浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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英国の食事3-昼食

 

前回の記事で、大学キャンパス内での昼食の様子を少し紹介したが、英国での昼食は基本的にキャンパス内に限られていた。ヨーロッパでは一般に、学外での昼食の選択肢は乏しい。とくに英国では皆無と言えた。

 

日本の大学でも学内に食堂があり、学生も教官もこれを利用するが、大都市圏では大学周辺に外食産業が展開され、賑わっている。地方大学ではややヨーロッパに近い場合があるが、私の勤務した大学でも、周辺の外食産業は大都市並みだった。

 

 

簡素な昼食

 

英国の大学の周辺に外食産業が発展しないのは、なるべく昼食を簡単に済ませる彼等の生活習慣と、入学と同時に親から経済的に独立する伝統(社会制度)のためであろう。

 

とくにキャンパス内の寮に住む学生たちは、学食すら、あまり利用しない。昼休みにキッチンで簡単な昼食を済ませる。多くの場合、チーズや缶詰、ピクルスなどをパンに挟むだけである。彼等の奨学金は、それでぎりぎり生活が成り立つ程度で、アルバイトをする時間的な余裕は無い。

  

 

英国人の多くは職住接近しているので、御夫人が専業主婦である男性の場合は、家で昼食をとることもできる。大学院時代の私の恩師であるW教授は、若い頃、訪英してこの大学に滞在し、Y教授から平日の昼食に招待されたことがあった。

 

それなりの服装で訪問したところ、食卓に出てきたのは、オーブンで焼かれた皮付きポテトであった。メルトチーズがかかり、綺麗な皿の上に置かれ、ナイフ・フォークと共にサーブされた。

 

「変わったスターターだな・・・」と訝りつつポテトを平らげると、その後はデザートとコーヒーだったそうである。

  

自宅の食事でも、英国人の昼食はやはり簡素である。 

 

 

 

G博士の豪華弁当

 

キャンパス内に住んでいた当時、昼食時に私は家に帰ることができた。が、交流のため、キャンティーンのフェローコーナーで食事をとることも多かった。前回の記事で紹介したように、ここで注文出来るのは、スープと丸パン(とビール)だけであるが、教室の多くのメンバーが、ここを利用していた。

 

丸パンは、少し大きめのハンバーガーサイズと思えばよい。殆どの人はこれを上下2つに分け、間にバターを塗る。パンは厚い。C教授は逞しい手で上下から圧力を長時間加え、平たくして口に運んだ。スープは大鍋に入っており、巨大な「おたま」を使って自分でサーブする。スープをとらず、パンだけで済ませる人もいた。これなら、昼食代は100円程度である。

 

1人だけ、ここに弁当を持ち込み、比較的豪華な昼食をとる人がいた。私の敬愛するG博士である。 

 

最初にこれを目撃した時、私はこのレベルが豪華弁当に属するなどとは、考えもしなかった。英国流の簡素な食事の一つとして、まだ日本にいたオトメに手紙で紹介した。1回なら普通のお弁当と言えるが、連日、完全に同じ内容なのである。

 

サイズを揃えた薄いパンのサンドイッチは、オレンジ色のアイリッシュ・チェダーチーズ(これは日本でも一般的になりつつある)とトマトの薄切りを挟み、タッパウェアーのボックスに綺麗に並んでいる。

 

奥さんはかなり几帳面な人だ・・・と思ったが、自分で用意しているらしいことが後に判った。サンドイッチの他に、ニンジンとセロリを賽の目に細かく刻み、ドレッシングと混ぜ合わせたサラダのボックスが別にある。

 

弁当を持参するか否かは別にして、ここで昼食を取る人は365日( - 休日数)、同じ食事である。スープは日替わりという事だったが、私には前日とどこが変わったのか、全く解からなかった。

 

 

食後のコーヒー

 

スープ、丸パン、ビールしか注文できないと書いたが、もちろんティーとコーヒーはサーブしている。誰でも、食後にどちらかを注文する。

 

英国人の誇る「お茶」は、さすがにそれなりの品質である。しかしコーヒーは・・・

 

英国のコーヒー・メーカーは、大容量であった。豆が切れると、彼等は大袋を開けて大量の豆を巨大なマシンに補給する。そして最初の5,6杯をシンクに捨てる。

 

マシンの方式は良く解からないが、新しい豆の「一番煎じ」をなぜ捨てるのか・・?

 

その直後の最初の一杯にあたった時、理由が判った。カップに注がれた褐色の液体の表面には、かなり広い範囲に透明な油膜が拡がっている。どうも最初の数杯では、全表面が油膜で覆われるほど油が出るようだ。

 

植物性の油脂は、どの植物にも多かれ少なかれ含まれる。コーヒー豆もこれだけ大量に煎じれば・・・と思ったが、どうも匂いがコーヒーらしくない。どちらかと言えば、機械油に似ている。まさか・・・と思いつつ、私は透明な油膜をスプーンでソーサーに掬い出し、奇妙な香りの液体を啜った。透明と思った油は、やや黄ばんでいた。

 

ケンブリッジに滞在していた私の友人(物理屋)にこの話をしたところ、彼は苦笑しながら「あれは人間の飲むものじゃないよ」と言って、自分は外では紅茶しか飲まないようにしている、とコメントした。ちなみに、スイスでの人々の反応は「イギリスのコーヒーだって? ありゃ dirty water だよ」・・・であった。

 

 

余談:G博士の思い出

 

G博士は、私の兄のような存在であった。大学院時代に熱心に勉強した本の著者であったので、最初から親近感を持っていたが、その研究スタイルに大いに惹かれた。そして私に対して常に親切であり、気を配ってくれた。とくに、彼の英語は聞き取りやすかった。

 

物静かな彼の人柄とライフスタイルは、英国人気質の一つの典型のように思える。が、「貴族趣味」あるいは「スノーブ」と感じる人々もいたようである。

 

理想の住まいを手に入れるため、頻繁に引っ越しを繰り返す。私の滞在中にも2度、住まいを変えていた。2度目は、Y教授の次男が通う学校の数学教師と再婚し、新居を構えた時である。離婚した当時は、気の毒なほど落ち込んでいたそうである。破綻したのは、研究者同士の結婚生活であった。

 

テニスの名手との評判であったが、ひじの故障でコートに立つことがなくなり、趣味のバードウォッチングとカメラ撮影のため、郊外のビレッジに築300年の広大なファームハウスを購入した。週末に自分で床を貼り、壁を塗り直し、1年以上かけて美邸に仕上げていた。ディナーに招待された時は、まだ一部屋だけがリフォーム途中であった。

 

研究においても理想主義的であった。納得の行く段階でなければ論文を発表しない。形式を気取ったものではなく、純粋に内容的に美しかったが、論文の数で評価する最近の風潮に馴染むスタイルではなかった。

 

話し方は単純で無駄が無い。そのため、多くの人々(とくに日本人)には、とり済ましたように感じられたかもしれない。嫌味も他意もなく、率直なだけであったが・・・

ゼミナールの担当中、人々の疑問に私がうまく答えられず、切れ切れの言葉で何とか説明していると、「Yes, he is right.」と短い言葉で助け舟を出し、そのまま話を進めるように促したことが何度かあった。彼の学識の高さは万人の認めるところで、人々は十分に納得していなくとも、先に進むしかなかった。

 

 

貴族趣味とは言えるのかもしれない。 家にはピアノがあった。自分で弾いたようである。ディナーを終えた食後のコーヒーは、英国で体験した唯一の「普通のコーヒー」だった。豆を購入した店を教えて欲しいと尋ねると、市内の「自然食品店」を教えてくれた。日本食も含めて高級品ばかりを扱う小さな店で、それ以来、私達も日本と同レベルのコーヒーを楽しむことができた。

 

 (続く)