浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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子供教育の注意事項3 - 人はどのようにして理解に達するか

子供教育の注意事項2」から続く

 

ふたたび時計の話

 

私はどのようにして、最終的に右と左を理解したのか、覚えていないが、時計の場合は、理解した瞬間をはっきりと覚えている。

 

時計は見るのも嫌になっていたが、ある日の午前中、誰もいない居間で、ふと柱時計に目が行った。長針が短針を追い越す少し前であった。私は、そこで何が起こるのか、気になった。2つの針は、どのようにして位置を変えるのだろう。ぶつからないのか?

 

じっと観察していると、長針はカチリ、とクリックして、ひと目盛だけ位置を変えた。次のクリックまでは、かなり待たなければならなかったが、やがて長針は短針を追い越し、そのまま12を指す方向に動き続けて行った。

 

2つの針は、重なるだけで、ぶつからないのだと悟り、そのまま観察を続けると、長針だけでなく短針も、僅かながら、最初に見た時から位置を変えているように思われた。最初は半信半疑であったが、長く観察すると、確かに動いている。これには少し驚いた。やがて私は、短針の動く速さから、長針が12を指すのと短針が数字の中心の目盛に到達するのは、同時ではないかと予想し始めた。

 

ワクワクしながらその瞬間を待ち、その予想が事実であったことを確かめた時、私は、時計が精巧な、仕組まれた動きをするものであることを、初めて認識した。そして時計とは、長針と短針の位置の変化によって、時間の経過定量的に知らせる道具であること、短針の位置は1時間単位の大まかな時刻を知らせ、長針の位置は、その間を分割する詳しい時刻を知らせるものであることに、初めて思い至った。

 

全部を理解するためには、さらに時間を要した。まず、文字盤の1周は60の目盛で分割されていることを数えて確かめた。そして、長針の位置における目盛の数が(それまで意味が解らなかった)「分」という時間の単位に相当するらしいと想像した。

 

隣合う数字の間の目盛の数は5なので、数字2つで10、1/4周で15、半周で30・・・これを覚えておけば、目盛の数、すなわち「分」を、素早く計算できる。母が教えようとしたのは、どうやら、これらしい。

 

これらを、高いところにある時計を睨み、根気強く目盛を数え直しながら、ようやく納得した。

 

さらに、母が私に示していた短針の位置は正確ではなかったこと、例えば9時50分であれば、短針は9と10の中間ではなく、ほぼ10に近いこと、また10時10分であれば、10をそれほど過ぎていない位置にあることも確認した。

 

 

 

「やり方が解らない」のではない

 

 時計の読み方は、時計がどのようなものかを知って、はじめて理解できる。このような心の働きは、幼児に特有ではない。すべての人に共通である。何かを理解できないときは、「やり方が解らない」のではない。「何をやっているのか」が分からないのである。

 

私の場合も、何かを理解できない時の理由は、必ずこれである。幼児から今日に至るまで、変わっていない。今では、まず「何をやっているか」を見極めようとする習慣がついている。やり方など、大して注意を払わなくて良い。必要なときに調べれば済む話である。必要になれば、すぐに出来るようになる。

 

自分のことはさておき、より多くの人々に共通する例を挙げよう。

 

例えば、シニア世代の多くが(私も含めて)ITに弱いのは、パソコンの成り立ちやネット世界の仕組みについての知識が乏しいからである。パソコン操作の一つ一つが、何をやらせる行為なのかわからないのであって、操作そのものが難しいからではない。

 

もう一つ例を挙げれば、小学校で分数の計算ができない子供が多いことも、同じ理由による。計算方法が解らないのではなく、「分数とは何か」が分かっていないのである。

 

分数計算については、教育現場の荒廃の象徴として、長いこと社会問題のように論じられてきたが、教育現場の荒廃が直接の原因ではない。ましてや学習障害などではない。

 

分数の概念を理解することは、決して簡単ではない。それなりの準備が必要である。通分のやり方だけ教えれば良い、というものではない。「習うより慣れろ」という言葉があるが、これはすべての人に強制すべきものではない。

  

 

時計について、私の疑問はまだ残った。

 

(1)12まで進むと1に戻るのに、どうして毎日、同じ頃に同じ時刻になるのか?

(2)なぜ12や60などという、半端な数で分割したのか?

(3)短針と長針を、どうやって一定の速さで進ませているのか?

  

(1)は間もなく(それなりに)理解できるようになったが、(2)を理解したのは、中学校で幾何学を習った後である。(3)については、今でも詳しくは知らない。

 

 

一度は解った気になった時間であるが、物理屋の御多分に漏れず、あるとき、時間が再び分からなくなった。

 

とりあえず大学生の時に分かったことは、時間の測定は運動を利用する以外には無い、ということである。特に連続測定には、日時計の昔から、周期的な物理現象を利用している。現在の国際標準に採用されている時間の単位も、ある特定の電磁波の周期である。時間の認識は難しいのである。

 

(続く)