浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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マニュアル人間の精神構造1-ショップの人

 

 

無用なスマホオプション

 

チャンネルを廻していたところ、スマホの生みの親と言われている有名人のニュースをバラエティ番組で扱っていた。内容が目に入り、思わずチャンネルを送る手を止めた。

 

彼は御自身の御母堂がスマホの契約をした際に、多数の不要なオプションを付けられ、高額の料金を支払わされていたことに気が付き、これを糾弾すべくSNSに領収書をアップロードし、炎上させていた。アニメのアプリなど、確かにその年代の人々には不要と思われるオプションが並び、無用に支払わされていた金額は、月々4千円に近づいていた。

 

ネット上の反応としては、契約させる側を批判するものが多かったが、一部に「自分で利用するのだから、すべて理解した上で契約すべきではないか」という反論もあった。

 

 

私のスマホ購入

 

大学に勤めていた頃、私は携帯やスマホを必要としなかった。私の生活は単に自宅と研究室を往復するだけである。デスクには直通の電話があり、私の家族はいつでも連絡をとることができる。携帯やスマホを多少なりとも必要に感じたのは、学会など出張の際であったが、頻繁ではない機会に備えて、毎月の高額料金を払う気にはなれなかった。

 

一方、オトメはガラ携の時代から携帯に頼って生きて来た。定年が近づき、彼女は私もスマホを持つことを強く勧めた。公衆電話もめっきり減り、退職すれば必要になると説得され、しぶしぶ同意して職場に最も近いショップに向かった。家族割引にするため、オトメやカメと同じ会社で契約するしかなかった。

 

店員の女性は契約のオプションについて、立て板に水の如く説明を始める。しかし、私はネット社会の仕組みなどについて無知であったので、基本的なことを理解しなければ、オプションの要不要すら判断できない。

 

そこで、色々と質問を始めた。

 

ところが、女性は私が何を質問しても、同じ話を最初から繰り返す。何度質問をやり直しても、壊れたテープレコーダーのように(アナログ時代の表現だが)、正確に同じ言葉を繰り返す。

 

私の質問は、「パケットとはどのような単位か」「通信量の上限がどの程度であれば、通常の使用を賄えるか」などの基本的なことである。パケットなどは、元来は日常の用語だが、それが特殊な単位として使われており、その説明が与えられていない。

 

通信料の上限については、「個人差があるので一概に答えられない」との答えが予想されたので、「私の通話量は平均的な社会人よりずっと少ない」「動画は殆ど見ない」「数ページのpdfファイルを送信できれば望ましい」などと、あらかじめ使用範囲を伝えた上で質問した。

 

・・・が、やはり予想した答えしか返ってこない。遂に私は「平均して1日に10回、5分間の通話をするだけなら、最低限の通信量で良いか」など、イエスかノーかで答える形式に質問を変更した。しかし、それでもテープレコーダーの再生が始まる。すぐさまストップし、「はい、いいえ、わかりません、の3択でお願いします」と強く念を押す。

 

すると女性は「しばらくお待ちください」と言ってどこかに連絡をとり、私はおよそ30分待たされた後・・・2時間後に来るように申し渡された。

 

昼食をとり、2時間後にショップを訪れると・・・

 

・・・再び同じことが繰り返された。

 

私があきれた態度を見せると、彼女は「これをお読み下さい」と言って、私には読めないほど小さい文字が並んだパンフレットを渡した。家に持ち帰ってルーペで読んだが、必要な情報はほとんど書かれていない。と言うより、私が知りたい点については、昔のコンピュータのマニュアルのように、日本語になっていない文章だらけであった。

  

 

学生はみんな・・・

 

「すべてを理解した上で契約すべきである」と言われても、これでは不可能である。

 

帰国直後であれば、私はこれを意図的な行為と見做したであろう。詳細は決して説明せず、なるべく多くのオプションを契約させる意図である。

実際に会社の上層部にはその意図がある・・・と私は今でも思っている(私が見たテレビ番組も、その点を暗に追及していた)。

 

しかし私も日本の社会でそこそこ経験を積み、現場は必ずしもそうでないことを理解し始めていた。少なくとも、私に対応したショップの店員は、顧客対応のマニュアルを暗記させられていた。そこに書かれていないことは答えないように、指示されていた可能性は高い。

 

結局、私は研究室の学生諸君の助けを借りて、オプションの内容を決めた。そして、彼等にこう言われた。

 

  「学生はみんな、大学前のショップには行くなと噂してますよ・・・

   先生は知らなかったんですか?」

 

 

 真の理由は?

 

自分の判断で答えられるが、禁じられているために答えないのか・・・

それとも、基本的な知識や理解を欠いているため答えられないのか・・・

 

真の理由がどちらであるのか、私には分らない。しかし、この状態を放置していれば、いずれすべての店員は、後者になる。顧客対応のマニュアルの内容が、私が読んだパンフレットとほぼ同一であるなら、これを理解できる人は多くないであろう。また、どのみち自分の判断で答えることを許されていないなら、知識を身に付ける努力をする人はいなくなる。

  

このような習慣が社会に蓄積されると、どうなるか・・・

 

これを若い世代が「当たり前のこと」と感じていない間は、この社会には望みがある。

 

 

(続く)