浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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ガラパゴス列島の受験社会 Ⅶ

 

前回の記事で述べた水道方式がどの程度、政府レベルの政策として、米国と密接に連携していたのかは知らない。

 

しかしこの教育改革は、日本独自の取り組みとは到底考えられないほど、思い切った変革であった。直接にしろ間接にしろ、相当の外圧が無ければ、ここまではしなかったと思われる。日本の科学教育は、これによって一気に近代化した。

 

 

黄金時代

 

大学の物理教育で基本となったバークレーコースやファインマン・レクチャーは、概念の導入に最新の注意が払われ、誰もが段階的に必ず理解できるように書かれている。生き生きとした記述であり、図解も様々に工夫され、「絶対に誰にでも解らせる」という著者たちの使命感と意気込みが伝わる大作である。

 

この教育改革は、米国の科学水準・教育水準を、量的にも質的にも飛躍的に成長させたはずだ。これを計画し、着実に実行した当時の米国は、実に偉大な国であったと感嘆する。

 

2万人の科学者・技術者を動員してアポロ計画を推し進め、予定より早く人類を月に送り込むことに成功した。ここで生まれた新技術は様々に民生転用され、西側諸国全体の教育改革と相俟って、その後数十年にわたる目覚ましい技術革新の時代を呼び込んだ。そして東側諸国は疲弊し、相次いで体制の崩壊に追い込まれた。

 

対外的には、安全保障としてデタントを進める。一方で国内では、科学技術を振興をする。そのためにまず教育の振興から・・・と大きく構え、最終的には軍事的な戦略を越えて、文化力で全体主義国家をねじ伏せたのである。

 

 

日本ではこれを機に、受験生の勉強が変わって来た。受験参考書の類は、一時的な空白期を過ぎると、新しい(または無名だった)多くの出版社から、続々と良いものが出版されるようになった。

 

個人の感想ではあるが、私の兄姉たちも使っていたかつての「売れ筋」の参考書は、覚え込む以外に使い道が無く、閉塞感に満ちていた。一連の教育改革は、高校の理系科目を魅力的に変貌させ、科学技術に人々を惹き付けた。

 

新課程になってからは、参考書類も体系的なスタイルできちんと書かれたものが人気を博し、学術的な雰囲気が前面に出るようになった。大学教授がこれらを執筆し、問題集の編集などを行う場合も増えた。作業の主体はアルバイトの院生だったと思われるが、これは人々の意識を変え始めた。

 

個人的な感想としては、この時期が、日本の理系教育の黄金時代だったと思える。そして教育改革は、日本の産業の高度化に大きく貢献した。この時代に教育を受けた世代は、基礎学力がしっかりしており、対応力が高い。日本の科学技術は世界の称賛を集めるようになり、もはや「物真似」と評する人々はいなくなった。

 

 

躓いた水道方式

 

水道方式の推進者は、高度な概念を次々に低学年に降ろしたが、最後に総仕上げとして、小学校に集合論を導入し、子供たちに早くから近代数学の概念に馴染ませることを目論んだ。

 

ここで彼らは、大きく躓いた。

 

何をやっているのか分からない生徒が続出したのである。

 

それまで小学校の算数は、数量的な能力や感覚を養うことを目的とした、具体的な「数」を基礎とする教科だった。

 

そこへ、数とは無関係な抽象的な概念が、初めて算数教育の現場に持ち込まれた。

 

買い物など、日常生活でも遭遇する加減乗除の世界とは、全く無縁である。学ぶ必然性のない内容であり、多くの子供たちは、そもそも「何の話か」理解できなかった。人間、解らない時は、どうやっているかではなく、何をやっているか解らないのである。その典型的な例であった。

 

子供たちだけではない。現場の教師にとってすら、集合は概念として全く新しく、自分たちが学んでこなかった内容である。まず教える側が、その意味や目的を理解できていなかった。

 

 

黄昏の時代へ

 

水道方式の推進者は、当時の数学教育のカリスマであり、啓蒙的な文筆活動で知られていた。

 

私は著名人であったこの人の著作を、高校生の時に途中まで読んだことがあるが、その時、やや怖くなったのを覚えている。論理的には完璧に持論を展開するが、普通の人々の感覚から離れ、現実的でない方向と感じられた。すでに小学校での集合論の構想が頭の中にあり、着々とその方向へ進んでいた。

 

その結果はすでに書いたとおりである。学校教育について行けない子供たちに対して「落ちこぼれ」という言葉が盛んに使われるようになったのは、この頃からであった。

 

彼は失敗の原因を理解せず、落ちこぼれではなく「落ちこぼし」であると様々な機会で反論し、教育する側に責があるとした。が、弘中平祐氏等の著名な数学者も集合論の導入を支持せず、現場の大きな混乱と強い社会批判の中で、文部省は撤退を余儀なくされた。

 

現実的でない方向、と書いたが、人間の頭は何から何まで論理で動く訳ではない。様々な体験を積み重ねて感覚で捉える力が育ち、他者と目的意識を共有して、はじめて論理が有効に機能する。

 

小学校に導入された集合論の内容は、高校生程度の年齢に達してから、必要な文脈において学べば、全く平易で自明なものばかりであった。しかし子供にとっては余りに唐突である。何の必然性もなく、「仲間あつめ」などと目的も不明な文脈で語られては、人間の脳は受け付けない。

 

教育とは連係プレーであり、一つの科目だけで閉じるものではない。一部だけ高度化させても、全体としては機能しない。米国のようなグランドデザインが必要で、水道方式は教育全体としてのビジョンを欠いていた。

 

一世を風靡した水道方式であったが・・・集合論の躓きが潮目を変えた。教育の高度化はその後もしばらく続いたが、ぎくしゃくした試行錯誤が続き、新入生の予備知識が頻繁に変わることで、大学の教育現場にも混乱が飛び火した。そして教育の高度化そのものが、やがてリセッションに向かい始めた。

 

 

潮流

 

集合論の失敗が無ければ、教育高度化は順調に継続されたであろうか?

 

ヨーロッパの場合、私の見知った範囲では、初等教育ではなく中等教育集合論を教え、経済学など文系分野も含めて、教育の近代化にかなり成功している。いきなり小学校に持ち込んだ水道方式の拙速を、私は残念に思う。

 

しかし多くの教育者や文科省は、集合論はきっかけに過ぎなかったと考えているであろう。高校進学率が9割に近づきつつあった中で、とくに高校の教育現場が理系教育の高度化に息切れし始めていたのは確かである。いずれにしろ学級崩壊の対策として、政府は理系科目の高度化政策を見直さざるを得なくなった。

 

そして息切れした高校の教育現場は、大学入試における共通一次試験の比重が大きくなるにつれ、マークシート方式に特化した「その場しのぎ」の試験対策に走って行った。これにより、高校生の勉強スタイルは再び変化し始め、本質的な理解はなおざりにされた。私の印象では、教育改革前の閉塞感の時代に戻った感がある。

 

黄金時代は永遠に去った。

 

私を含め、多くの理系の大学人は、教育現場のマークシート対策が学力低下の原因と考えているが、今となっては、どちらが原因でどちらが結果なのかすら、判然としない。次回は、このあたりの事情を少し詳しく見て行きたい。

 

(続く)