浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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英国人の色彩感覚1

 

 

環境は人の色彩感覚を支配する。

天候や自然の風景は、当然ながら影響する。そして私の印象では、それ以外にも、生活スケールの違いが、色彩感覚に大きく影響する。建物の大きさや道路の広さ、部屋の広さ、それによる人間同士の距離の違いなどである。見る距離が異なれば、色のバランスや模様の見え方にも差が生ずる。大きさと色彩は深い関係にある。

 

 

自然の色 

 

英国の自然については以前に書いており、また「英国の季節感」およびでも、少し付け足した。 

 

暗い冬が長い英国も、季節の良い時は別世界となる。郊外はすべて、グリーン一色で、その面積は広大である。 

 

市街地では、どこにでも芝生が植えられている。その面積も広い。家々の庭だけではなく、ホテルや公園、学校、教会などの公共の施設でも、黒い土がむき出しになっている場所は少ない。西洋芝は冬場でもグリーンの色を失わないが、夏場にはさらに庭木や街路樹の葉が加わり、体積的にも緑は多くなる。

 

背の高い街路樹には、ライムが多く使われている。どの町にも必ず、「Lime tree road 」と呼ばれる、日本のケヤキ並木のような道路が一本はある。私のお気に入りは、比較的背の低い、アーモンドの並木であった。日本のハナミズキにやや似ているが、この程度の高さの街路樹は、歩道の縁に敷かれた芝のグリーンベルトに植えられている。花が咲くとピンクの色が緑に映え、晴れの日の街並みは大変に美しい。

 

 

 

衣服の色 

 

このような環境の中で、衣服としてはどのような色彩が適するか? 

英国人は、洋服に無地の原色に近い色を使うことが多い。これは折柄に凝る日本人の衣服と大きく異なる。

 

そして子供や女性の衣装は、春になると、生地も色も、透けるような淡いものが多くなる。この季節の子供の姿は自然の背景に溶け込み、存在感が希薄で、消えてしまいそうに思える。妖精のようだ。

 

その中を、漆黒のアフリカ系が歩いて来ると、おそろしく存在感がある。これほどではないが、東洋人の黒髪も、なかなかの存在感である。

 

 

衣服における日本人の色彩感覚は、近距離の生活の中で発展してきた。「日本人は非常に高級な服を着ている」と、しばしば言われた。これは殆どの場合、日本を訪れ、その距離感の中で実感した人の印象である。日本人の服(特に紳士服)は色彩を過度に強調せず、折柄に凝っている。それは近くで見ることで認識され、そこで初めて、その精巧さと高級感に驚く。

 

しかし、この日本人の服は、環境のスケールが大きくなると、濁色にしか見えない。細かい折柄が災いして、ボロを纏っているようにすら、見えてしまうこともある。英国人は身なりで人を判断する習慣があるので、遠くから一目でわかるような、はっきりした色の服が無難である。 

 

私の場合、最初は典型的な日本人の服装であったが、これがトラブルの原因になり得ることが、次第に分かって来た。例えばレンタルショップで、理由を告げずに製品のレンタルを断られたことがあった。 銀行に口座を作る際も、Y教授が同伴でなければ、断られていた可能性が高い。

 

そこで私は、外出する際には、オトメの父親にプレゼントされた上着を着用するようにした。濃いグリーンのベルベットで、非常な高級品であったが、余りの派手さに、日本では出番の無かった服である。服飾関係の仕事をしていた義父は、特殊なルートでこの生地を入手し、(家族の反対にもかかわらず)こっそりテーラーにオーダーした。彼は結婚前に私のためにスーツを注文していたので、テーラーはその際に私を採寸していた。

 

それが役に立った。着用したところ、その効果はてきめんで、人々の対応は驚くほどの変わりようである。漱石先生には申し訳ないが、日本人は海外では、赤シャツを着る程度で、丁度良いようである。

 

 

 

色のジェンダー

 

赤シャツの話が出たついでに、日本人に特有と思われる色彩感覚の話をしよう。

 

帰国して日本の大学に勤務するようになってから、私より数年遅れて、カナダで長年研究を続けていた女性が、別の学科に着任した。年度最初の学部教授会で、彼女は私の隣の席に座り、赴任の挨拶をした。教授会の解散後、歩きながら会話をしたが、私が英国帰りと聞いて、彼女は小声で

 

     「この大学のトイレ、ひどいですね・・・ 

      先生は最初、お困りになりませんでした ?」

 

と私に同意を求めた。

 

衛生状態の問題かと思ったら、そうではない。この大学のトイレには、男女それぞれの出入り口に(西部劇の酒場のような)腰高のスウィングドアが設置されている。そして男性・女性の表示はどこにも無く、このアクリル製の扉が、グリーンとオレンジに色分けされていた。

 

私は何の抵抗もなく、最初から色の違いを性別の違いと捉えていたが、この先生は長い海外生活で、その感覚を失くしていたのである。

 

 

色に性別があるのは、日本だけであろうか?

 

その後、色々な国の人々に何度か尋ねてみたが、暖色系・寒色系などの感覚は多くの国々で共通しているものの、色に性別を感じる人々はいなかった。男性の赤シャツや赤いセーターは、ごく普通である。

 

ただ「幼児色」という感覚は、多くの国々に共通しているようだ。ピンクや淡いブルー、黄色などが、子供の色として、玩具や幼稚園の建物などに使われる。

 

 

 

ちなみに、年齢ということで言えば、子供は赤い色を好むという話を聞いたことがある。この話は、私には良く当てはまっていたので、大いに納得した。子供の時には、赤鉛筆や消防自動車、郵便ポストなどは、大いに私を惹きつけた。そして小学校に入学する時、赤いランドセルを欲しがり、両親を困らせた。幼稚園に通っていなかった私は、男の子が赤いランドセルでは、なぜいけないのか、理解できなかった。

  

精神年齢が低いせいか、私は今でも赤い色を好む。

赤シャツも1枚持っている。 

 

 

 

 余談:戦闘服 vs フリル

 

年齢の話の続きになるが、以前、「日本人の亭主」に登場してもらった御近所のブラジルの奥さんは、英国人女性の服装を「子供みたい」と笑い、オトメに同意を求めていた。

特に、多用されているフリルについて、「あの『ひらひら』は、何のつもりかしらね」と軽蔑口調であった。オトメは例によって、スマイルでかわしていたが・・・

 

上にも書いたように、英国女性の衣服は、特に春になると、生地も色も透けるような淡いものが多くなる。これは確かに、子供の服装と似通っている。細かいフリルなどの装飾も女の子の服装に多く見られるので、紳士服に比べると、子供服との共通点が目に付く。彼女の眼には、これが滑稽に見えたのであろう。

 

彼女はルーツがアフリカ系の女性で、やや褐色の肌であった。そして普段の出で立ちは、迷彩服に皮のブーツを履き、そのままマシンガンを携えて戦地に赴けるような、勇ましいファッションであった。当時のブラジルの流行だったのだろう。

 

あるとき私達は、大学主催のパーティで同席した。招待される機会が多いことを承知していたオトメは、日本を出るときに、ワンピースの訪問着を数着持って来ていた。

 

この席に、ブラジル夫人は普段の迷彩服姿で登場した。

 

英国人は自由なライフスタイルをモットーとするが、フォーマルな席は区別する。彼女のファッションは異彩を放ち、話しかける人も少なかった。

 

自分が完全に浮いていることを自覚し、さすがの彼女も気後れして、私達をちらちらと見る。オトメの服装は、微かに日本的な香りがするものの、ところどころにフリルもあしらわれ、英国女性と大きくは変わらない。周囲に自然に溶け込んでいた。

オトメにも裏切られ、彼女はかなりショックを受けた様子であった。

 

彼女はスカートを履き、女性用のシューズを着用するようになった。

不慣れな出で立ちで、いかにも居心地が悪そうである。長くは続かなかった。

彼女には、やはり戦闘服とブーツが似合うようであった。

 

 

(続く)