浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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無意味なことをする理由・させる理由(1)

 

 

 

このブログで、私は社会で行われている様々な種類の無意味な行為について、色々な場面で愚痴をこぼしてきた。我ながら、やや頻度が多すぎた気がするが・・・

 

事実として、歴史的にも、無意味な行為は多かった。論語読みの論語知らずからはじまり、深刻な例としては第2次大戦時の特攻隊作戦に至るまで、数え上げれば、きりがない。

 

これらは、自発的に行われている場合と、強制されている場合がある。しかし私は、自発的に行われている無意味な行為でも、本人は強制と感じている場合が多いのではと想像する。学生のレポート丸写しなどは、学生が自発的に行っているものだが、レポートの提出そのものが強制であるので、その自覚は薄れる。はじめから勉強を無意味な行為と見做していれば、なおさらである。

 

  

何が意味のある行為か、何が意味の無い行為か・・・

無意味な行為を日常的に繰り返していると、次第に区別が曖昧になる。社会にとっても個人にとっても、これが大変に危険である。

 

私はこのシリーズで、無意味な仕事の分類学を試みて、それぞれの発生原因を探ってみようと思う。初回は私の経験を紹介しよう。

 

 

 

 

「はじめてのおつかい」

 

外国で生活を始めると、子供に戻ったような気分になる。勝手がわからず、周囲の大人たちに教えられる日々である。その中には言葉も含まれる。あらゆる意味で、子供時代の研ぎ澄まされた感覚を呼び覚まさなければならない。海外生活は人間力を鍛え直す。

 

はじめてのおつかい・・・ではなく、私の場合、「はじめてのセミナー」であった。スクールに加わった新しいメンバーが、これまでやってきた研究の概要を話すという、恒例の行事である。

 

くれぐれも短くするように、とあらかじめ言われた。

 

とにかく、日本人のセミナーは長くて困る・・・ 

人間が集中して話を聞ける時間は、30分が限度である。30分で話を修了し、30分を質疑応答に充てる。全部で1時間だ。 

聞いても解らない話は、始めからするな。これも一応話しておこう・・・はやめてくれ。聞いて理解できる話だけでまとめろ。 

君の分野の予備知識を持たない聴衆が大勢いる。30分の公演時間のうち、前半の15分はイントロダクションをしっかりやってくれ。前提に出来る知識は、君が学部の授業で教えられた内容だけだ・・・

 

 

やる前から、ずいぶん色々と注文を並べられた。そして最後に、

 

  「図やグラフはフリーハンドで良い。美しく仕上げる必要は無い。

   君の人件費は高い。余計なことに時間を使うな」

 

と釘を刺された。これも日本人に特徴的なことだからであろう。

 

正味15分のトークでは、言葉が闊達でない私には、到底不可能である。10分の延長を許してもらった。

 

それ以外のことは私も納得したが、最後の注意にはやや心理的な抵抗があり、準備の過程で、図はある程度、綺麗に仕上げられた。

今のようにパワポで簡単に描けるわけではない。トレーシングペーパーに、墨入れで仕上げる職人技である。私は本格的な道具を持参しており、やや達人であった。実際にはフリーハンドでそれなりに見やすく描くのにも、結構気を使い、時間もそれなりにかかる。どうせなら、一度墨入れで作成しておけば、長く保存できて色々と使い回しができる・・・と思ったのである。

 

 

 

人の時間を無駄にするな・・・自分の時間も無駄にするな・・・

使った時間の対価が常に問われる。海外で給料を貰う厳しさを実感した。

 

 

私個人についてではないが、Y教授はその後も、

 

   「日本人は、必要ないことに時間をかけ過ぎる」

 

と何度も私の前でぼやいた。そして、私が少しでもその方向に行きそうになると、

 

   「タロー、人生は無限に続くわけではないよ」

 

と、英国人には珍しく、父親らしい忠告をした。

 

  

 

仕事の種類

 

Y教授の言う「必要の無いこと」の中には、なるほどと納得できるものも多かったが、私には受け入れがたいものも相当あった。そこで私は、次のような基準で、自分の日常の仕事の仕分けを試みた。

 

  1.しなければならない仕事

  2.した方が良い仕事

  3.しなくても良い仕事

  4.しない方が良い仕事

  5.してはならない仕事

 

1は当然、誰もが納得するように、きちんと実行しなければならない。2までを習慣にしている日本人は多い。日本では高い評価に繋がるであろう。

2と3の境界は曖昧であるが、3をやっても低い評価にはならないので、これも一応やっておこう・・・という人もいる。

 

当然かもしれないが、個々の仕事をどの類に属させるかは、社会や個人の価値観が反映される。したがって、それぞれの社会で異なり、さらに個人差がある。一般的な仕分けはなかなか難しい。

 

プレゼンの図を綺麗に仕上げることは、2に属する・・・と思っていた。しかし、Y教授の分類では、これは恐らく3または4、あるいはそれどころか、5に属するのかもしれない。

 

これは状況によって変わり得る。時間や予算が非常に切迫していれば、通常は3、4の仕事でも、5に属させなければならない。2ですらも、5に落とされることは起こり得る。

 

 

自分で仕分けをやってみると、2に属する仕事は、際限なく存在することに驚いた。「した方が良い仕事」をすべて実行すれば、1が出来なくなるのは目に見えている。

 

人生は無限に続くわけではない・・・

そして、個人も組織も、能力は有限である・・・

 

1と5のカテゴリー以外は存在しない、と考えると、Y教授の話はすべて合点が行く。

 

少なくともこの国で生きる限り、2~5は一纏めにして、「してはならない仕事」と考えなければならないようであった。

 

 

 (続く)