浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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ヒトと集団1 ー 大学紛争の終焉

 

ノンポリ宣言

 

大学紛争の時代、政治的な議論に関心を持たない学生は、ノンポリと呼ばれていた。

  

私はノンポリである。

 

政治的イデオロギーより、個人の倫理観の方がずっと重要であると思っている。

 

したがって、政党政治を好きになれない。

それ以前に、徒党を組むのが性に合わない。観察するに、それは個人の意見を述べる勇気を欠く者の行動であり、あるいは個人の意見を通すための行動に見える。個人の問題を全体の問題にすり替え、人を巻き込んで自分の利益を・・・

 

・・・つい口が滑り、過激になった。当時、ノンセクト・ラディカルという言葉があったが、私はノンポリ・ラディカルかもしれない。

 

 

個人的な理由がある。私達の世代は、活動家学生のために多大な被害を受けた。大学入学の時、首都圏では2つの国立大学の入学試験が中止になり、多くの受験生が直前に志望校の変更を余儀なくされ、大混乱となった。入学した後も、最初の半年間はキャンパスが封鎖されたままで、授業が行われない。自宅待機を続けたまま留年する可能性が現実味を増してきた。そのストレスは相当なものである。翌年まで授業再開の見込みが無ければ、また別の大学を受験しなければならない。

 

夏休みに警官隊(機動隊)が導入され、実力行使で占拠学生を排除して、ようやく授業が開始された。そして、1年分のカリキュラムを半年間に詰め込まれた。この時期、私は受験生の時代より遥かに厳しい生活を送った。もう一度やれ、と言われても不可能と思えるほどである。

 

 

当然ながら、私達の学年の多くは、学生運動に対して冷ややかであった。

 

  

 

最後の活動家たち

  

授業が始まってからも、活動家の学生たちは、しばしば集団で教室に乱入し、授業を妨害した。あるいはメガホンで、教室の外からアジ演説を鳴り響かせた。過度に暴力的な集団ではなかったが、私はその後、徒党を組む人々を常に警戒の目で見るようになった。

 

しかし、当初はかなりの人数と思えたものの、授業妨害の回数や集団の人数は、次第に減って行った。私が入学した大学は企業との提携関係が深いため、他大学に比べると左翼的な傾向が弱かった。

 

 

3年生となり、年が明けて、寒さの厳しい学年末になった。私達は期末試験の準備とともに、研究室の配属先が気になり始めていた。この時期までには、上の学年に何人かの活動家の留年生が残っている程度であった。活動家集団と留年生集団は同一ではないが、一定の範囲でオーバーラップする。全学的に見て、政治的活動と成績不振に一定の相関があったことは事実である。

 

そして多くの活動家留年生にとって、6年目が終わろうとしていた。この大学の在学年数の限度である。 その時、私達の学科で、そのうちの2人が一般学生を期末試験のボイコットに巻き込もうと画策した。一部ではあるが、他の学科にも同様の動きがあり、連動した計画であった。

 

 

この2人は良く知られていた。2回ほど教室に姿を見せただけであったが、私たちと共に授業を再履修していた。一人は夜の仕事の女性と同棲して子持ちであり、もう一人はキャンパス内で小型バイク(原付)の危険なジグザグ走行を頻繁に行い、警備の職員を困らせていた。 

 

2人は、講義を終えて教授が退出した直後の教室にやって来た。2か所の出入口をそれぞれ立ち塞ぎ、残った人々の退出を妨げて着席させると、「会議」と称して、試験のボイコットを提案した。理由は、「国立大学の授業料値上げに反対する」ためということである。

 

当時、国立大の授業料は月額1000円であった。これを2800円に値上げする、という政府案を阻止しよう、というのである。政府案は、値上げ額を上回る奨学金の増額をセットにしていた。

 

私たちの学年は、(私以外の)殆どの学生が紳士である。何人かが「自分たちは学業を優先したい」という趣旨の穏やかな発言を、辛抱強く繰り返し、議論を終わらせようとした。

 

私は紳士的な対応が苦手なため、黙していた。が、活動家学生は一向に帰らない。穏やかな発言では手ぬるい。そこで、私は仲間の発言の一つを引き継ぎ、これにややピリ辛の味付けをして、お引き取り願おうと考えた。が、意図を察知したのか、私がその発言を引用するや否や、一人が素早く反応した。

 

  「 君は卑怯だ! なぜ人をダシにするのか?

   なぜ自分の言葉で自分の意見を語らないのか!

   人の言葉を引用して、人をダシにするのは卑怯者だ!」

 

・・・自分に跳ね返ってくる言葉を、良く並べたものである。腹が立った訳でもないが、こう言われては仕方がない。

 

  「 じゃあ、僕の言葉で言うけれど・・・

 

   はっきり言って、撲達を巻き込んで、ドサクサに紛れて

   卒業しようとしているのは、見え見えだよ・・・

 

   人をダシにするとは、こういうことを言うんじゃないのか?

   こういうのを、卑怯と言うんじゃないのか?

 

   卒業したけりゃ、勉強しろよ」

 

 

教室内のあちこちで、失笑が漏れた。 

 

  「 お前、ハンドーかよ!?

   オレたちは、日本の大学教育を守るためにやっているんだぞ!

   それが、わからないのか!」

 

ハンドーとは活動家独特の用語である。改革行動に敵対する保守派の反動勢力、という意味であろう。失笑はさらに広がった。

 

  「 他人の教育の前に、自分の教育を守れよ」

 

  「 授業に出ろ」

 

と、ヤジが飛んだ。

 

  「こんな滅茶苦茶な授業に出て、意味が有るか!

   学生の事なんか、何も考えてないじゃないか!」

          ・

          ・

          ・

 

学年末のキャンパス

 

本心が見え、少し気の毒になった。授業については、私達も大いに不満があった。良い授業も勿論あったが、滅茶苦茶な授業があったのは事実である。これも紛争の原因の一つだったかもしれない。

 

何の勉強にもならない、うんざりする長い計算ばかり、レポートで繰り返させる教授がいた。一部の若手教官は、私たちの学年に卒業が危うい学生がいなかったのを良いことに、とてつもない高度な専門書を教科書に使い始めた。自身の勉強を兼ねたと思われるが、自分でも満足に理解できず授業に臨む。試験には普通の問題を出題するのだが、この学年と一緒の再履修では、気力も失せたであろう。

 

一度、10人程度のグループで、学科主任に改善を求めたことがある。上の無意味な計算は、彼の授業であった。彼は全く誠意を示さず、身構えて私達を活動家学生のように扱ったので、私達は黙って引き下がった。その時のメンバーは大半が大学院に進学したが、他学科や他大学に移った者が殆どである。

  

  「僕達だって、授業には苦労してるよ。何とかやってるけど・・・

   でも、それは個人の問題だから・・・全体の問題にすり替えるなよ」

 

再履修者の全員が困難な状況に置かれていた訳ではない。私達の学年では、互いに教え合い、相談し合う習慣が出来上がっていた。そこに再履修者も加わり、一緒に勉強するグループも発生していた。

 

多くの活動家学生の特徴であるが、彼等は一般学生に対して、尊大で侮蔑的な態度をとる。そのため自ら孤立し、輪の中に加わることができなかった。そして成績優秀な活動家仲間が次々に卒業すると、頼る人々がいなくなった。

 

気の毒ではあったが、試験のボイコットは完全に諦めさせなければいけない。手勢を率いて試験場に乱入する可能性もある。留年の道連れは御免である。

 

    「卒業しようが、しまいが、どっちみち君達は、この3月には大学から

   いなくなるじゃないか。 授業料の値上げは君達には関係ない話だろ?

   自分の目的に利用するのはやめろよ。

 

   とにかく、僕達は卒業したいので、試験を受ける。

   これから家で勉強するので、帰してくれよ」

 

 

人々はヤジや失笑を控え、教室は静かであった。

2人は捨て台詞を残して去った。

 

私の発言は、かなり危険なレベルであった。当時は殺人事件さえ起こっていた大学もある。暫くの間、何人かの友人が、帰宅の際に駅まで同伴することを申し出てくれた。 

 

 

期末試験の終了と同時に年度が終わり、2人は除籍となった。すでに期末試験の教室に、彼等の姿はなかった。 

 

人通りの少なくなったキャンパスで、一度だけ、原付のジグザグ走行が目撃された。

 

 

 

集団の黄昏

 

一時はかなりの人数が参加した大学紛争であるが、一口に活動家学生と言っても、幅は広い。投石に加わった学生たちも多くは、普段は普通の生活を送る人々である。そして殆どの活動家学生は、ほぼこの時期までに大学を去った。社会人となり、あるいは大学院に進学するなど、それぞれの人生を歩む。

 

除籍された人数は、多くはないであろう。この大学は在籍限度の期間が短いため、多くの学生は卒業が危ういと、早めに他大学に移る。そのため、活動家学生の集団は、他の大学より急速に縮小した。

 

成熟へ向かう社会の変革は、流血によっては達成されない。暴力的な行為は石を投げる程度が限度である。革命家の活動も市民生活を営みながらであり、日々の糧や将来への準備は、個人の問題である。

 

たとえ社会が変わっても、これら個人の問題は残る。多くの人々は、集団の活動とは別に、自身の問題に対しては独自に対処していた。あらかじめ医者に診断書を書かせて休学を申請し、期間を延長して卒業した学生もいた。全国的な全学共闘会議を率いたのは、秀才の誉れ高い理論物理学の大学院生であったが、彼も紛争後は、独自の人生を歩んだ。

 

 

自分の人生を顧みず活動に身をやつし、気が付いた時には取り残されていた人々がいた。その結果、社会の中で細々と維持され、先鋭化していった少数の集団が残された。「よど号ハイジャック事件」や「浅間山荘事件」などは、消滅し損なった断末魔の集団が引き起こした事件である。

 

理解しがたい行動と見られたこれらの事件については、当事者の談話も含めて、様々な角度から解説がなされてきた。が、私は単純な理由によるものと思っている。

 

集団は、メンバーの利益を互いに守る限りにおいて、維持される力を残す。利益には精神的なものも含まれるので、当人たちがどのように意識していたかは分らない。が、いずれにしろ、縮小して孤立化した集団は、すでに社会的な目的を失い、最後には個人的な利害の一致によって保たれていたのではないか。試験ボイコットの2名と同様である。

 

そして彼等は、個人の問題に対処する方法を持てず、最後まで集団の力を頼みに、自らの生きる道を模索した。

 

 

(続く)

統計の虚実3

 

人は正確な統計データに基づいて、自分のとるべき行動を決める訳ではない。ビジネス等では利用できるデータが存在する場合もあるが、日常の行動では、そのような場合は少ない。

 

人々の判断の基準は、それぞれ経験の蓄積としての、個人の統計データである。多くの推測を含み、実態を正確に反映している保証は無いが、日常生活では、人はそれを頼りに行動する。

 

 

翼の人々

 

先日、テレビの番組で「ネット右翼」について議論されていた。SNSでの情報発信において、多くの人々がネット右翼に叩かれることを恐れ、それを回避するため、自らの意見を右傾化させている、というのである。

 

しかし調べてみると、右翼的な意見を大量に発信して炎上させているのは、ごく少数の人々である。これら少数の意見が全体を引きずるという、危険な状況が生まれている、と番組は指摘していた。

 

ネット右翼を専門に研究している評論家が取材を受け、自身の調査結果を紹介していた。それによると、ネット右翼が書き込みを行うのは、早朝から午前中など、普通に働いている人は不可能な時間帯が殆どである。しかも、夜間も発信者に対して即時対応するなど、普通の勤労者には困難な作業を、非常なエネルギーをもってこなしている。

 

このような人々はかなり年齢が高く、退職して働かずに暮らしている人々、あるいは若くても、会社経営者など、時間的に余裕のある人々であり、人数は少ないという。ただ、同じ人々があちこちに何回も書いているため、目に触れる回数が多い。

様々な方法で調査すると、右翼的な書き込みをしている人は、全体で多くても200万人程度に過ぎない、とのことであった。評論家氏は

 

   「1億の中の高々200万人程度の意見を、日本全体の傾向

    のように捉える必要はなく、それは滑稽で危険である」

 

という趣旨の結論を述べていた。

  

 

私は政治には殆ど関心が無いが、生来が権威に逆らう性格の末っ子であるので、右翼的意見には同調しない場合が殆どである。しかし番組を見て、前回の新聞記事の場合と同様に、「ちょっと待てよ・・・」と思った。

 

なぜ、ネット社会で沈黙する人々を、「意見を同じくする者ではない」と決めつけるのか?

書き込む時間が無いだけであれば、聞いてみなければ判らないではないか? 

ここでも、母集団の構成が考えられていない。

 

私が若い頃、大学は(教官も学生も)おおむね左翼的であった。とりわけ物理学会には、その空気が強かった。防衛大学校の先生方は、物理学会の会員になることさえ叶わなかった。

 

それに比べるとであるが、今の若手教官は、右翼的な考えに近づいている。

 

評論家氏は、ネット右翼の特徴として、「A新聞、中国、韓国の3つが嫌い」とコメントしていた。自身では「これをネット右翼の定義としている」ということであった。A新聞については分らないが、残りの2つに当てはまる人々は、若手の教官には非常に多い。

 

時間的・経済的な余裕のある人々は、全体からすれば母集団が非常に小さいと予想するが、この中に200万人ものネット右翼が存在するというのである。その比率は大きい。

 

加えて、余裕があり、かつ同様の思想・信条を持っている人でも、全員が書き込みをするとは限らない。沈黙している人々も多いと予想する。

 

決めつけてはいけないが、ひとまず、時間的・経済的余裕と右翼的思想が無関係であるとしよう。すると、例えば余裕ある人々が全人口の1割であれば(そんなに多いとは思えないが)、200万人という数は、10倍して考えなければならない。 

そして、余裕ある人々の中でも、右翼思想の持ち主の2人に1人しか書き込みをしていなければ、掛けるべき数は20になる。

 

何度も色々な場所に書き込み、意見を拡散させるほどの熱心な人でなければ、ネット右翼ではない、とするならば、テレビ番組の分析は正しいかもしれない。しかし、意見分布はまた別問題である。投票行動までは至らなくても、「右傾化は日本全体の傾向ではない」とは結論できない。SNSでの情報発信において、ネット右翼を刺激しない配慮をする人々の嗅覚は、個人の統計データとして、かなり正しい可能性がある。

 

 

 

捕鯨を非難する人々

  

国際社会でも、真の意見分布を知ることは難しい。

 

海外で捕鯨反対を声高に主張するのは、一部のヒステリック集団であり、良識ある人々の大半は、他国の食習慣に干渉する失礼を肯定しないのではないか、という楽観論が日本にはある。

 

確かに、シー・シェパードなどの行為は狂人的である。「時間的余裕があれば、自分もここまでやりたい」と思っている人々が、世界の多数派だとは思えない。

 

しかし、感情としての意見分布は、また別である。

 

   「君は鯨を食べるのか?」

 

という質問を、私は海外で何度も受けた。これには、ごく親しい人々も含まれる。質問者は、私の気分を害さないように、慎重に微笑みを浮かべて質問する。私は正直に

 

   「貧乏学生の時代に良く食べたが、好物ではない」

 

と答える。

 

 

質問するからには、肯定的な感情は持っていないと予想する。非難はしていないが、犬や猫を食する民族のように感じているかもしれない。「鯨を食べるのか?」と尋ねる人の中には、少なからず、「日本人は馬肉も食べると聞いたが、本当か?」と重ねて尋ねる人がいた。

 

すでに親しい間柄であれば、私が鯨を食おうが馬を食おうが、友情が損なわれることは無い。しかし、「私自身は鯨は食さない」と答えれば、新たな友人を得る可能性は高まるであろう。海外の意見分布は、その程度であると予想する。

 

 

 

年末パトロールを嫌う人々

  

自治会の「年末パトロール」というのが、首都圏にはある。「カチカチ、火のよーじん」という、江戸時代からの風習である。

どのくらいの地域で行われているのか知らないが、久しぶりに東京に戻り、これがまだ残っていることを知った。

 

 

慎重に微笑みを浮かべて、御近所の人々に、

 

   「あのパトロールは、本当に火災防止に効果があるでしょうか?」

 

と話を向けてみた・・・ことはない。結果は判っているからである。同じように微笑みを浮かべて、「やらないよりは、いいでしょうね」と応じるであろう。

 

 

ネット上では微笑む必要が無いので、文句を書き込む人々は口調が激しい。

いずれも「うるさい」「寝ている子供がおきてしまった」などと、騒音を反対理由にしている。

 

口調は激しいが、私はこれらの人々が、真の理由を書くことを控えている、と思っている。「こんなことやって、なんの効果があるの!」「無意味なことはやめろ!」「暇な年寄の趣味に、若者を巻き込まないで」・・・などとは、誰も書いていないようだ。 

 

ここに書いたのは、私の本音である。「うるさい」と苦情を述べる人々の本音も、実はこれではないか?  ・・・ と勝手に想像している。 

 

年末だけの行事であり、騒がしいのは短時間である。十分に効果を認めていれば、誰も文句を言わないのではないか。夜中の救急車のサイレンに苦情を訴える人を、私は見たことが無い。

殆ど意味が無いと思いつつ、町内会で参加を強要されるなど、不快な思いをした上での書き込みではないだろうか? 

 

 

私も町内で、正直な意見を述べて来なかった。それは、

 

    「何の効果も無いと、なぜ断定できるのか」

    「市民として出来るだけのことをすべきとは思わないのか」

 

などの「正論」によって反論されるのが、目に見えているからである。「私の分類では3、ないし4である」などというのは通用しない。

内心では意味が無いと思っていても、正論として認知されている意見に、敢えて異を唱える人は少ない。そして正論派は当然、沈黙を賛成と見做して勢いづく。結果として正論派は、ネット右翼と同様の働きをする。戦前の主戦論者と同様である。

 

激しい書き込みをしている人々も、それが分っているので、「うるさい」だけを理由にして、怒りをぶつけているのではないか・・・

 

 

 

真の意見分布は、近所付き合いの微笑みの下に隠される。

 

ネット上では、激しい口調でも、やはり意見分布は隠される。

 

 

 

 

余談:貧乏学生時代の食生活

 

私は貧乏学生のころ、鯨や馬肉を良く食べた。

 

安いコーン・ビーフの缶詰は、牛肉と表示してあっても、明らかに馬肉であった。これは脂肪が少なく、悪くなかった。

 

鯨は臭みがあり、苦手であったが、貧乏仲間の友人から教わった調理法で、冬場はそれなりの御馳走となった。

 

フライパンをストーブの上に置き、熱した頃に鯨肉のスライスを乗せ、数秒で裏返す。そして、さらに数秒後に、用意していた生姜醤油にさっと浸し、フライパンからそのまま食べる。

急がないと、食しているうちに臭みが増すが、熱いうちであれば、牛肉とそれほど変わらない。決してウェル・ダンにはしないので、鮮度は良いものを選ぶ。部位として高級な尾肉である必要はないが、できれば生食可能と表示されているものが望ましく、それなりの値段はした。

 

今は失業した貧乏老人である。日本が商業捕鯨を再開したら、また試してみようかと思っている。輸入牛肉より高くなっていなければだが・・・

 

 

 

英国人の色彩感覚2

英国人の色彩感覚1」から続く

 

 

いらかの波

 

白い漆喰の壁と、黒い瓦屋根が立ち並ぶ。

 

      黒、白、黒、白、 ・・・  

 

果てしなく並ぶ。住宅地には色が無い。

 

帰国して最初に赴任地に到着した時は、夜であった。用意されていた官舎の集合住宅に泊まり、一夜明けて窓から見渡した景色である。

 

      「まるで葬式だ・・・」

 

と思った。

 

これから、この住まいで過ごすことになる。かなり気が滅入った。 

 

 

トイレのスウィングドアの色については、日本人の感覚を失っていなかったが、英国暮らしで私の色彩感覚は、やはり相当に変化していた。英国の住宅街はカラフルである。色彩が必ずしも良いとは言えなかったが、淡いピンクの壁の色などは、グリーンの自然の背景に良く合う。これが当たり前になっていた。

 

 

屋根の色はやはり・・・

 

間もなく家を購入した。オトメの実家に残していたグランドピアノは、官舎には到底入らない。どのみち集合住宅では、ピアノはたとえ入っても、音は「だだ漏れ」である。どうしても戸建が必要であった。

購入の経緯については、驚くべき幸運の連続があり、いずれ別の記事で紹介したいが、とにかく赴任半年後に、私達は極めて廉価で、新築の一戸建てを手にすることができた。地方都市でこそ可能だった話である。

 

 

家の購入に際して、私とオトメは、白壁と黒い瓦屋根の日本家屋を、どうしても受け入れられなかった。地元の在来工務店は、それ以外の住宅を知らない。私達は、工場生産のパーツを組み立てる大企業の洋風住宅を選んだ。このようなメーカーは、それなりの防音技術も持っている。庭には芝生を張る予定であった。

 

家を建てる際のプラニングは大変である。間取りは基本的にメーカー仕様で、少し修正を加えてピアノ室を用意しただけであるが、内装では床から天井まで色を決める。そして外装では、外壁や屋根の色を決める。

 

屋根の色を決めるとき、私とオトメは赤い瓦を欲した。これに担当の営業マンは強く反対した。赤い色のスレート瓦は経年変化による脱色が激しく、すぐにみすぼらしくなるので、なるべく使わないで欲しい、というのである。人口の多い大都会ではない。購入を検討している客が必ず見に来る。一軒一軒の住宅の印象は、売り上げに直結するとのことだった。私達としても、すぐに色褪せるような屋根では困る。頻繁に塗り替える資金の当てもない。結局、屋根の色は勧めに従い、長持ちする黒色になった。

 

 

外壁の色は?

 

屋根の次は外壁である。大企業の住宅は、車のように新しいデザインが定期的に市場に投入される。私達は旧モデルを安く購入した。しかし、外壁だけは最新モデルの部材が使用されることになっていた。

屋根に黒を選んだからには、葬式ムードの白壁は避けたい。白以外の外壁材の色には、5色ほど選択肢があったが、いずれも納得できなかった。そこで、1階はモスグリーン、2階はベージュと、色を分ける2色刷りを提案した。この地域では例が無いということであったが、営業マンが持ってきた完成予想図に色鉛筆で着色して示すと、彼は強い興味を示し、積極的に賛成した。

 

 

着工の直前になって、営業マンから連絡があり、残念ながら予定していた外壁が使用できない、と伝えられた。この製品は、まだ発売されていないモデルの専用であり、旧モデルでの使用は新製品のイメージを損なうので、本社から許可が下りなかった、というのである。旧モデルの外壁は現場塗装なので、全く同じ色に仕上げることができる。これで了承してほしい、ということであった。

 

   「わかりました。でも現場塗装なら、色を自由に選び直しても

    良い訳ですね?」

 

と、私は応じた。

 

   「もちろんです。先日決めて頂いた色は、限られた中から

    でしたから・・・自由に考える方が、むしろ楽しいですよね。

    どのような色をお考えですか?」

 

   「そうですね・・・私はもともと、淡めのピンクが芝生に映えて

    良いかと思っていましたので、部分的に、それを使ってみたい

    と思います。若干、パープルを入れるのもいいですね・・・」

 

 

営業マン氏に一瞬の沈黙があった。そして、

 

   「先生、私の方も、もう一度本社と話してみますので・・・

    じゃ、また御連絡します!」

 

と、そそくさと電話を切った。そして30分後に再び電話があり、

 

   「先生、本社が新製品の使用をOKしてくれました!

    良かったですね! これで行きます!!」

 

と、私に話をさせずに、一方的に電話を終えた。

 

 

変化の兆し

 

2色刷りの外壁は大成功であった。ともすればアパートのような外観になるこの会社の製品の欠点がカバーされ、自由さと若干の高級感が共存した。その後、市内には壁の色を塗り分けるカラフルな新築住宅が、あちこちで見られるようになった。「購入を検討している人は必ず見に来る」ということだったので、私達の家が、多少のきっかけを作った可能性はあるが、そのころから人々の色彩感覚は変化してきたようである。

  

それからかなりの年月が経ったある日、横浜市で淡いピンクを基調としたマンションが建設され、近隣の住民が「風紀を乱す」と反対運動を起し、塗り替えを要求して裁判に持ち込んだ、というニュースが報じられた。テレビで観る限り、かなりの高級マンションであり、私とオトメには品の良い色調に思えたが、地域住民の色彩感覚には合わなかったようである。全員とは限らないが。

 

裁判は、訴えた住民側が敗訴した。その後、似たような色の集合住宅は、横浜をはじめ、各地で増えつつあるように思われる。現在私達が住んでいるのは、東京の古い集合住宅であるが、ここも塗り替えた時に、それにやや近い色調となった。老女の厚化粧の感は否めないが、それなりに品良くまとまっている。私達が家を購入した住宅メーカも、薄いピンクやパープルを使ったマンションを、少しずつ建て始めている。色彩感覚は、互いに影響し合いながら、時代と共に変化するものなのだろう。

 

 

なお、私は営業マン氏に意図的にブラフを仕掛けた訳ではない。結果的にそうなっただけである。彼は誠実な人柄の優秀な人材であり、後年、重役となった。私との親交は今でも続いている。

 

 

今回は「英国人の色彩感覚」についてではなかった。が、それに影響されるとどうなるかを話したので、御容赦願いたい。

 

 

 

諺を良く考えよう  10

 

 

 

        熱いのはどっちだ?

 

 

  タロー  「・・・ったく、ウチの学生は・・・

                         いくら一生懸命教えても・・・無駄になる・・・」

 

  オトメ  「焼け石に水なのね」

 

  タロー  「・・・?? なんか、言葉の使い方、違ってない?」

 

  オトメ  「どうして?

 

             焼石 = 学生さん  

             水をかける = 一生懸命教える

 

        合ってるでしょ?」

 

 

  タロー  「・・・

        どちらかと言えば・・・

        水をかけられているのは、ワタシのような・・・」

  

 

 

統計の虚実2

 

統計の虚実1」から続く

 

「統計」の話とは言えないが、やや関連する確率の話をしよう。 

恐縮ながら、再び長男の話題である。

前回の記事から遡ること、およそ10年前であるが・・・

 

 

長男至上主義と人口比 

 

ある小説家が 週刊誌に、軽い娯楽記事を連載していた。

大方は「随筆」というより、私のブログと同程度の予田話である。作家仲間の裏話や、その他諸々の雑談であった。

ある男性作家が、冬の季節に外出する際にズボンをはき忘れ、「ももひき」の上にオーバーコートをはおり、そのまま山手線に乗ってしまった・・・など。

 

ある時、この作家が次のように書いた。

 

 「日本人の夫婦は長男至上主義で、男の子を欲しがる。最初に生まれた

  子が女の子であるとがっかりして、次を期待して第2子を生む。それ

  も女の子なら第3子・・・という具合に繰り返す。そして、男の子が

  生まれると、たとえそれが第一子であっても、満足して次に子供を作

  らない夫婦も多い。このようなことを日本中が続けていると、男女の

  人口比にアンバランスが生じ、男ばかり増えるので、好ましくない」

 

というのである。

 

この号が発売された翌日から、続々と膨大な数の抗議が編集部に寄せられ、作家氏は翌週の記事で謝罪するはめになった。抗議の内容は、殆どが一致して、次のようなものである。

 

 「一回ごとの出産で、男女はそれぞれ1/2の確率で生まれてくるので、日本中

  の第1子を集めてくれば、半数は男性、半数は女性である。第2子だけを

  集めても同様、第3子だけを集めても・・・したがって、どこで出産を止め

  ても、男女の人口比にアンバランスは生じ得ない」

 

私は当時大学生であったが、日本の公教育における数学のレベルの高さを実感した。正確な人数は覚えていないが、投書数は数千以上の膨大なものだったそうである。

 

これだけ多くの日本人が、正しい母集団の選び方を理解し、数理的な判断を素早く行っている。私自身を含めて、このような娯楽記事の愛読者層が、知識人集団だった可能性は低いと思えた。また、この週刊誌の性格から言って、読者の多くが理系であった可能性も低い。

 

今、これと同じことが起こり得るであろうか?

 

そうはならない気がする。

前回に紹介した長男優位の新聞記事は、この週刊誌の記事から10数年後であったが、私の記憶する限り、この新聞記事には反論の投書は無かったようである。

 

新聞社が投書を無視した可能性はあるが、私には2つの記事の間に、日本の公教育に不可逆的な変化が起こったように思えた。丁度、週刊誌記事に前後して、大学入試の全国一斉テスト(共通一次)が導入された。10年の歳月は、影響が顕著に現れるほど長くはないと思われるが、それでも人々の反応は変わっていた。今では、数量的な問題に関する人々の嗅覚は、さらに鈍くなっているのではないか。

 

ちなみに、私の読んだ週刊誌と新聞は、同じ出版社から発行されている。

  

 

補足

 

この作家先生は、すでに亡くなられたが、偉大な小説家であり、私は尊敬している。

週刊誌の戯れの連載とは全く異なり、重いテーマの多数の作品を発表され、多くが英訳され、世界中で評価されている。

 

  

蛇足

 

冒頭の話は、視点を変えて提示すると、印象が正反対になる。

 

2頭の馬だけが走る競馬場があった。ギャンブル狂の男が、これなら勝てる、とばかりに、大金を一頭につぎ込んだ。あえなく沈没し、次も賭ける。勝つまでやる覚悟である。勝てばやめる。

 

すべての人がその意気で賭ければ、トータルでは勝つ人が多くなり、競馬場は経営破綻するであろうか?

 

私の印象では、競馬場は大儲けするような気がするが・・・

 

もちろん、どちらの印象も間違いである。どのレースも、勝ち組と負け組は50%ずつである。

 

ただし有限の世界での話なので、ゆらぎがあり、どのレースも厳密に50%ずつではない。特に、最後に行われるレースでは、勝者が100%となる。

 

その点では、冒頭に紹介した作家先生の考察は正しい。

 

なお、印象には個人差があるようだ。元のままの話をすると、「男の子ではなく、女の子が増えるような気がする」という人が、相当数いる。

 

  

 

蛇足の蛇足

 

競馬で必ず勝つ方法がある。

 

レースで負ければ、それまでに負けて失った総額の2倍を、次のレースに賭けるのである。2倍ではなく、3倍でも4倍でも良い。

そして、勝つまでこれをやり続ける。

 

これは絶対に損をしない。

永久に負け続ける確率は、ゼロだからである。確率1で、かならず勝てる。

負け続けるほど、最後に手にする金額が大きくなる。

 

もちろん、これは無限の世界の話である。有限の世界では通用しない。

資金も時間も無限に持つ人にのみ、あてはまる話である。

 

無限世界で成り立つ投資理論を、有限の世界に適用し、見事に失敗したのが、リーマンショックであった。

  

 

 (続く)

 

統計の虚実1

 

 

第1子 vs 第3子

 

満面の笑みを浮かべ、オトメが勝ち誇ったように、私の目の前に新聞記事を広げた。

 

渡英する前の、まだ新婚といえる時代の話である。

記事は、当時よく話題になっていた「長男(長女)と次男(次女)の、どちらが優秀か」という問題についてであった。

 

この話題は、テレビ番組でも頻繁に取り上げられていた。「親が大切に育てるので、第一子が最も知的発育度が高い」という意見に対し、「下の子は上の子の失敗を見て育つので、賢くなる」というのが、良く見られる対立構図だった。最近は不適切な話題に属するのか、取り上げられる機会が少ない。

 

オトメは長女、3人兄弟の第1子である。そして私は次男、3人兄弟の第3子である。

私からこの話をした記憶はないが、オトメはこれをしばしば話題にした。そして私は、個人的な観察から、第1子優位説には賛成しなかった。

 

人間は成功体験によって自身の行動原理を築く。常に失敗体験から始まる人生は迷走し、加えて「親が大切に育てる」ことが、自己修正能力を鍛える機会を奪う。

 

 

オトメは「末っ子の言いそうな理屈ね」と、上から目線で一蹴した。内心は動揺していたかもしれないが。  

 

 

長男 vs 次男

 

その新聞記事の内容であるが・・・

首都圏で名門進学校として知られる、幾つかの中高一貫教育の私立男子校を調査したところ、生徒には長男が圧倒的に多く、全体の2/3を占めていた、というのである。記事はそれをもって、「長男の方が優秀である」と結論していた。

 

読み流して終わりにすれば良い記事だったが、つい数値が気になってしまった。

  

  「・・・ちょっと待てよ、2/3 だろ? この結論はおかしいよ」

 

  「え? 何を言ってるの・・・ 明らかに大きな差でしょ?」

 

  「いや・・・別にどうでもいいけどさ・・・2/3 なら結論は逆だな」

 

  「おかしなこと言う人ね・・・研究者らしくないわよ。これだけの

   証拠があるんだから、次男の負けよ・・・潔く認めなさい 」

 

  「ちょっと待てよ。いいか、どこの家でも、大体子供は2人だろ?」

 

  「それがどうしたの?」

 

  「すると組み合わせは、男・男、 男・女、 女・男、 女・女 だな?」

 

  「・・・それで?」

 

  「この中に男は4人いるけれど、そのうち3人は長男だぞ。 次男は

   一人しかいない。男・男の組み合わせの2番目だけだ。それ以外の

   3人は全部長男だ。つまり3/4 が長男で、ようやく釣り合うわけだ」

 

  「2/3 なら、それより多いんじゃない?」

 

  「・・・バカ言え・・・人前でそんなこと言うなよ ・・・

 

  「・・・そうか・・・3/4 よりは・・・少ないわね・・・でも、あなたの話、

   おかしいわよ! だって、これ新聞の記事だもの! 嘘が書いて

           あるはず、ないじゃない」

 

久々であったが、昔よく経験したパターンの一つに陥ったので、思わず反応してしまった。

 

  「 ・・・おかしい?  オレは今、ちゃんと説明しただろ?  そう

   いう時は、ちゃんと聞くんだ!

 

   ・・・ったく、そうやって、人の言うことを聞かずに、自分の

   頭で何も考えないで決めつけるのが、長男・長女なんだよ!

 

   世の中には長男の方がずっと多いから、元々、長男と次男では

   数が釣り合っていない、と言っているんだ・・・

  

    ・・・このくだらない記事を書いた奴も、たぶん長男だな・・・

  

 

大人げもなく、余計なことまで呟いてしまった。

もしかしたら、もっと色々と言っていたかもしれない。「小学生でもわかる簡単な話だ」とか・・・

 

 

 

悪い癖

 

私も悪い癖が出てしまったが、実際、第一子の悪い癖の中では、これが最たるものと言える。相手が正当なことを言っているにもかかわらず、全く別の観点から全否定する。とりあえず相手の言うことを理解しよう、という姿勢が乏しい。考えずに否定し、考えて解らなければ、なお一層、否定する。そして間違え、失敗しながらも、なお上から目線を崩さない。

 

オトメが私に対して、その癖を出すことは滅多になかったが、それでもたまにあった。 

 

  「いーえ、騙されません!  まあ、末っ子は口が上手いから・・・

   今まで随分言いくるめられてきたけど・・・今度ばかりは・・・証拠が・・・ 

  

日本人は、新聞の記事を権威と見做す傾向が強い。そして長男・長女は、権威に対して従順である。一般に彼等の警戒心は、「上」ではなく、秩序と平和を乱し、自分たちの既得権益を脅かす「下」に向けられる。一方、末っ子は自由を尊び、これを損なう元凶である「上」を容易に信用しない。

 

だが、途中からオトメの勢いが衰えてきた。その日ばかりは勝手が違う。数量的な問題では明らかに分が悪い。問答無用に切って捨てるいつもの瞬殺技が通用せず、今は相手が上から目線であり、彼女は珍しく焦っていた。

 

  「だって・・・新聞の記事よ・・・ほかにも・・・三男とか、四男とか・・・」

 

  「まだ言ってるのか・・・三男とか四男とか、そんなの、ほんの

   少ししかいないぞ。それを言うなら一人っ子のほうが、ずっと

   多い。これも長男だ。世の中、長男だらけだ。

   君の知っている、長男じゃない男は、オレのほかに何人いる?」

     

  「 ・・・ 」

 

  「数で言ったら、長男は 3/4 どころか、4/5 くらいかな・・・

   長女も同じだな・・・ありふれた長女が、貴重な次男様と

   結婚できたんだ。 有り難く思えよ」

 

再び余計なことを言ってしまったが・・・もはや乙姫の神通力を奪われ、普通の人間の女になってしまったオトメのふくれっ面に、笑いが込み上げてきた。

 

  「なによ! その、ニヤついた顔は!」

 

勝者の微笑みを浮かべていた訳ではない。単に可笑しかったのである。

 

  「まあ、小学生の「お受験」のデータだけで、こんな話をでっち上げる

   のも情けない記事だけど・・・どうしてもこれだけで結論を出せと

   いうなら、次男の方が優秀・・・と言う結論しかないな・・・」

 

        「・・・おかしいわ・・・ 絶対、どっか騙してるのよ・・・ 

 

オトメは紙に絵を描いて、私の説明を検証しはじめた。4軒の家を描き、男の子、または女の子を、それぞれに2人ずつ描く。

絵を描いて確かめるのは見どころがある。少なくとも、自分で考え始めた。他の芸術的な志向の強い人々と同様に、オトメも、元来が理系的な人間なのかもしれない。

     

 

ガセネタの理由

 

私は、2/3という数値を見た瞬間、この記事をでっち上げと判断していた。物理屋は疑り深い生き物であるが、この値は長男の優位性を示すのに十分大きいどころか、上に述べたように私が拮抗値と予想した4/5に比べて、小さすぎる。実際にそのような統計があったなら、長男の比率は80%程度のはずである。

 

そもそも私は、第1子優位説には賛成していなかったものの、通常の学力に関しては、一般に第1子が優勢と考えていた。私の観察では、次男の多くは、長男の権威主義に嫌気がさし、親に対しても反抗的になる。そして(長男と同じように)親の顔色を伺いながら、コツコツ勉強することを嫌うようになり、学校の成績はおおむね低調である。次男の能力は、社会に出てから発揮される場合が多いようだ。

 

むしろ長男が90%という記事であれば、私は信用したであろう。この日、オトメが見せたのは、空いた紙面を埋める程度の軽い三面記事だった。このような話題について、この新聞は今でもよくやるのだが、記者は怪しまれないように、大き過ぎない数値を選んだのだろう。

  

もしかしたら、記事自体はでっち上げではなく、何らかの公的な機関の調査結果を紹介していたかもしれない。しかしその場合、調査機関としては、余りにも御粗末な分析である(調査自体も不適切、かつ無意味であるが)。

 

しかし、それも良くある話である。統計的なデータは、母集団の構成をきちんと把握してこそ、意味のある結論が引き出せる。統計データに関する「まやかし」は頻繁にあるが、作為の有無にかかわらず、殆どの場合、そこでインチキが行われている。

 

 

やがて、オトメは購読する新聞を変えた。

 

(続く)