統計の虚実2
「統計の虚実1」から続く
「統計」の話とは言えないが、やや関連する確率の話をしよう。
恐縮ながら、再び長男の話題である。
前回の記事から遡ること、およそ10年前であるが・・・
長男至上主義と人口比
ある小説家が 週刊誌に、軽い娯楽記事を連載していた。
大方は「随筆」というより、私のブログと同程度の予田話である。作家仲間の裏話や、その他諸々の雑談であった。
ある男性作家が、冬の季節に外出する際にズボンをはき忘れ、「ももひき」の上にオーバーコートをはおり、そのまま山手線に乗ってしまった・・・など。
ある時、この作家が次のように書いた。
「日本人の夫婦は長男至上主義で、男の子を欲しがる。最初に生まれた
子が女の子であるとがっかりして、次を期待して第2子を生む。それ
も女の子なら第3子・・・という具合に繰り返す。そして、男の子が
生まれると、たとえそれが第一子であっても、満足して次に子供を作
らない夫婦も多い。このようなことを日本中が続けていると、男女の
人口比にアンバランスが生じ、男ばかり増えるので、好ましくない」
というのである。
この号が発売された翌日から、続々と膨大な数の抗議が編集部に寄せられ、作家氏は翌週の記事で謝罪するはめになった。抗議の内容は、殆どが一致して、次のようなものである。
「一回ごとの出産で、男女はそれぞれ1/2の確率で生まれてくるので、日本中
の第1子を集めてくれば、半数は男性、半数は女性である。第2子だけを
集めても同様、第3子だけを集めても・・・したがって、どこで出産を止め
ても、男女の人口比にアンバランスは生じ得ない」
私は当時大学生であったが、日本の公教育における数学のレベルの高さを実感した。正確な人数は覚えていないが、投書数は数千以上の膨大なものだったそうである。
これだけ多くの日本人が、正しい母集団の選び方を理解し、数理的な判断を素早く行っている。私自身を含めて、このような娯楽記事の愛読者層が、知識人集団だった可能性は低いと思えた。また、この週刊誌の性格から言って、読者の多くが理系であった可能性も低い。
今、これと同じことが起こり得るであろうか?
そうはならない気がする。
前回に紹介した長男優位の新聞記事は、この週刊誌の記事から10数年後であったが、私の記憶する限り、この新聞記事には反論の投書は無かったようである。
新聞社が投書を無視した可能性はあるが、私には2つの記事の間に、日本の公教育に不可逆的な変化が起こったように思えた。丁度、週刊誌記事に前後して、大学入試の全国一斉テスト(共通一次)が導入された。10年の歳月は、影響が顕著に現れるほど長くはないと思われるが、それでも人々の反応は変わっていた。今では、数量的な問題に関する人々の嗅覚は、さらに鈍くなっているのではないか。
ちなみに、私の読んだ週刊誌と新聞は、同じ出版社から発行されている。
補足
この作家先生は、すでに亡くなられたが、偉大な小説家であり、私は尊敬している。
週刊誌の戯れの連載とは全く異なり、重いテーマの多数の作品を発表され、多くが英訳され、世界中で評価されている。
蛇足
冒頭の話は、視点を変えて提示すると、印象が正反対になる。
2頭の馬だけが走る競馬場があった。ギャンブル狂の男が、これなら勝てる、とばかりに、大金を一頭につぎ込んだ。あえなく沈没し、次も賭ける。勝つまでやる覚悟である。勝てばやめる。
すべての人がその意気で賭ければ、トータルでは勝つ人が多くなり、競馬場は経営破綻するであろうか?
私の印象では、競馬場は大儲けするような気がするが・・・
もちろん、どちらの印象も間違いである。どのレースも、勝ち組と負け組は50%ずつである。
ただし有限の世界での話なので、ゆらぎがあり、どのレースも厳密に50%ずつではない。特に、最後に行われるレースでは、勝者が100%となる。
その点では、冒頭に紹介した作家先生の考察は正しい。
なお、印象には個人差があるようだ。元のままの話をすると、「男の子ではなく、女の子が増えるような気がする」という人が、相当数いる。
蛇足の蛇足
競馬で必ず勝つ方法がある。
レースで負ければ、それまでに負けて失った総額の2倍を、次のレースに賭けるのである。2倍ではなく、3倍でも4倍でも良い。
そして、勝つまでこれをやり続ける。
これは絶対に損をしない。
永久に負け続ける確率は、ゼロだからである。確率1で、かならず勝てる。
負け続けるほど、最後に手にする金額が大きくなる。
もちろん、これは無限の世界の話である。有限の世界では通用しない。
資金も時間も無限に持つ人にのみ、あてはまる話である。
無限世界で成り立つ投資理論を、有限の世界に適用し、見事に失敗したのが、リーマンショックであった。