浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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戦後教育の変遷1 - 大いなる遺産

 

 

計算の途中で、あまり使う機会のない数学の公式を、利用しなければならない状況になった。通常の数学書には載っていない公式だが、私はなぜか、これが必要な場面に時々遭遇する。地味な問題ばかりやっているからなのか・・・

 

たぶん、これで正しい・・・と思ったが、前回使ったのはかなり以前のことだ。符号の一部にイマイチ自信がない。自分で導くのは、やや面倒だ。

 

これが載っている本は・・・あの一冊しか無い・・・

 

ということで、学生時代に御世話になった「自然科学者のための 数学概論」というタイトルの数学書を、久しぶりに手に取った。東京大学で教鞭をとられていた物理学者、寺沢寛一先生が、理学部・工学部における御自身の講義録を元にして書かれたものである。

 

埃を払うと、懐かしさのあまり、公式を確認するのも忘れ、ついページをめくり、序文を眺めてしまった。「余は数学者に非ず・・・」から始まるやや漢文調の名文は、旧字体で綴られ、恥ずかしながら私には読めない箇所が多い。

 

古い本であることはわかっていたが、改めてその序文の日付を見て、驚愕した。

昭和6年、つまり1931年である。第2次世界大戦の始まる10年前に、すでに初版が出版されていた。驚きべきは、その完成度である。700頁を越える大部であり、物理学に必要な古典数学・解析数学をすべて網羅している。「テラカン」の愛称で親しまれ、私の学生時代でも多くの学生がこれを持っていた。

 

思わず、書架に並んでいたもう一冊の数学書、高木貞二先生の「解析概論」を手に取った。こちらもまた、私を含め、それより上の世代では、理系学生の必読書であった。電話帳のようなサイズと厚みがあり、序文の日付は昭和13年となっている。やはり戦前の書である。

 

これらは現代の大学教育にも十分に使える・・・と書きたいが、昨今の学生は、短いモノグラフ的な教科書を好み、このような大作には目もくれない。教科書に用いれば、履修者がいなくなるかもしれない。日本に限らず、世界的な傾向であるが。

 

体系的な大作は、この時代の特徴である。教科書レベルとはいえ、余程の学識がなければ、これほどの内容を順序良く整理し、単著で書き上げられるものではない。当時の世界的な名著に全く引けを取らない内容で、英訳されていたら、世界中で読まれたと思う。この時代に、日本の大学ではここまでの授業が行われていたのだ。

ちなみに、少し時代は下るが、朝永振一郎先生の「量子力学」は英訳され、今でも世界中で読まれている古典的な名著である。

 

戦後間もなく湯川博士ノーベル賞が授与されたことを考えれば、戦前の大学教育がこのレベルに達していたことは不思議ではない。考えてみれば、日本は世界から孤立しながらも、すでに空母や戦闘機の製造など、国際的に互角以上の技術水準に達していた。現在の北朝鮮のように、一部に特化した技術ではなく、航空力学など、広範囲の高度な知識・技術を集積した自主開発である。これを支えていたのは、基礎から応用までの幅広い、洗練された学問水準だった。ちょんまげ時代から僅かな年数であり、他の国々では考えられない奇跡である。

 

ちなみに、私の愛用の英和辞書は、大正11年(1922年)に初版が発行されたもので、1929年の改訂版では、ほぼ現在のページ数に達している。私が英国に滞在していた頃、多くの留学生は、母国では英語の学習が難しく、辞書すら、ごく薄いものしか存在しない、とこぼしていた。英英辞典を引けるようになるまで、自分で何とかするしかないのである。これでは高等教育など、到底立ち行かない。理系分野では、英語圏でない場合、大学教育を母国語の出版物で完全に賄うことができるのは、先進国でもごく一部である。

 

どのようにして、日本はこれほどの教育レベルを、短期間に達成できたのか?  詳しくは分からないが、この時代の日本の教育、とくに高等教育と中等教育は、ヨーロッパの国々(おそらくドイツ)を手本としていたと思われる。初等教育については江戸時代からの伝統があり、ヨーロッパ型がその上に乗りやすかったのだろう。

 

敗戦後、日本の教育体制は、GHQ占領政策により、根底から変えられた。

 

その後の学校教育は、やや大袈裟に言えば、苦しみの連続であり、試行錯誤と変遷の歴史である。これは余り人々に実感されていない。学校教育を受ける期間は、長いようでいて、それを認識するほどではないのかもしれない。また文部科学省は様々な変革を行う上で、それぞれの世代が受ける教育の連続性に気を配っていた。したがって、多くの人々には、急激な変化は感じられなかったように思われる。

 

変化の振幅は、あまり人々から見えない所で、かなり大きかったと思っている。次回以降の記事に、独断と偏見を自覚しつつも、私の視座から垣間見た変遷の歴史を、書き留めて行きたい。

 

なるべく愚痴話にならないように、心掛けるつもりであるが・・・

 

(続く)