浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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ヒトと集団3 ー オトメの場合(前編2)

 

 

前回から続く

  

・・・オトメはどちらの会とも友好的に交流を続けた。

 

 

住宅と優先順位 

 

大学に赴任した当初、私達がオトメのピアノの置き場所に困り果てていたことは、別の記事に書いた。当初は借家を探していたが、ピアノを置ける貸家は全く見つからない。唯一見つかったのは医者の個人宅であり、家賃は非常に高く、かつ2年間という条件付きであった。

 

不動産屋を訪れるたびに、「購入されてはいかがですか」と言われ、「冗談じゃない」と思っていたが、いろいろ知るようになると、地方都市は借家の方が高くつく。これはどうやら、本当に買うしかないのか・・・と考え始めるようになった。頭金はゼロであったが・・・

 

大学教官の夫人が中心の会では、丁度この時、メンバーの何人かが、家の購入を考え始めていた。そこで1人が地元の建築家を連れて来て、彼が手がけた家を見学し、話を聞く機会が企画された。

 

ここで、私達と他のメンバーとの価値観の相違が、鮮明になった。

 

この建築家は、「家族の交流のため、階段はリビングの中央に作るべきだ」などをはじめとする、独特の主張を持っていた。またコスト削減とシックハウス対策のため、壁紙を貼らずに、薄いべニア板の表面を剥き出しのままにするなど、「見かけより実質」を強調する環境派であった。その考え方は、会にかなり浸透していた。

 

これらは残念ながら、私達の優先順位とは異なる。実質は重要であるが、私達は、見かけをあまり犠牲にできない見栄っ張りである。常に実質を優先する覚悟はできていない。

 

空気が絶えず流通する「呼吸する家」も彼の主張であったが、いくら健康に良いと勧められても、見学した家はいずれも、隙間風が絶えず入り込み、私達には(とくにこの地方では)寒すぎた。

 

家族間については・・・それまで階段のある家に暮らしていた期間も長いが、その位置とは関係なく、家族関係は良好であったように思う。いずれ破綻する時を迎えるものなら、階段の位置を変えて、どうにかなるものではないだろう。

 

それより私達は、家族関係にはプライバシーの確保が重要と思っている。息子が反抗期を迎える年頃になれば、なおさらであろう。喧嘩をした翌日にも無理やり顔を合わせるなら、むしろ関係を悪化させるかもしれない。

 

そもそも、この建築家は私達の最優先である防音の要望について全く耳を貸さないので、私達の家を任せる訳には行かなかった。

 

 

ある幸運

 

見学会の直後であるが、私達は週末の買い物に出て、ある住宅メーカのモデルハウスの近くを通りかかった。ここで中を覗き見た時が、別の記事に登場してもらった営業マン氏との最初の出会いであった。

 

私達がピアノで困っていると話をすると、「このモデルハウスは近く、大幅な割引で移築販売される」予定であり、そのための抽選が行われるので、応募してはどうか、と強く勧められた。

 

移築と言っても、鉄骨と付帯設備以外はすべてを新しくするので、新築と変わらないとのことである。間取りは変更できないが、1階の和室の広い床の間と大容量の収納をつぶせば、グランドピアノと応接セットを収容できる洋室がとれる。

 

抽選に外れた応募者には、新築すれば100万円の値引きが適用される。つまり、客引きセールである。

 

応募するためには、100万円のデポジットが必要であった。当選しなければこれは返却されるので、現金を用意できれば問題ない。しかしさらに、「この展示場物件を移築できる広さの土地を所有していること」が条件になっていた。私達は該当しなかった。

 

が、営業社員は「土地はあとで考えましょう」と言って、私達をこっそり応募者に加えてしまった。私は「万が一当選した場合には、ピアノを収容する部屋の防音を実費で請け負う」ことを約束してもらった上で、辛うじて100万円の現金を捻出した。それまで貯蓄をする余裕が殆ど無かった私達には大金であったが、赴任手当が前任地からの距離に比例していたので、これで何とかなった(地球を半周したので、ほぼ最高額が支給された)。

 

そして・・・オトメの神通力は、数十倍の倍率をも凌いだ。

 

    ちなみに、私達は金融機関から融資を得る上で、予想外の困難に直面した。当時、日本の

    銀行は融資の審査を行う際、現在の収入でなく、過去2年間の収入実績を重視していたが、

    私の英国での収入は基準に満たなかった。低賃金に加え、ポンドの暴落のためである。

    本来なら、この段階ですべて御破算になるところであったが、住宅会社はすでに当選者を

    発表しており、振り出しに戻すことを望まなかった。結局、重役の一人が個人的に保証人

    を引き受けることで、この会社のメインバンクから融資を受けることができた。

 

    その後会社は、新しい展示場物件を完成させ、このときオトメは、この重役から、宣伝の

    ための地元のテレビ番組へ出演することを依頼された。一回限りの無料出演であったが、

    多少の御恩返しができた。

 

 (続く)