浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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タテの教育とヨコの教育

アメリカ からの応募書類は、屑籠へ放り込め!

 

スイスの大学に共同研究で滞在していた時のことである。私は昼食後のコーヒータイムに、人々に混じって会話を聞いていた。ゲストがいる時は、彼らは英語で会話してくれる。

 

話の途中で、私のホストであったB教授が突然、

 

  「タロー、教授の人事のとき、私たちが最初に何をするか分かるか?」

 

と振って来た。

教授の人事はどこの大学でも同じようなもので、必ず公募を行う。応募者は業績リストと研究の要約、代表的な論文を幾つか送ってくるはずである。

 

  「たぶん・・・応募者は多いだろうから、スタッフが手分けして応募者の代表的な

   論文を読むところから始めるのでは?」

 

と答えると、人々は口々に、

 

  「とんでもない! 一人公募すると200人からの応募がある。そんな事をするの

   は最終段階で、プレゼンをしてもらう数人に絞ってからでなきゃ無理だよ」

 

と否定した。彼は続けて、

 

  「200人のうち大体半分はアメリカからでね・・・そのアメリカからの応募書類

   を選り分けて、屑籠に放り込む。それが、私たちが最初にすることなんだ」

 

と言って笑った。私が目を丸くすると、少し真顔になり、こう付け加えた。

 

   「いや、実際のところ・・・ まず応募書類をヨーロッパからとアメリカからに

    分ける。アメリカからでも、ハーバードやスタンフォードマサチューセッツ

    工科大とか、メジャーなところから来たのは、ヨーロッパと一緒にする。

 

  残りは議長が名前を一人ずつ読み上げて、『誰かこの名前を聞いたことがあるか?』

  と叫ぶ。誰も知らなければ、そのまま封を開けずに屑籠に放り込む。 

  まあ、アメリカからの応募者が残ることは滅多にないね・・・」

 

 

望郷のヨーロッパ人

 

彼等の教授人事がいかに厳しいか、という話だった訳ではない。話題の中心は、アメリカの大学の教育についてであった。

 

日本ではあまり知られていないが、ヨーロッパの人々の殆どは、アメリカの文化・政治に拒否反応を示し、大学人はアメリカの教育にも批判的だ。B教授は続けて、

 

 「タローは応募書類も見ないで門前払いはひどいじゃないか、と思うかもしれない

  けれど・・・スイスだけじゃないよ。ヨーロッパの大学では、どこでも同じこと

  をやっている。これは、研究者としてどうか、という問題じゃないんだ・・・

  

  ヨーロッパからは、ものすごい数の研究者が、博士号を取ったあとアメリカに

  渡り、キャリアをつなぎながら、いつか戻りたい、とチャンスを待っている。

  日本もそうかもしれないけれど・・・

 

  母国に帰れればベストだが、そうでなくても、ヨーロッパのどこかに行きたい。

  ヨーロッパ人は、あの国で暮らしていて、誰もハッピーじゃない・・・

 

  けれど、若い時にアメリカに渡って、帰って来れる人は殆どいない。なぜかと

  言うと、アメリカの中程度の大学で暫く働くと、体系的にきちんと教えることが

  出来なくなるから。表面的にさっと教える、ということを常に要求されるからね。

  どうしても、説明なしに、やたらに沢山のことを、結果だけ教えるようになる。

  縦に積み上げないで、横に知識を広げればいい、というわけだ。

 

  ヨーロッパの大学はどこでも、そうした連中を警戒している。研究者として、

  まずまずかな・・・と思って、こういうのを数名も雇ってしまって、教育が

  完全に破壊されてしまった例を、みんな知っているからね。

 

  これは絶対に阻止しなければならないことなんだ・・・

  だからアメリカで10年過ごした人は、ノーベル賞級のヒットを飛ばさない限り、

  ヨーロッパに戻るチャンスはないんだ。私は母国に帰れて、本当にラッキーだった」

 

と語った。

  

B教授は、チューリッヒで博士号を取得して、アメリカのメジャーの一つであるコーネル大に渡ったが、そこを1年半で切り上げてバーゼルに研究員として戻り、その後、この大学に教授として迎えられた。

 

 

日米独の共通点

 

この日のコーヒータイムの会話は、まるで自分の大学のことを言われているようで、背筋が寒くなった。彼らの基準では、私の勤めていた大学は、アメリカのジャンク型に分類されるであろう。私はそのような教え方をしていた訳ではなかったが、抵抗しているのは、学科内で私を含めて数名だけであった。

 

ドイツの教育に当てはめ思考の傾向が見られることは以前の記事に書いたが、実は私自身、これを不思議に感じていた。確かに友人のH.P.教授が苦労したように、ギムナジウムによる初等・中等教育の伝統にはその傾向がある。しかし高等教育においては、ドイツは戦前に留学された朝永先生が話されていたように、がっちりとした縦型という印象があった。

 

B教授の話で、はじめて思い当った。ドイツの若い世代の一部に見られる傾向は、アメリカ帰りの人々の影響だったのであろう。「完全に破壊された」とまで表現していたのは、このことだった。確かにドイツの大学では、アメリカ訛りの英語を話す人が、他の国々に比べて多かった。 

 

さらにドイツは、第2次大戦の戦後処理の際に、アメリカの政策に大きく左右されたはずである。これは日本で起こったことから、容易に推測される。

 

日本では、戦後、GHQが理系教育を根底から変えようとした。専門学校を廃校とし、それまでヨーロッパを規範としていた日本の学校制度を、アメリカ型に切り替えさせようとした。そして、理系を含むすべての大学に、平和教育を普及する、として人文系中心のカリキュラムを押し付けた。

孤立を強いられて他国の技術支援が無いにもかかわらず、自前で世界最大の戦艦を建造し、他国を上回る性能の戦闘機まで作りげた日本の技術力を怖れたのである。

 

すでに何度か書いてきたように、日本の当てはめ思考は、遺伝子的には純国産と思われるが、このような歴史的背景も原因のひとつかもしれない。

 

比較的最近知ったことであるが、戦後の日本の学校教育の変遷は、占領政策によって大きく歪められた制度を、何とか正常な形に戻すための、文部省の粘り強い戦いの歴史であった。フランスの二の舞にならないように、文部科学省には、もう少し頑張って欲しい。

これについては、また別のところに書くことにしよう。