浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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英国の食事9-リトル東京の英国人

 

「パリのアメリカ人」というガーシュウィンの名曲がある。

 

華の都にやって来た作曲者の印象を率直に描いたこの曲は、やや自虐的な要素を持つように思えるが、私は好きである。

 

今回は「東京の英国人」がテーマである。正確に言えば、東京の疑似体験をした英国人であるが・・・

 

 

初めての米国

 

英国滞在中に、国際会議がロサンゼルスで開催された。私とY教授はこれに参加して、研究発表を行った。私にとっては、初のアメリカ大陸である。

 

私はここで、日本食レストランへ行くことを楽しみにしていた。

 

英国では入手できる食材に限りがあり、オトメの努力にもかかわらず、私達の普段の食事は、通常の日本食とは異なっていた。 

当時の英国では、日本食は高価ではあるものの、それほどポピュラーではなかった。とくに私の住む街には、日本食レストランは皆無である。

ロンドンにも数えるほどしかしなかった。「日本食」の看板につられて、うっかり値段の安い店に入ると、「韓国うどん」の店だったりする。

 

米国の主要都市であれば、日本食は普通に市内で食べられるだろう。特にロサンゼルスには、「リトル東京」という日本人街があることを聞いており、私の期待は膨らんでいた。

 

到着した次の日(まだ会議の始まる前日であったが)、私は早速、リトル東京の寿司屋を訪れた。カリフォルニア米のシャリは、寿司に飢えていた私の舌(腹)には、十分な品質と感じられた。そして私は、翌日、Y教授夫妻をここに招待することにした。寿司だけでなく、その他のメニューも豊富である。いつか夫妻を日本食レストランに招待することは、かねてから考えていたことであった。

  

 

ホントは大食いだった英国人

 

この会議に、私はオトメとカメを英国に残し、単身で参加していたが、Y教授は御婦人と3人の子供たちを連れていた。

 

開催中の晩に、私がリトル東京日本食店に御家族を招待したい、と伝えると、夫妻は「自分達2人だけで良い」と述べた。「子供たちには贅沢すぎる、彼等はハンバーガーで良い」ということであった。

ちなみに、当時の英国はマクドナルドが進出を始めたばかりで、ハンバーガーは高級品であった(最近聞いた話だが、英国では今でも、ハンバーガーはかなり高いようである)。

 

店に到着すると、前日の板前さんが、かなり本格的な江戸前を握っている。「カリフォルニアロール」などは、まだ登場していない時代だった。御夫妻は二人とも、寿司は初めてであった。

 

寿司屋と言っても、居酒屋を兼ねたような店である。焼き鳥、照り焼き、天婦羅、カツ丼、天丼、鰻重、麺類・・・など、A級、B級含めて定番が並び、出し物は驚くほど多彩だった。二人が鮮魚を敬遠する場合に備えて、そのような店を選んだのだが・・・

 

他の客は日本人ばかりで、日本語が飛び交っている。壁にぐるりと貼られたメニューの表記も漢字である。

 

二人は壁のメニューをおずおずと見回し、その多さにまず驚いた。そして「色々な物を味わいたいので、お勧めの品を少しずつ注文して欲しい」と私に依頼した。

 

二人とも、鮮魚を含めて、未知の食材に対する抵抗感は示さなかった。まず日本酒と握り寿司に舌鼓を打つ。

そしてその後、様々なメニューに挑戦した。

二人はいずれも「美味しい」を連発し、「次は何がお勧めか?」と私を促し、最終的には、スタンダードなところを、ほぼ食べ尽くした。

Y夫人はなかなか箸が上手く使えず、小奇麗に食べられないことを恥ずかしそうにしながらも、次々と皿を重ねた。

 

一人前を3人で少しずつシェアしているが、それでも、これだけのメニューとなると、大変な積算量になる。英国人がこれほどの量を食べるのを目にしたのは、初めてであった。

 

私の印象では、殆どの英国人は小食である。食べ盛りの中・高校生の年齢でも、私より食事の量が少ない。Y教授一家も例外ではなく、体重比にすれば、私の食事量の1/2以下ではないか・・・と思ったほどだ。

 

ただ、その頃の私は、やや驚かれるほどの大食いだった。睡眠時間と食事量は反比例する。研究時間を確保するため、睡眠時間を最小限にしていたのだ。寿命を縮めると思うので、今では「短時間睡眠+爆食い」はやらない。

 

いずれにしろ、「リトル東京の英国人」は、大食いであった。

やはり、美味しければ英国人も食べるのだ。「食に興味を持つのは卑しい者である」などというポーズは、決して彼等の本音ではないと確信した。

 

それにしても、こんな大食漢を招待したのは誤算だった。私は相当の出費になることを覚悟した。

 

まあ、それまで散々お世話になっているので・・・

 

 

世界中の人がみんな知っている

 

二人とも、さすがに、もうこれ以上は・・・という段階になり、私はお茶を注文した。

 

その少し前から気になっていたのだが、「美味しい、美味しい」と繰り返しながら、

2人の表情は、どことなく沈んでいた。とくにY夫人は・・・

 

すでに腹は満腹以上に満たされ、普通なら最も幸福な瞬間のはずだが・・・

 

正直なところ、あまり幸福そうに見えない。

 

運ばれてきた緑茶をすすりながら、Y夫人は

 

   「日本の食事はとても美味しい・・・素晴らしいわ」

 

と言った。そして大きくため息をつくと、目を落として

 

   「イギリスの食事は不味い・・・本当に・・・」

 

   「世界中の人が、みんな知ってるんだわ・・・」

 

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            ・

            ・

 

驚きの言葉だった。

 

ヨーロッパ大陸の人々から散々陰口を叩かれながらも、平然と取り澄ましていた英国人が、東洋人に対して、あまりにも率直な敗北宣言である。

 

あまりにも感情が籠った言葉であったので、どのような英語表現であったのか、私は思い出せない。いずれにしろ、慰める言葉が無かった。

 

  「そんなことはありませんよ、イギリスの食事も美味しいですよ」

 

・・・などとは・・・

 

実際にY夫人の手料理は、他の英国人家庭に比べると、ずっと美味しかった。そう言っても良かったのだが・・・

 

Y家の食卓水準が他の家々より高いのは、彼のもとを訪れ、長期滞在した代々の日本人研究者(の奥様方)の影響に違いない。すでにオトメも一定の影響を与えており、慰めの言葉を口にしても、Y夫人は、そう答えるに違いなかった。

 

 

支払いの時

 

食事が終わり、いよいよ支払いの時となった。

英国に戻るまでの期間、何とかサイフは持つであろう。だが手持ちの現金では、恐らく足りない。私はクレジットカードを提示した。

その時、Y教授は突然私を押しとどめ、ここは自分たちが支払う、と言い出した。

 

当然ながら私は、「今日は自分の招待である」と主張を押し返した。が、彼は譲らず、店の引き戸を開け、最後はやや乱暴に私を店外に押し出した。

 

どうやら、他の日本人からおおよその金額を聞き、最初から自分たちが支払うつもりだったようである。

 

 

 

余談

 

少し昔になるが、帰国してから私が時々見たテレビドラマで、「信長のシェフ」というのがあった。調理師を目指す現代の若者が、戦国時代にタイムスリップし、信長の専属の料理人になる、という話である。

 

このドラマの面白さは、「おのれ ~ 信長め ~・・・」と悔しがる、毎回の戦国武将たちの描写である。

 

古今東西、食い物で負けた時のダメージは大きいようだ。軍事的な敗北を喫する以前に、大きな劣等感を抱えてしまう。信長はこれを巧みに利用する。これを見ながら私はいつも、リトル東京でのY教授夫妻の様子を思い出していた。

 

 

なお、感情の籠ったY夫人の英語表現を思い出せない・・・と書いたが、このようなことは、しばしばある。感情が直接伝わると、まるで日本語で話されているような気分になるのである。私の記憶の中で、このシーンでは、Y夫人の言葉が完全に日本語にすり替わっている。 

  

帰国して一定の期間が経過し、息子のカメ吉も、やや成長した。そして・・・

 

英国時代の思い出話に花が咲き、「あの時、Y教授が言ったのは、このような表現だった・・・」などと両親が話をしていると、彼はいつも、「Y教授夫妻は日本語で話していたと思うよ・・・」と言った。

  

 

(続く)