浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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奇跡のリレー 2

前回から続く

 

街の中で紛失した所有者不明の計算用紙が、わずか2時間のうちに自宅まで届けられたのである。私の仕事が、この社会でこれほど大切に扱われているとは、思いもよらぬことであった。この事件は、それまで英国の社会のあり方、とくに教育について批判的であった私に大きなショックを与えた。

 

英国の教育事情

私の目に映っていた当時の英国の教育は、まさにボロボロと言える状態にあった。政府は工業立国を唱えながら、大学教育を受けられるのは国民の数パーセントにとどまり、学部教育は促成栽培の3年間。大学院はといえば、学部卒業から博士号取得まで僅か3年間という、これも促成栽培の短期コースである。

つまり博士号を取得しても、内容・年数ともに日本の修士課程と実質的に同等であり、高度産業を支える人材の人口比は、日本に比べて2桁以上少ない。英国では大学院生に占める外国人の割合が高いので、実際の差はそれ以上である。

 

中等教育はさらに深刻で、高等学校で終える人々の平均的な教育水準は、高く見積もっても日本の中学2年生程度であろうか。30歳に近いある男性失業者が、就職活動のためにOレベル(ordinary level;高校卒業の認定試験)の数学を受験したいということで、親戚の経済的援助を得て私に家庭教師を依頼してきたことがあった。学力は日本の小学3年生程度であり、私はどうにもできなかった。

 

大学受験には日本のセンターテストに近いAレベル(advanced level)に合格することが必要であり、Oレベルはかなり初等的な水準に設定されている。それにもかかわらず殆どの卒業生は、この認定試験を受けずに学校を去るのである(有名な話ではダイアナ妃もOレベルを取得していなかった)。そのような状況であるので、Oレベルの数学に合格すれば、確実に良い仕事が得られると言われていた。

 

教育をはじめとする様々な英国社会の問題は、人々の目にも次第に明らかなところとなり、当時絶好調であった日本の経済力に対する羨望の念が、社会全体に芽生えていた。テレビや新聞は連日のように日本特集を組み、日本の教育を紹介していた。そしてその反動として生ずる盲目的な英国礼賛の風潮、隠された東洋人蔑視の感情に、私は冷ややかな感情を抱いていた。

 

日本ならどうなる?

 

しかし私は、この状態でなぜ英国社会がそれなりに機能しているのか、その理由を垣間見た気がした。

 

日本で事実上の義務教育と言える高等学校を卒業した人であれば、計算用紙の微分記号や積分記号を見て、「見たこともない言葉だな」と言う人はいないであろう。この部分だけを取り上げれば格好の笑い話である。

 

しかし日本であれば、一連の過程のどこかで、紙片が屑篭行きとなったことは間違いない。紙片を見た郵便局員が所有者を室内で探してくれるところまでは考えられるとしても、その後はどうであろうか?局員とともに額を寄せ合って考えた周囲の人々、大学の守衛室まで届けてくれた御婦人、数学教室に直ちに届けた守衛さん、数学教室・物理教室の秘書やスタッフの方々、そしてもちろん、家まで届けてくれたガードマン氏その人。

 

これほどの善意のリレーが次々と起こり得るであろうか。紛失した場所が大学の構内であっても考えにくい。街の中であれば、「嫌なものを見てしまったな」などと思う人も多いかもしれない。国民の全員に微分積分を教えながら、日本の教育は、文化として何を普及したのであろうか。

 

この話には長い後日談がある。

 

(続く)