

ようやく、位置についたかもしれない。私は物理の教科書から文章を見繕い、ディクテーションをやらせた。

 

出来ないわけではない。その気でやれば、ある段階まではすぐ向上する。やや蒼ざめながらも、「真剣に取り組む」ということを初めて体験した。ひとしきりやって要領を覚えさせてから、毎日、ラジオのニュースを聞き、具体的な内容をメモすることを勧めた。一日に最低でも15分、できれば30分以上、ニュースの内容を聞き取り、自分で言葉にする。特に、日時や場所などの、細かい情報を正確に聞き取る訓練を、就職するまで毎日である。

 

実際にやるとは・・・あまり期待していなかったが・・・

 

 

 

I教授の来訪

 

卒業式を数日後に控えたある日、彼の指導教官のI教授が、私の部屋をやかましくノックした。

 

私より10歳ほど年長である。仲は悪くなかったが、過激な性格の持ち主で、独自の倫理感を持ち、とくに教育方針(というより単位の認定方法)について、私と熾烈な言い合いになることがあった。私達2人を、「坊ちゃんと山嵐」と評する同僚がいた。

 

君が理論物理など役に立たないことをやって生きていられるのは、人々が働いて税金を納めてくれるからである。人に頼って生きていながら、卒業させない君は、反社会的な存在である、などと、訳のわからない論理で私を非難するのが常であった。

 

 

 

今回もそうなるのか・・・私にハラスメントを受けたと学生が訴えて、それで文句を言いに来たのだろう・・・

 

と思ったが、山嵐先生は上機嫌であった。

 

 「いやーウラシマ君、僕の学生だけどさ・・・君は彼に、何を言ったんだね?」

 

 「何をと言われても・・・まあ、私の単位を落としていましたから・・・

  かなり厳しく叱って、レポートを何回も提出させましたけれど・・・」

 

 「いや、それは僕も聞いているよ。それがね・・・君に叱られてから、

  何だか見違えるように変わっちゃってね・・・まるで別人なんだよ・・・」

 

 「どうにもならない学生だったのが、今は受け答えも、他の学生よりずっと、

  しっかりしている。行動もきびきびして、あれなら勤めても全く心配ない。

  一体、何を言ったら、こんな短期間に、あそこまで変えられるのか・・・

  どんな魔法をかけたのか・・・ぜひ、教えてもらいたいと思ってね・・・」

 

 

 

魔法など、どこにも無い。

普通のことさえしていれば、すぐにでも普通になる。

普通の事をしなくて良い環境のため、普通の感覚を失っていただけである。

 

 

とりあえず、私の指導を学生が真剣に受け止め、社会に出るまでに間に合ったらしいことは、喜ばしいことであった。ディクテーションの効果は大きい。ドイツの女性の言ったとおりであった。話を聞くという習慣が、まず基本である。それで初めてコミュニケーションが可能になる。教育も仕事も、普通に始められる。

 

この事件の後、I教授は私の教育方針を批判するのを控えるようになった。

さらに10年後・・・大規模な学部全体の履修規則の改変が行われ、卒業を控えての必修科目の再履修は、ほとんど起こらなくなった。

 

 

 

言葉の問題については、この他にも紹介したい例があるが、海外での話なので、しばらく別のシリーズで話すことにしよう。「英国人の読解力と国語教育」を読んでいただければと思う。