浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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奇跡のリレー 1

届けられたメモ

「ハロー、ドクター・ウラシマ !」と帽子をとり、にこやかに挨拶した制服姿の初老紳士が、私の勤める大学で時々顔を合わせる主警ガードマンであったことを思い出すまで、しばらく時間がかかった。

 

金曜日の夕方、いつもより早めに帰宅していた私が、玄関のチャイムに応じてドアを開けた時のことである。すでに夕食の時間帯であったが、夏のことであり、外は明るかった。緑の木々と木漏れ日を背景にした、はにかむような彼の笑顔と大きな姿を、今でも鮮やかに思い出すことができる。

 

彼は私に3枚の紙片を差し出し、丁寧な口調で「もしや貴方の大切なものではないかと思って、届けにきました」と告げた。

 

それは、私自身まだ失くしたことに気付いていなかったメモであった。

 

その日の午後、私は街に出て郵便局で手紙を出し、そのまま週末の買い物を済ませ、大学へは戻らずに直帰していた。ガードマン氏の説明は次のようなものであった。私はこのメモを残して郵便局を出てしまった。やがて局員の女性がこの紙片に気付き、人々に声をかけて所有者を探したが、該当者がいなかった。彼女は急いで外に出て周囲を見回したが、誰の姿もなかった。

 

その後、郵便局内では局員や客の何人かが額を寄せ合い、何が書かれているのかを確かめようとした。彼女は手紙であると想定して、室内にいるすべての外国人に見せたが、誰しも「見たことがない言葉だな」と言うだけで、書かれている内容も見当がつかなかった。

 

そのうち誰かが、所々に等号らしきものがあることから、「これは言葉ではなく、数学の記号ではないか?」と言い出し、それならば大学の人が忘れたに違いない、ということになり、そこに居合わせた御婦人が、帰りがけに車で、大学ゲートの守衛室まで届けてくれた。

 

 

所有者が判明して・・・

ゲートの守衛さんは、これを数学教室に届けた。

 

多くの研究者は帰宅してしまっていたので、全員には照会できなかったが、何人かの秘書さん達が残っていた。彼女たちは日ごろ論文や手紙をタイプしているので、人々の筆跡をよく知っている。が、彼女たちには、該当者の心当たりがなかった。

 

もはやこれまで、と思われたが、念のため最後に、物理学教室に持ち込まれた。

 

そこで秘書さん達が口をそろえて「あー、これはタローの字だわ」と言って、ようやく所有者が判明した。

 

彼女達はすぐ私の部屋に持って来たが、私は不在であったので、ガードマン氏が呼ばれ、部屋の鍵を開けて、机の上に紙片を置いて帰ろうとした。

 

ガードマン氏は、しかしこう続けた。

 

「そこで私達は少し相談したわけです。もしかしたら、貴方がこれを探し回っておられるのではないか、と。金曜日の夕方でしたので、貴方は研究室に戻られない可能性が強い。机の上に置いたのでは、貴方の手に戻るのは月曜日の朝になってしまう。これでは研究に支障が出ることでしょう。住所を伺ったところ、たまたま私の家と同じ方向だったので、帰りがけに寄らせていただきました。やはり帰宅しておられたのですね、机の上に置いて帰らないで良かった・・・」。

 

私がガードマン氏に深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べたことは言うまでもない。

 

(続く)