浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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英国人の読解力と国語教育1

 

 

 

言葉の重要性4」から続く

 

上の記事において、言葉は感情を伝える手段ではなく、情報を伝える手段である、と書いた。

 

もちろん、これは学問の世界の話で、言葉には両方の役割がある。そして、感情と情報の区別は必ずしも明確ではない。さらに言葉には、文字通りの情報以外にも、背後の状況や話し手の表情、仕草ともリンクして、様々な意味が込められる。

 

学問の世界において、言葉にこのような「様々な意味」があっては大変困るが、日常の生活においてこれらをすべて無視し、言葉を単に「文字通りの情報を伝える手段」として認識すると、どのようなことが起こるであろうか?

 

 

語学研修

 

英国に研究員として赴任してから半年後、ボスのY教授は学部長の要職に就き、研究の現場から離れることを余儀なくされた。研究テーマはあったが、自分の判断で好きなようにやって良い、と言われ、私は日がな一日、オフィスに一人置かれた。

 

このときは大学のゲストハウスに移ったばかりであったが、近所の人々は、私たちに対してなぜか険しい表情で、挨拶もろくに返さず、交流は全くなかった。

あとで判ったことであるが、ゲストハウスの住人はポーランドや台湾、香港など、政治的に微妙な立場の国々の人が多く、私達を大陸本土の中国人と思い、誰も近づかなかったのである(日本人と知った途端、大歓迎された)。

 

ティータイムとランチタイム以外は誰とも話さず、家に帰り、妻と日本語で会話する。このままでは会話能力が全く向上しない。私は、大学の語学研修を受けることを思い立ち、Y教授に相談した。留学生や私のような滞在者のために、大学が費用を負担して、研修を行う制度があった。

 

学部長室に移っていたY教授は渋い顔をした。事務方は支出を最小限に抑えるのが仕事である。日本のように、あらかじめ予算が確保されていて、人数にゆとりがあれば問題ない・・・という制度にはなっていない。

 

  「う~ん・・・来てすぐなら良かったんだが・・・もう、みんなタローのこと

   を知ってるからなあ ・・・まあ、一応かけ合ってみるけれど・・・」

 

数日待たされた事務局からの返事は、「ウラシマ博士は仕事を遂行する上で研修が必要と判断されない」という、つれないものであった。

 

私はやむを得ず、自費で研修に参加することにした。かなりの費用であった。 

 

 

 

  

英国人の微妙な会話

 

まず最初に、所属するクラスを決めるテストを受ける。

ケンブリッジ・サーティフィケートと呼ばれる、外国人が母国で語学教師をするためのグレード試験がある。クラス分けのテストは、その模擬試験問題を使っていた。コースの教材も、同じ団体から供給されている。聞き取り問題は、日本人が苦手なLとRの区別などは、全体のごく一部しかなかった。そもそも試験は会話能力より読解力、構文、高度な語彙の理解などを重視しており、日本人には容易な問題ばかりであった。その結果・・・

 

いきなり最上級クラスに入れられてしまった。

 

私は途中参加であり、すでに授業は進んでいた。私以外の受講者はすべて、母国の大学で教員をしている途上国の留学生であった。

 

最初にやったのは「割り込み」の訓練である。外国人は、警察や行政機関、銀行など、さまざまな場所で、手続きが必要である。その際に、たとえば自分が該当しないことが途中で判明しても、職員が説明を一方的に続けたりする。そのような時は、相手の話を「ちょっと待ってください」と遮り、自分の状況を説明し、不要な会話を避けなければならない。そのタイミングと、適切な言葉の選択である。

 

これは大変、ためになった。

 

その次の訓練は「遠回しな会話」である。聞きにくいことをそれとなく、微妙な言い回しで、じわじわと核心に迫るように尋ねて行く。これは表現の訓練というより、話の組み立て方の訓練と思えた。

 

教材は良くできていたが、受講者が未成年の場合には使えないものだった。

精神カウンセラーが患者と会話を始める、という設定で例を示している。

患者は問題を抱えているのだが、言いにくい内容であり、相談に来ていながら、それを隠す。

カウンセラーはどのように遠回しな会話を組み立てるか・・・

 

まず、「今朝は、朝食に何を召し上がりましたか?」と、それとなく生活の様子を探る。患者は、食した物を一つずつ答える。

トーストと紅茶の他に、ベーコングリルや半熟玉子など、典型的なイングリッシュ・ブレックファーストであるが、分量がやや驚くほどである。量が多すぎることは本人も自覚している。朝食であり、料理の腕が左右することはないが、「私の女房は料理が上手なんですよ・・・」と言い訳のように付け加える。カウンセラーは昼食、夕食の内容も尋ねるが、いずれも山のような分量であり、患者はしきりに「女房は料理が上手で・・・」と繰り返す。これらもポテトやソーセージなど、非常に単純な食事で、ほとんど「料理」と言えるような内容ではない。

 

カウンセラーはさらに、生活の様々なことを訪ね、次第に真相が明らかになって行く。

 

患者の男性は、性的不能に陥っており、そのため、妻が不機嫌にならないように気を使い、ごく普通の食事を「とても美味しい」と褒めつつ、一生懸命に食べていたのである。

最後に、やや直接的な表現が、カウンセラーの一言にチラリと現れ、それに対して患者は「・・・」と口籠って会話は終わる。

 

 

 文字通りに解釈せよ!

 

この練習は初回であったので、まずは会話音声を聞き取り、内容の理解をチェックする設問が教材には設けられていた。配布されたページには、会話の内容がそのまま書かれていた。

 

教師は、「なぜ、患者は大量の食事を採っていたか」という要の設問を、私に振った。指名されたのでは仕方がない。言い難かったが、教室に女性はいなかったので、私は

 

   「彼は身体的な問題を抱えていたので、妻との関係を良好に保つために、

    彼女の料理に満足していることを示そうとして、大量に食べていた」

 

と答えたところ・・・教師は驚いた顔をして私の顔を見た。

 

   「ノー!! あなたは聞き取れなかったのですか?」

 

たとえ聞き取れなくても、すべては文章に書かれて配布されている。なぜ彼は大量に食していたのか・・・私には他の理由は考え及ばなかった。

 

   「・・・ 私の答えで違うのでしたら、正解は何でしょうか?」

 

   「彼が自分で言っているでしょう?彼の奥さんは、料理が上手なのですよ!!」

 

 

   「・・・  は ?  ・・・」

 

 

私の思考は飛んでしまった。 

 

   「・・・コレハ、微妙ナ会話ガ理解デキテイルカドウカ、タシカメテ 

    イルノジャナカッタノカシラ?・・・」

 

書いてあることを答えさせるだけなら、設問の意味はない。教材作成者の意図が、そんなところにあろうはずがない。

口にするのが不適切な内容なら、設問にしなければ良い。そもそも、彼は患者が性的不能であることを、すでに解説していた。私は食い下がったが、彼はやや乱暴に会話を打ち切り、そそくさと次の人に、別の質問を向けた。

 

結局、「遠回しの会話」の練習は行われることなく、授業は次回からディベートの練習に移った。

 

 (続く)