浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

~記事へのコメントは歓迎です~

無意味なことをする理由・させる理由(3)

  

 

シリーズの(2)から続く 

 

 「しなければならない仕事」だけで済ませ、他をすべて「してはならない仕事」とする英国流の社会人生活が板に付いた頃、私は帰国して、地方の国立大学に勤めることとなった。  

 

それまでやっていたことを、やらずに済ませる。 

これは比較的容易である。私は英国の社会に、すんなり順応した。

その逆は容易ではない。それまでしていなかったことを、しなければならない。

  

 

こういう人だったのね・・・

 

日本の大学では、授業の際に出欠を取るという習慣があった。英国でも大学院の授業を担当したが、少人数でもあり、これをしたことは無かったので、長らく忘れていた。

 

学則上、出席は成績評価に無関係である。出欠記録は成績資料ではないので、事務に提出する義務は無い。赴任の際に、着任グッズの一つとして、教員記録用のエンマ帳を事務から渡されたが、「ご自由にお使い下さい」とだけ言われた。事務電算化の以前の時代であった。  

 

その後、研究室の荷物整理が一向に進まず、休日にオトメに応援を頼んだ。そのとき、これを見つけた彼女は

 

    「  あなた・・・ホントは、こういう人だったのね ・・・

        自由な物理屋さんと思って、結婚してあげたのに・・・

        手伝ってあげるの、やめようかしら・・・   」

 

と、宮仕えに身を落とした私に、意地悪を言った。

 

 

最初のうちは、エンマ帳に出欠を記録したが、半年でやめた。オトメの言葉が堪えたからではない。確かに、私は他人を管理するのもされるのも好まなかったが、それが理由ではない。

 

出欠確認は、かなりの時間を使う。点呼を取るだけでも、1学期で積算すると、授業1回分以上の計算になる。紙を回して氏名を書かせると、教室の人数の20%増しであり、回が進むにつれて、この割合は増える。筆跡を確認することは現実的ではない。

 

これだけでも私にとっては、この作業を「してはならない仕事」とするに十分な理由であった。しかし、さらにそれ以上の理由があった。

 

 

宣言

 

出席は成績評価に無関係という建前であるが、一定の範囲で「出席点」を与える教官が少なくなかった。一方で、相応の理由なく1/3以上欠席すれば、未修として扱って良いという学則がある。相応の理由の判断は教官に任されていた。かなりの教官が、この飴と鞭によって、学生を教室に向わせていた。 

 

その結果、私の授業にも、出席者の中には入学以来、専門科目の単位を殆ど取得していない者が、かなり含まれていた。

 

物理学は、段階を追わなければ理解できない。必要な基礎事項を大きく欠いて出席すれば、一日の大半を何も解らない授業に費やし、勉強時間は奪われ、ますます卒業から遠ざかる。

 

するべきことは明らかである。最初の段階をきちんと勉強する以外にない。それにもかかわらず、基礎科目の単位を殆ど取得していない学生が、なぜ学年が進んだ専門の授業に出席するのか?

 

前段階の単位を取得していなくても、次の段階の履修が無制限に許されていた。この不適切なシステムが学生の判断を狂わせ、基礎的な科目の学習を放置して「貰える単位から貰っていく」という習慣を育てていた。そのような状態で出欠をとり、半強制的に出席を促すのであれば、「出席していれば単位が貰える」ことを暗黙の了解とせざるを得ない。 実際に、これが一部の学生の権利意識になっていた。

 

「無意味なこと」というタイトルでこのシリーズを書いてきたが、これは無意味というより、有害の域である。私は後期の授業の最初に「出席は評価に無関係である。出欠は取らない」と宣言した。

 

 

  

する理由・しない理由

  

勤務して2年目が終わる頃、ある年長の教官が教室会議の席で、私が出欠をとっていないことを糾弾し、出欠をとるように要求した。

 

この要求の意図は、要するに出席を成績に反映させろ、ということである。 この教官には以前、別の記事に登場してもらったが、それ以来、「出席しても単位がとれない学生がいるのは、教え方に問題があるからだ」と、機会あるごとに発言するようになっていた。 そしてすべての学生に、「まず出席せよ」と強く促していた。

 

理解する前提を欠く学生が多いことは、誰しも認めていたが、彼は「解らなくてもまず授業に出席させ、規則正しい生活を送るように仕向けることが重要である」と主張した。

  

これは、少なくとも私の場合、「する理由」には決してならない。 

 

理解が不可能な状態にあると知りながら、出席を強制することは、たとえ単位を与えても、精神的な虐待である。程度こそ異なるが、かつてソ連共産党強制収容所において、知識人に対して行っていた拷問を思わせる。無意味な作業を続けさせて意欲を失わせ、最後は廃人に追い込むのである。

 

本人が同意すれば良い、というものではない。ましてや次々と単位を与えれば、より困難な状況に追い込む。返済能力の無い者に、次々に新たな貸し付けを行うようなものである。履修が終わった授業は免除されても、次の授業はより困難になる。どうにも理解できない新しい事項が、日々、借金の山となって積まれていく。意欲を完全に挫かれ、学習を放棄する自己破産状態になる。 

 

本人としては、単位を取得することが、出席を「する理由」になるかもしれないが、これを長く続けられる者は、それほど多くない。無意味と自覚しつつ行う行為は、次第に大きな苦痛を伴うようになる。多くの教官が気付いていないが、理系では単位認定を一定以上緩めると、退学者が増えるのである。学生を良く観察していれば、すぐに分かることであるが。 

 

 

私が渡英する前であるが、当時、中高の学級崩壊が社会問題となっていた。これをテーマとした映画が大きな反響を呼び、あるシーンが何度も宣伝に使われた。

男子生徒が銃を持って教室に乱入し、数学教師の眼前に銃口を突きつけて、

 

    「何も解からん授業を、ずっと聴いとるのが、

     どんなに辛いか、オマエに分るかー!!」

 

と叫ぶ。ショッキングなシーンである。が、これは本人が辛さを自覚しているレベルであり、社会的な危険度は別として、人間の心理としては正常と言える。そうでなければ、多くの人々の共感を得ないであろう。

 

深刻なケースは、表から見えにくい。

担当1年目の学期末試験で、不合格者のために追試験を実施した。そのうち2人は、最初から答案を書く意思が無く、白紙の答案の上に鉛筆を置き、終了時間まで座っていた。計算の途中で時間切れになった受験者には、30分を限度として延長を許したが、その間も引き続き座っていた。そして答案回収後、私の部屋をノックし、「単位、出てますか?」と尋ねた。

 

延長時間も座り続けていた理由を尋ねると、時間の延長を、答案を書けていない者に対する「強制」と解釈していた。「私は無意味なことを強制したりしません」と言ったが、不服というより、怪訝な顔をしていた。

  

 若者をこのような状態にして社会に送り出すのであれば、大学は真に有害な存在でしかない。苦痛に耐えられず進路変更する学生に、むしろ救いを感じた。

 

 

 

させたい理由

 

ふたたび、教室会議の続きであるが・・・

 

「出欠を取らないのは、出席しなくて良いというメッセージを送ることですよ」、と言い出したのには、思わず苦笑した。指摘は正しい。ちなみに、この教官は出席点だけで合格ラインの60点を与えていた。こちらは「出席だけしていれば単位を与える」という明確なメッセージである。

 

彼はさらに、「能力のない学生に無理やり理解させようとすることはいけない」と言って、小難しい説明や計算を示すことは好ましくない、と私の授業を批判した。実際に彼の授業では 、説明や計算を示すことはほとんど無く、結果のみを与えていた。

 

物理学では、そのやり方は深刻な状況を引き起こす。一部の学生にとどまらず、すべての学生から出席の意味を奪う。真面目な学生は、理解できないのは自分のせいだと悩み、ノイローゼに陥る場合も出てくる。大学院への進学希望者をはじめ、私の部屋は多くの学生の駆け込み寺になっていた。

 

もはや争点は明確である。私があくまでも拒否すると、次のように続けた。 

 

  「出欠を取らないなら、貴方の授業に出席せず、試験だけ受けて

   合格する学生が出てくるかもしれませんよ。それで良いのですか?」

 

  「仮にそのような学生がいたとして、何がいけないのですか?」

  

  「それでは貴方は必要ないではありませんか?

   あなたは自分の存在意義を自分で否定していますよ!」

 

直接口にせずとも、本音は出るものである。「あなた」を主語にして語っているが、「私」を主語にしても変わらない。無意味であっても、出席を「させたい理由」は、ここにもあった。

   

しかし、学生が授業に出席していても、大学そのものの存在意義に悖れば、自身の存在意義も失われる。これを分かっているのであろうか? そして、私にまで同じことを「させたい理由」は何であろうか? 

 

大学の存在意義に悖ることは、分かっている。

が、理解させる授業を行うことは、負担が大きすぎる。

 

赤信号でも、みんなで渡れば、車の方が止まる。 

無意味でも、多くが参加して行事として成立すれば、意義を主張できる。

 

マイナスは人数で割れば、絶対値が下がる。

責任も 1/N に分割され、無限小となる。

 

 

が、このシナリオは、全員参加でなければ崩れる。 

 

理解不能の授業は、それに続く他の授業も理解不能にする。

後者を担当する教員が、出席するだけでは単位を保証しないなら、学生は騒ぎ出し、責任を追及されるかもしれない。

 

私の部屋が駆け込み寺になっていたことは、実際にこれが始まっていたことを示唆する。理解不能な授業だけではなく、無意味な出席を強制した責任も、いずれ問われるかもしれない。

 

 

しばしば報じられる、役所や企業における組織ぐるみの不正も、多くの点で類似する。「無意味」と「不正」は、構造的に近い関係にある。

 

私は出欠を取ることを、一概に無意味とはしない。が、一般に無意味な慣行を放置すると、知らぬ間に有害な行為を誘発し、あるいはそれに利用されて、強固に習慣化される。

 

本末転倒という日本語表現は、これを端的に表している。これに対応する英語表現を、私は知らない。辞書で紹介されている対応表現は、意味も適用場面も大きく異なる。最初から「末」を存在させない社会だからであろう。

 

 

なお、文部科学省の指導により、現在ではすべての大学が、出席を成績評価の対象とすることを、学則によって禁じている。

 

 

 

大学の存在意義と出席

 

それにしても、大学や教官の存在意義に、学生の出席は不可欠であろうか?

 

「ウラシマのムカつく顔など見たくも無い」というツッパリ君が、意地を張って自習し、試験だけ受けて見事に合格する・・・

 

それを許すのも、大学の存在意義ではないだろうか?

 

私自身は聴講に値する授業を心掛けていたが、自習して試験だけ受けることを否定する理由は思い当たらない。 

 

私の授業が聴講に値しないほど劣悪で腹が立ったなら、自習のみで合格した暁には「ざまあみろ、オマエなんか、要らね~ぞ」と、悪態をつくも良し。勉強してやり遂げた者の実感であれば、私自身の反省の材料としよう。誰も出席しないのであれば、本当に私は要らない人間である。

 

それにやや近い学生がいた。卒業前の最後の学期で、書籍丸写しのレポートを私に厳しく注意され、

 

   「物理など何も面白くもない。俺の人生に関係ない。

    単位は取るが、卒業したら永久に物理とおさらばする」

 

と言い切った。 

 

彼は、その後も授業には出席した。面白くないと言いながら、期末試験の答案は申し分なかった。単位が出た後に廊下ですれ違い、目が合ったので、思わずニヤリとすると、照れくさそうに笑いを返した

 

最後の答案は、核心の一部を掴んだ記述が随所にあり、彼の物理学に対する適性をはっきり示していた。 面白くなくなったのは、納得が行く前に流される授業に、嫌気がさしたのだ。ノイローゼに至らなかったのは、彼の精神の強さである。

 

彼は社会で十分に力を発揮するであろう。僅かではあっても、学んだことが役に立ったと思う日も来るかもしれない。教育が残すものは、個々の知識だけではない。

 

 

 

ちなみに、私が学んだ大学では、 多重履修(同じ時間帯の複数科目の履修)を認めていた。単位を落とした者の再履修を容易にする目的もあったが、出席より学習の実質を優先させる精神が基本にある。単位の認定は厳しかった。

 

私はこれを利用して、必修科目と重なった他学科の科目を履修したことが、数回あった。これをやっていた学生は多く、ノートを貸し借りしながら、交互に聴講する。互いに責任があるだけに、真剣に聴き、自習で補い、疑問を残さずノートを渡せるように努力した。苦労しただけのことはあり、ここで学んだ知識は、生涯にわたり役に立っている。

 

また多重履修の交流から、私は多くの素晴らしい友人を得た。ノートの貸し借りはディスカッションする機会にもなり、学問的にも人間的にも、彼等から多くを学んだ。私にとっては、大学の存在意義として、最大のものであった。

  

  

 

蛇足

 

投稿前にこの記事の原稿を覗き込んだオトメが、呟いた。

 

  「でも、あれって・・・我慢して続けられる人たち、偉いわよね・・・」

 

「それ」を偉いと言ってはいけない、と言いかけて、口をつぐんだ。

 

以前オトメに、「何事であれ、自分が出来ないことを出来る人は、私は尊敬する」と言ったことを思い出した。

  

仕切り直しをして、かからねばいけない。この問題は根が深い。

 

この社会には、数多くの「あれ」が存在する。

 

 

(続く)

 

無意味なことをする理由・させる理由(2)

(1)から続く 

 

 

初回の記事に戻るが、セミナートークにおいて

 

 ・予備知識がなければ理解できない話をする。

 ・聞き手の集中力が切れてからも、だらだらと話を続ける。

 ・形式美に手間をかける。

  

彼等の基準では、いずれも無意味な行為である。 

 

 

 

習慣による無意味な行為

 

ケンブリッジに滞在していた日本人の実験家と知り合いになり、この件について話す機会があった。彼も英国人の徹底した実質主義に、最初は戸惑った、と話した。

 

研究所内でチームを組み、ある温度範囲で、少しずつ温度を上げながら測定をしていたが、議論に必要な温度の上限は、ある中途半端な数字であった。

 

その温度に達した時点で、当然のようにチームは解散された。が、彼は切りの良い温度まで、その日の残りと翌日の午前中を使い、測定を続けた。誰も仕事に加わらず、変な顔をして見られたそうである。

 

    「無意味だと言われれば、確かにそうなんですけれど・・・

     どうして日本人は、やってしまうんでしょうかねえ・・・

 

     そこでやめてしまうと、仕事を途中で放り出したような気分

     で落ち着かないし・・・論文に載せるグラフが、中途半端な

     温度で終わっているのも、何となく恥ずかしいようで・・・」

 

と苦笑していた。

 

  「でも、後でそのデータが役に立つかもしれないですよね」

 

と言うと、謙虚な人柄の彼は、

 

  「自分の意識としては、それも考えて、少し広い範囲のデータを採って

   おこう、と思ったのですが、彼等は必要になったら測定を追加すれば

   良い、という考えですね。まあ、当然ですが」

 

  「やっぱり、後で役に立つかもしれない・・というのは言い訳で、これ

   は意味の無い潔癖主義なんですかね・・・   

   考えてみると僕の場合も、そうして残したデータが役に立ったことは、

   今まで一度もなかったですし・・・」

 

と微笑みながら答えた。

 

 

習慣の原因は?

 

確かに、塵も積もれば山となる。このような「無駄」を徹底的に排除してしまえば、生まれる時間は相当なものになるに違いない。上に類似したケースだけでも、普通の実験家は1年間に10日以上になるであろう。

 

日本人が無駄を承知でもやってしまう理由は、当の日本人にもわからない・・・ 

  

彼はふと、「何となく恥ずかしい」と漏らしたが、もしかしたら、「恥の文化」とやらに関係するのかもしれない。

 

 

恥の意識とは、何かを摺り込まれているために生ずる感覚の一つと言える。どの時代だったか忘れたが、ある時代の中国人の女性にとって、踝から先の素足を男性に見られることは、大層恥ずかしいことだったそうである。

 

私たちの場合は、何を摺り込まれているのであろうか?

 

 

第2次世界大戦の戦場において、日本軍は銃弾が飛び交う戦闘中においても、兵卒が上官に話しかける際にはいちいち敬礼し、敬語を使っていた。

 

これは笑い話ではない。

「絶対にしなければならないこと」として、摺り込まれていた結果である。

 

 

(続く)

 

無意味なことをする理由・させる理由(1)

 

 

 

このブログで、私は社会で行われている様々な種類の無意味な行為について、色々な場面で愚痴をこぼしてきた。我ながら、やや頻度が多すぎた気がするが・・・

 

事実として、歴史的にも、無意味な行為は多かった。論語読みの論語知らずからはじまり、深刻な例としては第2次大戦時の特攻隊作戦に至るまで、数え上げれば、きりがない。

 

これらは、自発的に行われている場合と、強制されている場合がある。しかし私は、自発的に行われている無意味な行為でも、本人は強制と感じている場合が多いのではと想像する。学生のレポート丸写しなどは、学生が自発的に行っているものだが、レポートの提出そのものが強制であるので、その自覚は薄れる。はじめから勉強を無意味な行為と見做していれば、なおさらである。

 

  

何が意味のある行為か、何が意味の無い行為か・・・

無意味な行為を日常的に繰り返していると、次第に区別が曖昧になる。社会にとっても個人にとっても、これが大変に危険である。

 

私はこのシリーズで、無意味な仕事の分類学を試みて、それぞれの発生原因を探ってみようと思う。初回は私の経験を紹介しよう。

 

 

 

 

「はじめてのおつかい」

 

外国で生活を始めると、子供に戻ったような気分になる。勝手がわからず、周囲の大人たちに教えられる日々である。その中には言葉も含まれる。あらゆる意味で、子供時代の研ぎ澄まされた感覚を呼び覚まさなければならない。海外生活は人間力を鍛え直す。

 

はじめてのおつかい・・・ではなく、私の場合、「はじめてのセミナー」であった。スクールに加わった新しいメンバーが、これまでやってきた研究の概要を話すという、恒例の行事である。

 

くれぐれも短くするように、とあらかじめ言われた。

 

とにかく、日本人のセミナーは長くて困る・・・ 

人間が集中して話を聞ける時間は、30分が限度である。30分で話を修了し、30分を質疑応答に充てる。全部で1時間だ。 

聞いても解らない話は、始めからするな。これも一応話しておこう・・・はやめてくれ。聞いて理解できる話だけでまとめろ。 

君の分野の予備知識を持たない聴衆が大勢いる。30分の公演時間のうち、前半の15分はイントロダクションをしっかりやってくれ。前提に出来る知識は、君が学部の授業で教えられた内容だけだ・・・

 

 

やる前から、ずいぶん色々と注文を並べられた。そして最後に、

 

  「図やグラフはフリーハンドで良い。美しく仕上げる必要は無い。

   君の人件費は高い。余計なことに時間を使うな」

 

と釘を刺された。これも日本人に特徴的なことだからであろう。

 

正味15分のトークでは、言葉が闊達でない私には、到底不可能である。10分の延長を許してもらった。

 

それ以外のことは私も納得したが、最後の注意にはやや心理的な抵抗があり、準備の過程で、図はある程度、綺麗に仕上げられた。

今のようにパワポで簡単に描けるわけではない。トレーシングペーパーに、墨入れで仕上げる職人技である。私は本格的な道具を持参しており、やや達人であった。実際にはフリーハンドでそれなりに見やすく描くのにも、結構気を使い、時間もそれなりにかかる。どうせなら、一度墨入れで作成しておけば、長く保存できて色々と使い回しができる・・・と思ったのである。

 

 

 

人の時間を無駄にするな・・・自分の時間も無駄にするな・・・

使った時間の対価が常に問われる。海外で給料を貰う厳しさを実感した。

 

 

私個人についてではないが、Y教授はその後も、

 

   「日本人は、必要ないことに時間をかけ過ぎる」

 

と何度も私の前でぼやいた。そして、私が少しでもその方向に行きそうになると、

 

   「タロー、人生は無限に続くわけではないよ」

 

と、英国人には珍しく、父親らしい忠告をした。

 

  

 

仕事の種類

 

Y教授の言う「必要の無いこと」の中には、なるほどと納得できるものも多かったが、私には受け入れがたいものも相当あった。そこで私は、次のような基準で、自分の日常の仕事の仕分けを試みた。

 

  1.しなければならない仕事

  2.した方が良い仕事

  3.しなくても良い仕事

  4.しない方が良い仕事

  5.してはならない仕事

 

1は当然、誰もが納得するように、きちんと実行しなければならない。2までを習慣にしている日本人は多い。日本では高い評価に繋がるであろう。

2と3の境界は曖昧であるが、3をやっても低い評価にはならないので、これも一応やっておこう・・・という人もいる。

 

当然かもしれないが、個々の仕事をどの類に属させるかは、社会や個人の価値観が反映される。したがって、それぞれの社会で異なり、さらに個人差がある。一般的な仕分けはなかなか難しい。

 

プレゼンの図を綺麗に仕上げることは、2に属する・・・と思っていた。しかし、Y教授の分類では、これは恐らく3または4、あるいはそれどころか、5に属するのかもしれない。

 

これは状況によって変わり得る。時間や予算が非常に切迫していれば、通常は3、4の仕事でも、5に属させなければならない。2ですらも、5に落とされることは起こり得る。

 

 

自分で仕分けをやってみると、2に属する仕事は、際限なく存在することに驚いた。「した方が良い仕事」をすべて実行すれば、1が出来なくなるのは目に見えている。

 

人生は無限に続くわけではない・・・

そして、個人も組織も、能力は有限である・・・

 

1と5のカテゴリー以外は存在しない、と考えると、Y教授の話はすべて合点が行く。

 

少なくともこの国で生きる限り、2~5は一纏めにして、「してはならない仕事」と考えなければならないようであった。

 

 

 (続く)

 

 

英国の季節感2

(前回から続く

  

英国において、季節の区切りが感じられる節目は、イースターホリデーとクリスマスである。イースターでは実際に季節が変わる感覚があるが、クリスマスは、むしろ精神的な節目である。

  

 

イースターホリデー

 

 イースターの時期は年により変わるが、日本のゴールデンウィークよりは少し早い。大変良い時期の大型連休である。この頃になると、寒さは余り感じなくなり、日光浴も珍しくない風景である。

 

イースター前後の日照時間の伸びるスピードは、やや驚くほどである。何しろ、午後3時で暗くなっていたところから、真夏は夜の10時でもテニスができるまでになる。その中間点であり、かなりのペースで進まなければ、そうはならない。

日が傾いたら帰宅して食事・・・というつもりでいたら、帰宅時間がどんどん遅くなり、オトメに叱られた。

 

明るいうちに仕事を切り上げるのは、やや抵抗感があったが、ゲストハウスの住人と交流するには大変良い季節である。食前・食後に窓から芝生に出て、カメを近所の子供たちと遊ばせ、ビールやワインを飲みながら、私達もくつろいで談笑した。

 

日照時間が長くなると、ライフスタイルも変わる。仕事を終えたらビールを飲みに行こう、と時々誘われた。私の記憶する限り、冬はそのようなことはなかった。最初のとき、私はてっきり、飲みに行くのは食事も兼ねると思い、腹を空かせて集合場所のパブに向かった。私以外は全員、夕食を済ませていた。幸い、ポテトチップスや(スカンピーと呼ばれる)エビのカラ揚げなど、それなりの「つまみ」は注文できた。

 

その他にもテニスや映画、散歩など、夕食を終えてからの人々の活動時間は長い。

 

ちなみに、ポテトチップスは単にchips と呼ばれるが、これは日本流に言えばフレンチフライであり、主食として何にでも付いてくる。いわゆるスナックのポテチではない。ポテチはクリスプ(crisp)と呼ぶ。食べる時のカリッという擬音が名詞化した呼称である。

 

 

 

クリスマスの家族風景

 

クリスマスが近づくと、1か月も前から、テレビにも街にもクリスマス・ソングが流れる。定番のディングル・ベルも流れるが、最もスタンダードな歌は別にある。

 

何度も同じ曲を聞かされるので、この時期を嫌う人もいるが、この頃は日が最も短く、人々はひたすら耐えて生きている。クリスマスは耐乏期の数少ない楽しみであり、時間をかけて盛り上げる。

 

クリスマスセールがあるので、高価な電気製品などは、この時期に割引価格で買い揃える(日本と違って、電気製品は一般にかなり高額であった)。子供たちの靴下にプレゼントを入れる習慣は、クリスマスにまとめ買いをすることと関係があるかもしれない。

 

 

クリスマス・イヴには、成人して各地に散らばっていた子供たちも(家庭を持っていれば家族連れで)実家に集い、母親の手作りのケーキで祝う。日本の正月のようなものである。 

クリスマスパーティは基本的に家庭行事であるが、Y教授夫妻に私達は何度か招待され、その様子を知ることができた。

 

家庭を持っていなくても、年頃の男の子は、交際相手を連れてくるのが習わしのようである。女性が男性の家のパーティに加わる習慣のようで、Y教授の長女をクリスマスパーティで見かけたことは無かった。Y教授夫妻の子供達(二男一女)は、まだ誰も結婚していなかったが、2回目に招待された年には、高校生の次男まで、交際中の同級生を連れてきた。

 

実はY夫人は、彼女をひどく嫌っていた。さらにこの時は、最もかわいがっていた長男が、2年前に大学を退学し、働かずに親元を離れて社会保障で暮らしていた。この時のクリスマスパーティは、かなり暗い雰囲気で、私達も気を使った。

 

長男はピンクのパンクルックの彼女を連れており、自身も髪をブルーに染め、モヒカン刈りである。さすがに英国人の親の目にも「いかれた」格好と映っていた。母親は「息子は狂ってしまった」と嘆いていた。オトメは「親が甘すぎる!私なら家に入れてやらない!」と私に(日本語で)囁いた。

 

ま、クリスマスだけは・・・ということであろう。

後に私はY教授から、長男について個人的に相談を受けた。息子と近い世代で相談できる人が、他にいなかったのであろう。相当に困っていたようである。付き合っている仲間には、ドラッグの常習者も多かった。敢えて私達を招待したのは、前もって本人の様子を見せる目的もあったのかもしれない。あるいは、外国で頑張っている人々を見せ、自覚を促したかったのであろうか。

 

 

 

 

問題を抱えていても、クリスマスだけは明るく祝う。

直前はディナーの準備で忙しいので、ケーキは、かなり前もって用意する。保存のため、油で練ってオーブンで焼き上げる。そのとき、コインを幾つかアルミ箔で包み、埋め込んでおく。自分に切り分けられたケーキにコインが入っていれば、ラッキーという訳である。

 

ケーキの中にはその他に、ジョークをしたためた紙片が、数多く包んで埋め込まれていた。これは色々なものが混じったセットで売られている。「おみくじ」のようなお決まり文句ではなく、年替わりの楽しみである。これを開いて読み上げ、笑いに興ずる。

 

私の引き当てた紙片には、次のような短い会話が書いてあった。

 

  買い物客の男 「 I want to buy something for my wife. 」

       店主     「 What do you want for your wife ? 」

 

何の変哲もない会話と見えるが、Y教授が解説してくれた。種明かしは「for」の使い方で、「for ~ 」で「~ を払って、~ を対価として」という意味になり、通常は「~」のところには金額が入る。

店主の言葉は、「アンタ、自分のカミさん売っ払って、代わりに何を手に入れたいんだね?」というところである。

 

いくら英語を勉強しても、ジョークは難しい・・・

 

 

 

年に一度の家族の集いであり、高齢の老人も、クリスマスまでは生きて孫の顔を見ようと頑張る。そしてクリスマスが過ぎると、有名人の死去の報道が相次ぐ。地域のタウン誌も、毎週の訃報連絡の数が急激に増える。宴の後は寂しいものである。

 

が、クリスマスを過ぎると、それまで日々、短くなっていた日照時間が、一転して長くなり始める。人々は夏の到来を心待ちにしながら、残りの冬の日々を耐える。

 

 

英国の季節感1

  

 

日本は四季の区別がはっきりしている。

 

春と秋は独立した固有の季節であり、単に冬と夏の中間ではない。

春の空は霞がかり、空気は穏やかで肌に優しい。

秋は天高く、空気は引き締まり、優しいというよりは爽やかである。

 

春と秋では、風景は全く異なる。花の特徴にも、全体として違いがある。

 

 

英国は2シーズン制である。

冬の寒さが終わる頃になると、私がまだセーターを着ているような時期から、人々は無理をしてでも半袖になる。

感覚として、「春が来た」というより、「夏が来た」と思っている。時計も「サマータイム」に切り替わり、一時間早起きしなければならない。

 

英語では、太陽が出ている時間帯を昼(day)、暗い時間帯を夜(night)、と一日を分けている。これと似た感覚で、人々は一年を夏と冬に分ける。

実際に、暖かいと感じるようになってから、体感温度サマータイムが終わるまで、あまり変化が無い。真夏でも日中の最高気温が18度を下回ることが珍しくないので、夕方はコートを着ることが多い。私達家族は、半袖の服を持たずに生活していた。

 

日本と英国の季節感の違いを話したところ、アジア圏の友人の多くは「俺たちの国は1シーズンだよ」と言って笑っていた。

 

ちなみに、「無理をしてでも半袖に・・・」と書いたが、半袖の下は素肌であるから、相当に無理をしているはずである。殆どの英国人は、真冬でも下着のシャツを着る習慣を持たない。

 

そもそも、これらは特別な店でしか売っていない。

ましてや、私の愛用する古典的なズボン下や、ステテコなど・・・

 

 

 

季節感の初体験

 

気温では季節感がはっきりしないが、日照時間の違いにはっきり季節感が出る。冬場の日照時間は短い。午後の3時を過ぎると、もう暗くなる。さらに曇天の日が多いので、一日中暗さがある。日光に当たらないので、子供たちにはビタミンDの錠剤を飲ませる。日が長くなると、痩せ我慢(ではなく寒さ我慢)をしてでもすぐに半袖になるのは、太陽の光を浴びるためでもあるようだ。

 

 

私が単身で渡英したのは、まだ寒い春先であった。下宿先が決まるまでの2週間ほど、私はキャンパス内の学生寮に宿泊した。私が泊まったのは、チューターを務める成績優秀な学生に割り当てられる、豪華ルームであった。

 

広いダイニングキッチンの他に、独立したベッドルーム、さらに個人のバス・トイレまで付いている。ベッドとデスクしか置けない、4畳半ほどの一般学生の部屋とは大違いであるが、チューターのダイニングルームは、学生の質問に応じる勉強室でもある。一般学生は、バス・トイレ・キッチンが共同であり、寮費は変わらない。

 

天気の良い日であったが、早朝に目が覚めた私は、窓を開けて外を眺めた。まだ人々は寝静まっていたが、見降ろすと、10mほど前方の別棟の屋上に、バスタオルを敷き、全裸で日光浴をしている女子学生がいた。

 

私が窓を開けた音に振り返り、「Hi !」と私に向かって笑顔で手を振った。私は目のやり場に・・・

 

困っている暇は無かった。彼女の方に顔を向けたまま、平静を装い、同じように笑顔を作り、挨拶を返した。

 

この程度でうろたえては、久米の仙人である。

これは風物詩であり、季節感なのだ・・・

 

 

窓はすぐに閉めた。開けておくには寒すぎた。

 

 

(続く)