浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

~記事へのコメントは歓迎です~

学位の互換性と国際的信用

ヨーロッパのディプロマ制度

 

日本では良く「ドイツの大学は非常に厳しく、卒業できるのは入学者の1/3程度である」と紹介されてきた。しかし、ドイツが特に厳しいということはない。

 

ヨーロッパのほとんどの国は、単位の取得認定と、(日本の卒業研究にあたる)ディプロマの取得を区別している。単に必修科目単位をすべて取得し、取得した単位数が規定数を上回れば卒業証書が与えられる、ということではない。ディプロマを取得しなければ、大学卒業とは見做されず、もちろん大学院には進学できない。

 

日本の卒業研究にあたると書いたが、ディプロマの課題に取りかかる前に関門がある。指導教官の研究室に配属されるためには、単位認定とは別に定めた基準を、満たさなければならない(一般には卒業試験の合格が必要である)。これが厳しいため、卒業者の割合が低いのである。私の知る範囲では、多くの国々で、ディプロマ取得者の比率は1/3よりずっと少ない。

 

私が研究員をしていた英国の大学の物理教室に、ドイツの大学で単位を修得した学生が半年間滞在し、研究を行っていた。彼はその研究成果でディプロマを申請し、ドイツの大学院に進学したいと言っていた。資格さえあれば、ディプロマ研究はどの大学で行っても良いようであるが、外国でも良い、というのはやや驚きである。研究をまとめるだけでなく、その間に英語を習得しようと考えたのであろう。

 

私たちの建物は、夜間に出入りできるのは裏口のみであり、ノートに入出の記録を残さなければならなかった。記録を見ると、彼の入室は常に早朝の5時半前後、退出は夜の11時半前後で、土日も平日と変わらない日が多かった。

英国にはディプロマ制度がなく、卒業はやや緩やかであったので、ドイツの厳しさに誰もが驚いた(英国の制度については、別途、詳しく紹介する)。もっとも、彼はドイツ人としても例外的だったようで、先方の教授が本当に半年間の仕事かどうか疑い、問い合わせをしてきた程であった。

 

 

 

 

フランスの「大学改革」

  

ひところは「日本の教育レベルは高い」という神話のおかげで、日本の大学の卒業証書は、無条件でディプロマと同等に扱われていた時期があった。果たして今はどうであろうか。 

 

自分の国の学歴が、他の国々の学歴と等価と見做されなくなると、どうなるか?

これはヨーロッパで、現実に起こったことである。事の発端は、遠い昔のことであった。

 

 

 

私が大学に入学した1960年代の末は、大学紛争の頂点の時期であり、首都圏では2校の国立大学の入学試験が中止されるなど、大きな混乱があった。そのころ、ヨーロッパの大学でも、大学紛争が同時多発的に発生した。これは「怒れる若者たち - Angry Young Men - 」の時代と言われた、世界的な潮流である(呼び名は、その10年前から始まった英国の若手作家たちの活動にちなんでいる)。

 

多くの国々で、学生は大学の権威主義に反発し、民主化の要求を掲げた。それらの一部は、知識人も同調するなど、反論しがたいものがあり、その結果、西ドイツですら、教授の採用に大学院生が投票に参加するなど、大きな変革が行われた。

 

フランスでは1968年の「5月革命」がドゴール政権を覆し、後のミッテラン社会主義政権の誕生につながったと言われている。 

しかし、そのフランスでは、それから10年以上も過ぎ、ミッテラン政権の時代になってから、学生が再び立ち上がり、試験制度の改革を含む「大学改革」の要求を、政府に突きつけた。

そしてこれらの要求の多くは、怒れる若者世代とは異なり、要するに「簡単に卒業させろ」という、民主化要求に名を借りた「大学の楽園化」の要求であった。

 

大統領は警官隊の放水車を出動させてデモ隊を蹴散らし、厳しい態度を見せたが、左翼的な政権は結局、主な支持層であった若者の要求の多くを受け入れ、入学試験を撤廃するなどの政策を実行し、これが大きな転換点となって、フランスの国立大学は、じわじわと変貌していった。

 

先ほど、ヨーロッパの大学は卒業が難しいと書いたが、フランスは例外となった。

国内のすべての大学がそうなった訳ではなく、またフランスには大学以外にも名門の高等教育機関があったが、少なくともパリ大学など、多くの大学が権威を失墜させた。そして、影響は初等・中等教育に及び、フランスの教育制度は複雑化し、ずたずたになった。

 

 

その後、ヨーロッパにEUが立ち上がり、フランスの大学がEU内の他の大学と自由競争にさらされたとき、問題は噴出した。

他の国々の社会は、フランスの大学の卒業証書を自分たちのものと同等と認めず、EU内でフランスの国立大学の卒業証書は、紙切れ同然となったのである。

 

 

 

経済統合と学歴危機

 

フランスの大学を卒業した若者は、EU各国での就職が難かしくなり、フランスにやって来る留学生は減少した。さらに信用低下による学歴インフレが起こり、国内でさえ、多くの大学の卒業証書は価値を失った。

 

価値を失わなかったのは、ソルボンヌなど一部の名門大学、高等教育機関のみである。それらの新卒者は希少価値である。国内企業は、22歳の若者に年俸3000万円を超えるオファーを提示するなど、卒業生の争奪戦を始めた。他方、一般の大学の卒業生は、大半が良くて非正規雇用、中には、博士号を取得しても全く企業に職が無い、という状況が出現した(これらは何年か前に日本でも報道され、話題になった)。

 

そうなると、移動は自由なEUである。フランス国内の若者は、優秀な者ほど国内の大学を嫌い、国外の大学を選ぶようになる。まさに自国の通貨が信用を失う通貨危機に似た様相を呈してきた。これは通貨危機ならぬ学歴危機である。経済の統合は、必然的に様々な資格まで、基準の統合に向かわせる。

 

 

実は英国も、やや危ない状況にある。別のところに述べるが、英国は学部も大学院も、高等教育の期間が非常に短い。他の国々と歩調を合わせていないので、少なくともヨーロッパ大陸の大学関係者の間では、英国の学位を同等と見做さない空気が強い。

このようなことは英国人には話さず、他の国々の人々が集まった時、こっそり語られる。英国で博士号を取得したばかりの若い研究者をポスドクに採用しても、使い物にならないから、採用しない方が良い、というのである。実際に私も、大陸で英国人のポスドクに出会った記憶は無い。

 

 

私が滞在していた頃、日本人の研究員はどの国でも歓迎されており、これは今も続いていると思うが、今後はどうであろうか。フランスや英国のような状況は、近い将来、日本でも現実となる可能性がある。実際に、日本の大学の国際的な評価は、全体として低下傾向にある。

 

進学熱の高い日本の社会は、実質は学歴があまり通用しない社会である。人々は大学教育の内容に信頼を置かず、企業の採用担当は「学力より人物」を当然とする。

国民が信頼を置かないものが、国際社会で信頼されるはずはない。今後、国際社会での仕事を考える者は、語学力とは別の問題で、海外での進学を余儀なくされるかもしれない。その傾向は、すでに現れている。

 

フランス政府は危機に陥るまで、自国の学歴の価値は(通貨の価値と同様に)国が守るべき国民の財産である、ということに気が付かなかった。

国際社会において、学歴は国家による人材保証のパスポートとして機能する。国際水準に合わせなければ相手にされない。

実際に、途上国の学歴は、先進国と同等とは見做されていないので、国際的な機関で仕事をする途上国の人々は必ず留学している。また、そうしなければ、国内でもキャリアを築けない。

 

進学のための勉強は真の勉強と異なる」などと、呑気なことは言っていられない時代である。