浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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言葉の重要性6-現代国語と高校生(後編)

 

 

 

前編から続く 

 

 

カラオケに行くと、マイクを持ったら離さない、という人がいるそうだ。

私はカラオケには行かないので、直接は知らないが・・・

 

演壇でマイクを持ったら離さない、という人種なら、大勢知っている。男子校であった私の高校は、そのような連中が多かったので、生徒会は常に大荒れであった。

 

マイクを離さない演説者を引き摺り下ろすために、生徒会の執行部はメインスイッチを切る。声が出なくなり、「あれ?」とマイクをいじる演説者に、すかさず「ほ~ら、マイクも嫌がってるぞ~!」などと、痛烈なヤジが飛ぶ。

 

 

 

現代国語の授業

 

現代国語の入学試験は気に食わなかったが、高校時代の授業は素晴らしかった。教育の控えるべきところには立ち入らず、自主性を育てることを柱とする学校であった。担当の先生は、教科書の文章を題材にして、生徒同士にディベートをさせた。

 

 

生徒の多くは、上に書いたような連中である。この授業でも、議論は常に白熱した。が、授業は合意形成が目的ではなく、最終的に正解・不正解を明らかにする事も、必ずしもしなかったので、白熱するが生徒会のような騒ぎにはならない。解釈をぶつけ合って議論しながら、意見の違いは解消しないことも多いが、生徒は互に多くのことを学ぶ。

 

2年生のとき、その国語の授業で、教科書に湯川先生の「旅人」の一節が取り上げられていた。その時の討論では、私の解釈に同調する人々は少なく、最終的には私一人になったような気がする。なかなか論理的に説得できる内容ではなく、私も力及ばずで、担当の先生も私の意見には賛成しなかった。

 

詳細は覚えていないが、「自由な心を羽ばたかせる宇宙」といったような表現が文中にあり(もう少し解りにくい表現だったと思うが)、これを私が「研究者の心の世界の拡がり」と解釈したのに対し、多くの人々は物理学者が研究対象とする宇宙としたように記憶する。

 

 

 

翌週、先生は廊下ですれ違った私を呼び止め、こう言われた。

 

  「あれから僕も何度か考えたのですが・・・どうも浦島君の意見が正しい

   ような気がして来ました。湯川先生は、御自分の心の世界のことを言わ

   れたのかもしれませんね・・・」

 

少し話し合った後、先生は私に、将来の志望を尋ねられた。

この学校は3年生の1学期が終わるまで、理系・文系を区別せず、全科目を履修させる。が、私の心がすでに理系にあることを、先生は予想していた。そして私の答えに頷き、自分は最初、理学部物理学科に学んでいた、と明かされた。先生が東京大学の文学部を首席で卒業し、銀時計を授与されていたことは生徒の間で有名であったが、転学のことは私は知らなかった。その後も物理学には未練を残されていたそうで、前回の授業の後に、物理学者の著作を幾つか読まれたそうである。

 

進路変更の後に、自分の選択が正しかったのかどうか、悩むこともしばしばあったが、物理学も文学と同様に、曖昧な部分を残したまま、模索しつつ前に進む、ということを多くの物理学者が述べていて、少し嬉しくなりました、と話された。

 

私も先生との会話を大変嬉しく思った。一義的な「解釈」を正解と決めつける入学試験に嫌気のさしていた私に、言葉はそれぞれの人生経験によって、伝わる部分に違いがあって良いことを確認させてくれた。そして、それを許容し、互いに成長する人間関係の築き方を教わった。

  

  

直接的な言葉があった訳ではないが、この日の会話は、私の心のわだかまりを洗い流し、将来に向って、私の背中を、一押ししてくれたように思える。「君は迷わず、自分の道を進みなさい」と励まされた気分になった。

 

 

 

「※※は##でなければいけない」と確信を持って断言し、他人にも強制する。そしてそれが、自分の思索によって得た結論ではなく、他人から教え込まれたものである・・・

 

多くの誤りや無意味な紛争は、これが原因している。個人的にも社会的にも、停滞の原因はここにある。

 

自分が悩んだ末の結論であれば、人は一歩下がり、他人の意見を受け入れる余地を残して、無意識に検討を続けながら前へ進む。

 

 

国語の教育は、どちらの習慣も育てる可能性がある。

 

 

 

「言葉の重要性」のシリーズは、(次回)でとりあえず区切りをつける予定であるが、その前に、英国人の文学について、少し語ることにしたい。