浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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英国人の妻

 前回は日本人の亭主の話をしたので、今回は英国人の女房の話をしよう。

 

英国人の夫婦は共働きが殆どである。夫の収入のみで生計を立てられる家庭は限られる。大学のスタッフは、教授以外はすべて、奥さんも仕事を持っていた。ちなみに、英国の大学では教授はごく少数である。日本の大学の学科長(日本では持ち回りであるが)に相当すると考えてよい。上級講師が日本の教授、講師が准教授に相当する。

 

看護婦さんであったY教授婦人は、子供に手がかからなくなってからしばらくの間、パートタイムで仕事を続け、やがて専業主婦となった。ビクトリア朝時代の大きな邸宅に住み、その管理も大変であったと思う。庭など、家の外回りの管理は主に男性の役目であるが、Y教授が学部長に就任してからは、彼女の仕事量が増えていた。共稼ぎの期間は、妻の発言力も高いと思われるが、専業主婦となると夫の権力が増すように感じられる。あくまでも私の個人的な観察であるが・・・

 

 

夫の指示

 

Y教授の車が、ある日、走行中に煙を噴き上げ始め、そのまま廃車となった。

自慢のブリティッシュ・フォードであった。およそ10年使用し、英国車は信頼度が高い、と常に言っていたが・・・

英国では、煙を噴き上げながら走る車を目撃するのは、日常のことであった。 

 

当時、大衆車で10年走る車は日本車だけであった。日本車はメカが元気でも、冬場に道路に撒かれる塩にボディがやられ、ぼろぼろになる。しかしボディの穴を充填剤で補修しながら何とか持たせれば、10年後もまだまだ走れるので、庶民には人気が高まりつつあった。

 

学部長の仕事に忙殺されていたY教授は、夫人に新しい車を選び、購入するように言い渡した。折しも、新車登録にかかる諸費用(税金)が大幅に値上げされることになり、急ぐ必要があった。多くの人々の駆け込み購入のため、ディーラーは大忙しであった。

 

Y教授は6000ポンドの現金を夫人に渡し、購入はその範囲で賄うこと、出来るだけ5000ポンド以内に抑えること、そして新車登録を間に合わせるように、と指示した。

日本の家庭では、妻が財布の紐を握っている場合が多いが、英国は全く逆である。妻に家計を任せると破産する、というのが大方の認識のようだ。6000ポンドは当時のレートで、およそ250万円であるが、工業製品は日本より遥かに高い。この金額で買えるのは、日本では半額程度の車種になる。Y教授は高級車を買う意志は全くなかった。

 

夫人はブリティッシュ・カーを中心に探していたが、コスパの良い車を探しあぐねていた。教授の渡した金額では、ミニ・クーパーのような、ひどく小さい車にならざるを得ない。当時のミニ・クーパーは、現在日本で走っているモデルよりかなり小さく、ほぼ昔のスバル360に近かった。

 

新車登録の最終日の午前中に、Y教授から電話がかかってきた。夫人が車を探すのが難しそうなので、手伝ってやって欲しい、というのである。自分は会議の連続で全く手が離せない・・・

 

夫人は、友人から車を借りて私を迎えに来た。カタログを見せながら、どれかに決めたいが、どう思うか・・・と言うので、私は日本車のディーラーを訪問することを勧めた。最初から、その予算の範囲では、日本車以外の可能性は無いと私は考えていた。日本車に抵抗を示したが、渋々同意して、市内に2件あるダットサン(日産はこう呼ばれていた)のディーラーの一つに向かった。当時英国では、他の日本車メーカーは進出が遅れていた。

 

ディーラーは駆け込み需要に合わせて、最多販売価格帯の小型・中型車を多く用意していたが、殆どは売り切れ、数台を残すのみであった。豊富なサービスオプションを含めた低価格、燃費のデータを説明され、夫人の心は大きく動いた。その場で購入するような勢いであったので、私は店員の男に聞こえるように、教授に電話して同意を得る必要があるでしょう、と言って、一時保留にした。もう一軒のディーラーをチェックする時間が、まだあったからである。

 

2軒目のディーラーでは、同じ車種が1台だけ残っていた。殆どの人々はすでに登録手続きに向かい、客はいない。店員も、男性が一人残っているだけである。夫人は実に無愛想であった。男性の話を聞こうともしない(すでに聞いた内容であるが)。横を向いて「Give me your price」と繰り返すだけであった。

 

店の外には同じ車種の車がずらりと並び、かなり低い価格が表示されている。私が尋ねると、それらはヨーロッパの工場で製造されているので、品質において日本車としてのメリットは無い、と店員は答えた。そして、何度目かの「Give me your price」に対して、黙って提示価格を紙に書いて渡した。もう一軒のディーラーと競合しているのは明らかである。価格は1軒目の提示額より数百ポンド下がり、5000ポンドを大きく下回った。

 

 

妻の決断 

 

   「ねえ、タロー・・・やっぱり、ダットサンがいいと思う?」

 

と、夫人は受話器を置いて私に聞いた。てっきり決まりかと思っていたら、土壇場で雲行きが怪しい。本当に教授に電話している。何度も試みたが、ずっと会議中である。今のようなプッシュホン式ではない。もちろん、リダイヤル機能もない。ダイヤルを手でジーコン・ジーコンと回し、一回ごとに時間がかかる。

 

夫人が受話器を置き、ため息をついて私に聞くたびに、私は「気に入ったなら・・・」とか、「自分で納得するなら・・・」と、ボールを投げ返していた。登録は夕方の5時までである。そろそろ間に合わなくなる恐れがある。彼女が受話器を置いた何回目かの瞬間に、

 

     「もう時間がないので、決めた方がいいですよ」

 

とせかした。しかし、それでも 「Yes, I know  ... 」 と言いながら、またジーコン・ジーコンとダイヤルを回す。そして時計を見ながら、

 

   「ねえ、タロー・・・やっぱり、ダットサンがいいと思う?」

 

              ・

              ・

              ・

 

どうしても、自分の責任にはしたくないようである。自分の判断で大きな買い物をしたことが無いのだ。とうとう私は根負けして、

 

     「そうですね・・・それでいいと思いますよ」

 

と言った。彼女の表情がパッと明るくなり、

 

         「じゃ、そうする!」

 

と素早く受話器を手に取り、2軒目のディーラーに連絡し、購入の意思を伝えた。そして車で駆けつけて契約を済ませると、文字通りその足で(走って)市役所に駆け込んだ。市役所は新車登録の人々で溢れ、駐車場は満杯との情報であった。

 

まだ列が長い。間に合うであろう。最後尾につき、息を切らして夫人と話していると・・・私の訛りは誰でも気が付く。直前の男が驚いて後ろを振り向き、

 

    「あなたたち、ここで何をしているんですか・・・  」

 

と悲しそうな声を出した。顧客の手続きの代行にやって来た、1軒目のディーラーの男であった。

 

 

 

「 ・・・たのは・・・♪♪  貴方のせいよ  ♪♪ 」

 

登録を済ませてY教授宅に戻ると、間もなく教授が帰宅した。私は夕食を御馳走になることになっていた。実はこの時、オトメとカメは日本に一時帰国しており、私はチョンガーであった。

 

夫が帰るなり、夫人はいち早く玄関に駆け付け、私が口を開く前に

 

    「ダットサンに決めたのよ!タローがそうしなさいって・・・」

 

と素早く伝えた。「ダットサン・・・?」と驚いた教授は、「タローが・・・」が繰り返されたのを聞き、私の方を向いて、

 

         「Oh, you are to blame !」

 

と言った。すかさず夫人が、晴れやかな声で嬉しそうに「Yes! he is to blame !」と続ける。ルンルンの笑顔で私を見つめ、「ね!」という表情である。彼女の粘りに敗北した。受験英語で習ったこの表現は、こういう時に使うのか・・・

 

    「(もし何か問題があれば)タローがいけないのよ」

 

という意味であろう。問題が起きる前に使える表現とは思わなかった。

 

 

夕食は(オトメが試食用に差し上げた)日本のカレールーによるカレーライスであった。長い一日ではあったが、私にとっては、英語表現を一つ覚えたことが、唯一の収穫であった。

 

いや、もう一つ・・・

価格交渉で最も効果的なのは、仏頂面で「 Give me your price 」を繰り返すこと。