英国の自然
以前、英国の文学について感想を述べたが、私のイメージの中では、英国人の文学に感じられる寒々しさや無常感は、英国の自然と結びついている。アーサー王やロビンフッドなどの伝承的な物語や、ドラマや映画にも、同じものを感じる。独特の土臭さや時間の流れである。また絵画はもちろん、彼等の音楽も、英国の自然と何らかの関係があるように思える。
いくつか、英国の自然の特徴を述べよう。
1.水が冷たい。
川の水は真夏でも身を切るほどの冷たさであるが、海(私は北海しか知らないが)も非常に冷たく、海水浴をする気にはなれない(している人もほとんど見たことがない)。水温が低いので、海岸に近づいても「磯の香り」がしない。
2.夏も温度が低い。
一年中コートを仕舞えない。最初に暮らした年の夏は、一体、いつになったら暑くなるのか・・・と思っていたら、8月の半ばに入ると人々が「もう秋だね」と言い出した。
まだ十分に沸いていない風呂に入れられ、温まらないうちに「もう出ろ」と言われたような気分であった。
3.平地ばかりである。
遮るものが無いため、雷が怖い。
記憶が正しければ、落雷で、毎年20名ほどが命を落としていたと思う。
私達の住んでいたビレッジの周辺は、冬は枯れたヒースが広がる、荒涼たる荒野であった。田舎道路には街灯もない。英国で生涯を終える覚悟であったが、冬の寒い日に車で暗い道を進むときは、さすがに「こんなところで一生を終えたくない・・・」と思った。意外にも、オトメはこの光景が気に入っていたが。
4.雨が多く、何となく暗い。
英国の自然と言うと、すぐに雨や霧、曇りの日々が思い出される。
降っている時間は比較的短い。「今日は雨の日」という感覚はない。一日のうち、いつ降り始めるか、いつ終わるかである。平地のため遠くから雲の位置を目視できるので、2時間後に雨が降る、その30分後に止む、などと予測ができる。
「今日は雨だから、テニスの約束は自動的にキャンセルだな」と思っていたら、「もうすぐ晴れるからすぐ来い!」と電話がかかってきた。雨が止めば、すぐプレーできるコートなのである。
5.暗さはあるが、整然としている。
木は背が高いが、数としては日本の森林よりまばらである。
日本の樹木は低く、密集している。帰国して山々を見たとき「ブロッコリーのようだ」と感じた。
自然は緯度が北に昇るほど、整えられた形になる。物理学的に言えば、温度が低いとエントロピーが下がり、秩序が生まれるという一般法則がある。生態学的に言えば、寒ければ植物の種類が減り、さらに日照、保水量などの追加条件で、生息域が個別に厳しく限定される。結果として棲み分けが生まれ、熱帯のジャングルのように混沌としない。
6.季節の良い晴れの日は、別世界である。
郊外はすべて、グリーン一色である。Y教授の話によると、彼の子供の頃、緑に加えて野原には、何種類もの小さい花々が咲き乱れていたそうである。
害虫駆除のため、英国全土に空中から農薬散布を大規模に行い、緑を残して花々は全滅した。半世紀経っても回復していない。
残念なことをしたものである。
余談
日本の自然について人々によく尋ねられたが、国土の80%は森林の山岳地帯で、平地は海岸沿いや盆地に限られている、と答えると、別に尋ねてもいないのに、多くの人々が「英国にも山がある」と言って、一か所しかない(それも山と言うより岡に近い)スキー場の話を始める。これにはY教授も含まれた。ややムキになる傾向があるので、どうも変だと思っていたが・・・
山が無いので、英国ではアルペン競技の選手は殆ど育たず、冬季オリンピックに国際レベルの選手団を送れない。これが大きなコンプレックスとなっているようである。
冬季オリンピックは、北の先進国のメンバーズ・クラブである。存在感を示せない彼らにとっては、南の途上国の仲間入りの感がある。
私が滞在していた当時、高齢者の多くは、親日的な人々でさえも、「戦後しばらくして、日本車が走っているのを見て『日本が車を造るまでになったのか』と驚いた」などと話していた。
第2次大戦の初期の時点で、すでにスピットファイヤーの性能が、ゼロ戦に後れをとっていた事実など、知られていない。 シンガポールで歴史的大敗を喫したことも、パーシバル個人の責任と考えられている。どこの国でも、都合の悪いことは、政府も学校も教えないようである。
そして、これらの人々は、日本は熱帯地方にあって、雪など降るはずがないと思っていた。「雪=ハイソ」の固定観念があり、日本海側は豪雪地帯であると言うと、逆にこちらが見栄を張っていると思われる。
日本が冬季オリンピックの主要メンバーであることは、彼らが納得できないことの一つである。