浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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無意味なことをする理由・させる理由(7)

 前回から続く

  

ある年、私は2人の学生の卒業研究を指導した。一人は成績が第一位のK君であった。K君は初年時の私の授業を満点で通過しており、大変真面目な学生であった。もう一人の学生は、別の記事に登場したS君である。

 

 

対照的な2人のレポート  

 

3年生になった時、2人は添削指導を行っていた私の選択科目を履修した。私は2年次の授業を担当していなかったので、久しぶりの対面であったが、K君のことは良く覚えていた。S君については、1年次の記憶が全く無く、初対面の印象であった。

 

2人のレポートは対照的であった。K君のレポートは真面目に書かれているが、記述が長く、私は必要な事項だけを簡潔に書くように毎回のように指導し、添削にやや苦労した。一方、S君のレポートは非常に短く、ほとんど「ぶっきら棒」と言えた。説明不足を注意するか迷うところであったが、最低限のことは書いてあるので、結局、私はS君のレポートはそのまま返却することが多かった。考えてみると十分良いレポートであったが、賛辞や励ましの言葉も添えなかった。いずれにしろ、2人とも最後まで履修を続けて全問を解答し、良い学生と言えたので、私は彼等を研究室に迎えて喜んだ。

 

 

2人が4年生になったこの年、私は他大学の知り合いの先生を、集中講義に招いた。選択科目の単位がまだ不足していたS君は、これを履修した。K君は単位数は十分に足りていたが、私の勧めにしたがって、彼もこの集中講義を履修した。

 

先生はレポート課題を課し、最終日に提出させて単位を認定した。かなりの数の学生が最高評価のAを与えられていたが、先生はとくにK君だけ、「A」の文字の上に小さく丸印を付し、「浦島先生の研究室には素晴らしい学生がいますね」と喜んでおられた。

 

S君の評価は、合格ラインぎりぎりのCであった。私は気になって2人のレポートを調べた。K君のレポートは20頁にも及んでおり、示された課題の解答以外にも、自分が勉強した内容を詳細に書き連ねていた。S君のレポートは2枚弱で、相変わらずぶっきら棒であったが、それ以上に大きな問題があった。式変形のあちこちに大きな飛躍があるかと思えば、書く必要がない自明な変形が示されている。これは他人のレポートを写した場合に見られる典型的なパターンである。バレないように部分的に抜粋し、短くなりすぎないように、下書きの計算用紙を貰い、見繕って埋める。これで、異なった導き方のように見せる。採点に時間をかけない教員は気が付かない・・・と思っている。

 

もちろん、S君がそのようなことをする学生ではないことは、良く知っている。私は彼を呼び出し、事情を聞いた。事情は聞くまでもなく解っていたが、呼び出したのは、添削指導の際に与えなかった注意を与える良い機会と思ったのである。彼は計算用紙に乱雑な字で手早く計算し、全部を清書するのは面倒なので、何行かをランダムに抜粋し、提出していた。そして説明の言葉など入れない。

 

わざわざ来て頂いた先生に提出するのであるから、相手が分かるようにしっかり書くのは礼儀である。これを最初に注意すれば良かったが、その前に私は

 

  「こんな書き方をすれば、他人のレポートを写したと誤解されてしまう

   ではないですか。K君はAの上にマルまで貰っているのに、君は正当

   に評価されず、いつも損をする人生になってしまいますよ」

 

と彼の側に立って諭した。だが彼は、

 

  「別に単位を貰えなかったわけではないので、いいです」

  

と、そっけない。そこまで自己責任でやっているなら、もはや何も言うことは無い。私は少々あきれたが、それ以上の説教はしなかった。私は日頃、学生には「レポートに無意味なことは書かないように。自分が理解したかどうかだけに拘りなさい。君たちは、生涯成績表をぶら下げて生きる訳ではない」と注意していた。S君はそれを忠実に守っていたことになる。無意味なことをしないという点では、私より徹底していた。私の注意を守ったというより、元からの性格であろう。

 

 

K君の長大なレポート

 

正直なところ、私はK君のレポートに高い評価を与えた集中講義の先生の採点に、やや苛立ちを覚えていた。彼のレポートの長さはS君の10数倍にも及び、しかも設問に無関係な内容が殆どである。そして結局、設問にはきちんと答えていなかった。

 

K君は成績が第一位であったので、卒業研究を行う研究室を自由に選べる立場にあった。実は後で知ったことであるが、実験系の教官の多くは、彼が私の研究室を選んだことで、胸をなでおろしていた。逆にすべての実験家は、成績が「中の上」であったS君を欲し、彼が私の研究室を選んだことを悔しがっていた。

 

実験系の教官は、学生実験で日頃から学生を良く観察しており、彼らの特徴を知っている。そしてK君のレポートは毎週、教官を悩ませていた。ある若手の教官は、K君に向かって

 

  「君は蛇足という言葉を知っているか? 余分に足を描いただけ

   ならまだ良い。君はレポートに、足しか描いておらんぞ!」

 

と叱りつけたそうである。

 

しかし、毎回のレポートが余りにも膨大であるため、彼の努力を認めない訳にはいかなかった。実験の授業に限らず、多くの教官が、結局は彼に良い評価を与えていたのである。

 

課題が自分にとって難しいと判断すると、書籍を写す、あるいはネットで検索した内容をそのまま書く、という行為は、かなりの学生が行う。他人のレポートを写しているのではないので、規則上の不正行為ではないが、私は無意味な行為と断じ、レポートの添削指導では、これを厳しく禁じていた。

 

私の知る限り、K君にはそのような行為は一度も無かった。他の教官の授業でも、同様であったに違いない。しかし、「関係のあるなしに関わらず膨大な量を書く」という、代替行為を編み出していた。「別の事であっても勉強は意味がある」という主張もあろうが、目的に達しないという点では、これも無意味な行為の一種である。誰かが読まなければならないので、他人にも無意味な行為をさせることになる。

 

  

K君の困難

 

K君は、それがすっかり習慣となっていた。解らないこと、出来ない事に出会うと、条件反射的に、違うことで代替しようとする。私の添削指導では、やかましく注意していたので、そこまで私の目に見えていなかった。このときはまだ、意志を持って習慣を抑えることができたのであろう。レポートの長さはS君の3倍程度であり、私はそれを1.5倍程度まで縮めるように指導して、再提出させていた。

 

しかし卒業研究では、心理的な壁が高くなり、意志を持って習慣を抑えることが難しくなった。ゼミナールにおいて、与えられた文献が難しいと、別のことを勉強して、それを話そうとする。癖になっているので、自分の知識と能力で十分に対応できることでも尻込みし、試みる前から代替の仕事を探そうとする。これをやめさせ、必要なことに集中させるのは、容易ではなかった。

 

卒業研究は、目的に沿って結果を出さなければならない。最後にはコンピュータにかけて数値を出すのである。別のことでは代替出来ない(私は学生の将来を考えて、必ずプログラミングを要するテーマを与えていた)。

 

とうとう最悪の事態となった。数値計算とは、何かをインプットし、アウトプットを得る作業であるが、彼はインプットを「代替品」で間に合わせようとした。それを得るために調べる文献を与え、読むべき範囲を指定したが、「必要な情報が書かれていない」と主張したそのページは、一度も開いていなかった。

 

結局、すでに計算を終えていたS君の結果を使わせて貰い、K君は研究発表だけを行った。同じテーマを2人で分担させ、それぞれの受け持ちを発表させる予定であったが、それができなくなった。S君には直前の1か月で、全く別のテーマで個人指導を行い、数値計算まで終えさせ、それを発表させた。S君は余裕でこれをこなし、別のテーマが勉強できたので、却って喜んでいた。

 

 

先生、それは違います!

 

K君の困難は保護者も知るところとなり、私は父親の来訪を受けて、今後について、本人をまじえて話し合った。記録上の成績は別として、理論研究を行うだけの基礎学力が形成されていないことは、本人も分かっている。理論的なテーマでの指導は難しいと判断された。話によると、彼の習慣は中学生時代に始まったそうである。小学校時代から成績は思わしくなかったが、ある時、提出物を熱心に書けば高い評価が与えられることに気が付き、その方向に走り始めた。それが成功体験となって高校時代もそれを続けた。そして平常評価を上げて推薦で大学に入学し、これがさらに成功体験となった。

 

もとより真面目な学生である。彼も自分の問題点を自覚し、大学院では実験系の研究室に移り、地道に努力したいと述べ、父親もこれに同意した(彼は学部の成績により大学院への推薦入学が決まっていた)。

 

私は指導教官を探す約束をして、今後の心得として、すでに何度か与えていた注意を、最後にもう一度繰り返した。論文であれ職場の報告書であれ、また研究室での日常の報告であれ、すべてはレポートと同じである。私の添削指導を思い出しなさい、情報量が同じであれば短い方が良い、などと話し、無関係な記述は社会では負の評価にしかならない、と結んだ。

 

思わず出た言葉であろうか、そのとき父親が、

 

  「先生、それは違います! 無関係な事でも書いておけば、それは社会

   でも、一定の評価の対象になります!」

 

口を挟んだ。名刺によると、彼は地方の原子力施設の所長という肩書であった。耳を疑った。

 

今まで話して来たことを、どう考えていたのか?

中学生時代に始まったという習慣は、恐らく親の指導によるものであろう。

これほどの事態を招きながら、まだ続けさせるつもりなのか?

彼は職場でも、部下をそのように評価しているのであろうか?

 

 

 

評価する者の責務

 

評価されることを望み、努力することは、決して悪くない。それは、一般には自分を向上させる。しかし、間違った評価の基準が存在すると、意味の無い方向に導き、向上の機会を奪うことがある。実際に大学でも、K君に第一位の成績を与えていた。それが彼の判断を狂わせて来たと言える。正しい評価基準を示すことは、正しい努力目標を示すことであり、教育機関の第一義的な責務の一つである。 

 

K君を受け入れる教官を見つけるのに、やや苦労した。私は多くの若手教官から、理論研究室で引き受けたこと自体が、最初から無謀である、と批判された。「日頃から君たちの成績評価がでたらめだから、こういうことが起こるのだ」と反論したかったが、同じ穴の狢では、反論する資格が無い。私のすべての担当教科でも、彼の評価は第一位である。私はベストを尽くしたつもりでいたが、やはりどこかで間違ったのであろうか。 

 

しかしK君は、在学中に自分の判断の間違いに気付き、人生を軌道修正することができた。判断を誤らなければ、資質の良い面が生かされる。私の授業では精一杯を尽くしてきたのであろう。やれば必ずできる人であった。その後、廊下ですれ違う機会は何度もあったが、元気に挨拶を交わした。彼は順調に修士課程の研究を終え、無事卒業した。

 

 

なおS君であるが、彼は私の指導を受けて博士課程後期まで進み、博士号を取得して、その後研究者として立派なキャリアを積んでいる。彼もまた、資質の良い面が最大限に発揮されている。卒業論文で急遽与えたテーマが、彼の博士論文に繋がった。だがこのため、彼は在学中に、全く別の困難に遭遇することとなった。これについては、このシリーズの最後として、次回にお話ししよう。

 

 

(続く)