奇跡のリレー 4
綱を渡り切って・・・
しかし、無理やり始めてみると、書きながらの作業は悪くなかった。
途中で誰かに読まれても良いように、客観性を意識して書いていたため、考えが良く整理される。日頃の研究の進め方が、いかに緻密さを欠いていたかに気付かされた。
論点が明確になるにつれて、次第に「そう悪い論文でもないかな」という気になってきたのは、自分でも驚きである。幸いにも当初の予想は正しく、最後まで破綻は生じなかった。
さらに、形式を改めたことで予想以上の展開があった。この方法は、鶏を裂くのに牛刀を用いるような不便さがあったが、種々の取り扱いを共通の視座から一望するには具合が良かった。
見通しが良くなると、問題点が明瞭になる。矛盾は必ずしも見かけだけとは言えず、思っていたより本質的な部分で、一連の方法論に弱点があることがはっきりした。ここで牛刀が役に立ち、問題の個所はすっぱりと骨から切除された。
これで、既存の理論の単なる書き直しから一歩進み、ようやく人前に出せると感じた。気がつくと、このときには一編の論文では収まりきらない量になっていた。そこで教授を再び訪れ、2編の連作にしたいので、もう少し待って欲しいと伝えた。
セミナー報告
これらの結果は、教室のセミナーで報告した。
遅まきながらこの分野の初仕事である。人々の評価が心配であったが、尊敬する年長のスタッフ(G博士)が「君らしいスタイルだね。ナイス・ワークだ」と言葉を掛けてくれた。これが最も嬉しかった。
ようやく、ほっとした。
終わってみると、やってきたことは当たり前のことばかりである。自分は自然な道を辿ったに過ぎない。研究とは、いつもこのようにやるものかな、という気がした。
善意のリレーは時を経て、ついに私の新しい研究へとつながった。