浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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奇跡のリレー 3

前回の記事から続く

 

保管していたメモから

実はこの計算メモは、私にとって特に重要なものではなかった。失くしていたことさえ、気が付かなかった程である。少し気になることがあったので、確かめるために行った計算であり、私はこのようなメモは、自分が納得した時点で捨ててしまうことが殆どであった。

 

これは私の悪い習慣であり、研究者としては極めて不心得である。しかし、このメモの場合、さすがに私は捨てることが出来ず、思い出の品として、机の引き出しに保管していた。

 

1年ほど経過したある日のこと、私のボスであったY教授のもとに滞在していたオーストラリアの研究者が、私の部屋をぶらりと訪れた。彼は「ちょっとわからないことがあってね・・・どこかに矛盾があるような気がするので、君の意見を聞きたいと思って・・・」と言って、私たちは黒板でディスカッションを始めた。

 

よく使われている理論にまつわる、ちょっとしたパズルである。まさに1年前に気になって確かめた、件のメモに関連していた。よほどの潔癖症でないと気に止めない問題と思っていたが、彼の仕事では、計算方法によって異なる結果が得られるという現実のトラブルを引き起こしていた。

 

私は保管していた紙片を取り出し、思い出しながら説明を始めた。矛盾は見かけ上のもので、使い方に気を付ければ問題は生じないことを話し終えると、オーストラリア人は「なるほど、なるほど」と相好を崩して帰った。

 

 

悪戦苦闘

10分後に、オーストラリア人を従えて、Y教授があわただしくやって来た。

 

教授は私にメモを見せることを要求した。彼は明らかに、これについて私が何も話していなかったことに腹を立てていた。

 

実は、私は彼の研究助手をしていながら、共同研究で成果を上げられず、結局は私自身のテーマで研究することを許してもらっていた。メモは共同研究のテーマに関して、私なりに勉強した結果ではあったが、とくに新しい成果と言えるものではなかったので、一度も話したことがなかった。

 

説明を聞き終えると、彼は「こんなものを1年も机の引き出しに放置するとは、何たることだ!」と繰り返し、これを直ちに論文としてまとめるように命じた。

 

私は、「これは論文になるような内容ではない」と主張したが、教授はいつになく厳しい態度であり、私は途方に暮れた。私自身、短期の身分を更新している研究員である。できれば水増ししてでも成果を上げたいところであるが、これだけの材料で、何を書いたらよいのか。僅か3ページの計算で論文をでっち上げ、レフェリーの査読を通す自信はなかった。

 

教授は1週間で書き上げるようにと言い渡して帰り、私はやむなく悪戦苦闘を始めた。どうにか形にしなければならない。忘れかけていた問題の洗い直しから始めた。

 

10日ほど思い悩んだ末ようやく、問題をもう少し一般的に提示すれば、何とか格好がつくかもしれないと考え始めた。調べてみると、同じような見かけ上の矛盾は、他の同類の方法にも形を変えて現れている。簡便さを重視する英国の物理学には馴染まないやり方だが、数学的に堅実に定式化をやり直せば、一括して問題がない形式に書き直せるかもしれない。

 

無意味な形式美と批判されることを恐れつつ、教授に考えを伝え、もう1週間ほど時間をもらった。しかし、小回りが利かない方法である。枠組みを造り直すだけで、たちまち1ヶ月が過ぎた。これ以上待たせるのは限界である。せめて執筆を開始しているポーズを取らねばならない。

 

私は細部を詰められないまま見切り発車した。破綻が生じないことを祈りつつ、とりあえず論文の形で書き進み、途中で細かい確認計算を繰り返した。こんな綱渡りは初めてであった。

 

(続く)