ヒトらしさと数理２ - 物理屋の妄想タイム

何をもってヒトと見做すか

実際に、知性の発展段階から「人類」を定義するのは、なかなか微妙な話のようである。人類学者は、かつてヒトとサルを区別する基準として、道具を使用していたかどうかを重視していた。サルかヒトかわからないような骨が発掘されたとき、道具を使用していた痕跡があれば、ヒトと見なしていた訳である。

昔は火を使っていた痕跡があれば、決定的であると考えていた。しかし、道具や火の使用といった基準は、現在ではヒトの判定に採用されていないらしい。

これは、例えばサルでも道具を使用する場合があることがわかってきたからである。とくに集団の中では、道具を使用する習慣・知識が伝達され、共有されることもある。チンパンジーやゴリラが火を使ったという事例はまだ報告されていないが、これも可能性としてゼロではないような気がする。

もし言語を使用していた証拠が見つかれば、ヒトと見なすことに異論を唱える者はいないであろう。しかし、ゴリラは複雑な音声を発することができないものの、ボディランゲージで教えると、単語数にして150語程度の会話ができるようになるそうである。文明から離れた原始的な暮らしをしている人々が会話で使用する単語数は、大体300語程度らしいので、言語を判定基準に使うのも、案外難しいかもしれない。

神の概念とヒト

最近ではヒトと判定する基準として、宗教心が重視されているという話を読んだことがある。ネアンデルタール人と現生人類（クロマニヨン）は種が異なり、交配も不可能なほど遺伝子レベルで差があるらしいが、ネアンデルタール人は名称に「人」の文字が付けられているとおり、ヒトとして認知されている。

これを決定的にしたのは、発掘されたネアンデルタール人の若者の骨が、手斧と食料の肉を持ち、花の冠を着けて埋葬されていたことであった。「ヒトらしさ」とは何か、を追求していった結果として、ヒトとは宗教的・道徳的な存在である、ということが一つの結論として合意された訳である。

ネアンデルタール人は、クロマニヨン人ほどではないが、一定レベルの精巧な道具を作成し、使用していた。しかし、最近の研究によると、言語は持たなかった可能性が高いということである。上気道の構造上、彼らは複雑な音の変化を作り出すことができなかったらしい。

ゴリラの例を考えれば、言語において音声は不可欠ではない。実際に世界の幾つかの地域で、遠距離では口笛で会話する風習（言語）が残っているそうである。したがって、ネアンデルタール人が高度な言語を持っていたとしても不思議ではないが・・・いずれにしても、彼らがヒトとして認知された理由は、言語ではなく、「神」の概念であった。

私は、この点については、あまり賛同していない。「人類」の定義としてどうか・・・と言うより、正直なところ私は、人間らしい知性とは何かという問題には興味を覚えるものの、「サル」と「ヒト」を区別することに、さしたる重要性を感じていない。ヒトは他の動物と明確に異なるべし、というのはキリスト教的な発想で、ネアンデルタール人の判定に宗教を持ち出したのも、いかにもヨーロッパ人らしい。

私は、知性と宗教は無関係であると主張するつもりはない。人間は善悪の概念を持ち、これを発展させ、その過程で神の概念や芸術を生み出し、道徳的・文化的な存在となり得た。これが人間的な知性の中核であり、進化の必然的な方向だ、という主張は、個人的には賛同する。確かに、宗教はヒトらしさを象徴する特徴の一つである。

しかし、ヒトとサルを何とか区別しようとして、そのために宗教を持ち出すのであれば、あまり意味は無いと思う。進化によって知性が高度な方向に向かうのだとしても、ある象徴的な特徴を取り上げ、それを物差しにして、どこからが人間、という明確な線を引けるものであろうか。

数の概念とヒト

その意味では、数の概念もまた一つの物差しに過ぎず、これを判定基準とすることは、同じ批判を免れない。しかし数の概念の場合は、世界を定量的に把握する、新しい生命体が出現したという（象徴的ではない）具体的な意味を持つ。前回述べたように、数的な能力が人類を質的に全く異なる存在へと導いたことは、否定できない。進化の重要な分水嶺であるという意味では、これは神の概念の獲得より、ずっと大きな出来事であったと私には思える。

数の概念の獲得は、どの段階で見分けられるであろうか。動物は大小の差を、それなりの感度で見分けているので、定量的な判断能力は、生物進化のかなり早い段階でインストールされたとみるべきであろう。少なくとも不等号のレベルで、高等動物の本能は数理構造を有している。これが精密化され、等号を認識するレベルになれば、数の概念の誕生に近いと思うが・・・これに加減の演算が備わらなければ、数学者は同意しないであろう。

したがって、過去に生存した霊長類が数の概念を持っていたかを知ることは難しいが、ネアンデルタール人の場合は、道具を使用していたので、その作られ方を研究すれば、ある程度わかるかもしれない。

数の概念を持たなかったならヒトではない、と主張すると、考古学や文化人類学の人々は賛成しないかもしれないが・・・私は、彼らの知性は漠然とした大小判断のレベルにとどまらず、実際には数量性があり、さらに高度な論理性と、何等かの伝達手段による発達した言語を有していたと想像している。数量性や論理性、情報交換能力は、道具の作成や改良に不可欠と思われる。実際に彼らの脳は、現代人より大きかった。

なお蛇足であるが、最近の遺伝子の研究に基づき、ネアンデルタール人とクロマニヨン人は交配不可能ではなく、実際には交配し、現在の多様な人種の祖になったという説がある。これは数理的知性の起源にも関係する可能性があるが、また音楽など、その他の（非言語的な）知性の誕生にも関連する話かもしれない。近い将来、ネアンデルタール人の研究が進めば、また考えてみたい。