浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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インディアン ウソつかない、白人 ウソつく(1)

人は、嘘をつくサルである。

 

進化の過程で、思考回路に仮定法のオプションがインストールされたためであろう。

 

○○○?」 と言えば、「×××!!」 となるから・・・「☺☺」と言っておこう・・・という思考回路が使えるようになったのである。

 

哲学者か人類学者か忘れたが、人間の知性は、仮定の上に立って考える事が出来るのが最大の特徴である、と言った人がいた。確かに、仮定する能力から、数学も自然科学も生まれたと言える。

 

そしてまた、嘘も生まれた。

 

 

嘘の定義は難しい。法的な意味だけではなく、道義的な意味も加味すると、境界が曖昧である。真実と異なる情報を発信するのが嘘の定義なら、自分に都合の悪い情報を隠すことは、何も発信していないので、嘘にならないのか?

 

言葉では発信しなくても、相手に事実でない事を信じさせることはできる。英国で観たテレビのコメディで、「嘘はいけないわ」と言った初老の女性に対し、「あなただって髪を染めてるじゃない」と中年婦人が返すシーンがあった。古いネタかもしれないが。

 

息子の亀吉(通称 カメ)がまだ小さく、部屋を散らかし放題だった頃、私はまず両親の物を片付けてからカメを呼びつけ、「見ろ!散らかっているのは、全部お前のものばかりだ!」と叱りつけたものである。

 

 少なくともこのレベルまで含めると、恥ずかしながら家庭内の私は、嘘にまみれている。風呂桶に湯を張るのは、主に私の役割だったが、他の事をやり始めて忘れてしまうことが多かった。 思い出して風呂場に駆け着けた時はすでに遅く、湯船は一杯になり、縁から溢れ出ている。これはまずい・・・また叱られる・・・そっと栓を抜き、湯の無駄使いのさらなる罪を重ねて、適切な水位とし、何食わぬ顔をして静かにリビングに入ると・・・妻の音姫(通称オトメ)は片方の眉をぴくりと動かし(どうして彼女は片方だけ動かせるのだろう)

 

オトメ: 「 アナタ、溢れさせたわね?」 と、ひと言。 ここで弱気を見せる訳にはいかない。

タロー: 「ふーむ。良くわかったな・・・」 と余裕をかまして見せるが、ハッタリの通用する相手ではない。 

オトメ: 「見ればわかるわよ。アナタ、挙動不審だもの」

タロー: 「・・・」

オトメ: 「普段はそんなにオドオドしてないわよ。いつも威張ってるくせに・・・」

 

最後は聞こえないようにつぶやいたが、私には聞こえた。「・・・ったく、気が小さいんだから・・・」  と言っていた。

 

 

人間が脳を発達させたのは、集団社会を形成してからだという説がある。 人間関係をマネージするために、高度な思考能力が必要になったということらしい。もしかしたら、嘘をつく習慣が集団に定着し、嘘をつく能力も、それを見抜く能力も磨かれた結果、社会は進化し、文明化の方向に向かったのだろうか?

 

私は子供のころに、テレビでよくアメリカの西部劇を観たが、しばしば出てきたセリフの一つに、「インディアン  ウソつかない、白人  ウソつく」というのがあった。

 

これを思い出すまで、この記事は「ヒトらしさと数理1、2」の続編として、「人らしさとウソ」と題することも考えていた。もちろん、数の概念に加えて、ウソをつくことがヒトと判定する基準の一つになる、と主張するつもりは全くなかったが・・・

 

 (続く)