浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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食文化の関西化1ー人口移動と外食産業

私は弁当を持参して仕事場に向かう。

 

仕事とは言っても、大学に勤めていた頃と大差のないことをやっている。退職してしまうと、これは社会的な位置づけとしては趣味の延長に過ぎず、収入に結び付けることが殆どできない。

 

話は弁当であるが、大学勤務時代の後半から、次第に外食が辛くなり、私は弁当を持参する頻度が高くなってきた。そして定年後は、これが完全に習慣化した。

 

 

外食産業の味

 

外食が辛いのは、もちろんサイフが辛いことが大きいが、もう一つの理由は、腹が辛いのである。

 

日本の外食産業は、首都圏も含めて、この数十年間で、関西風味の方向へじわじわとシフトを続けてきた。つまり、甘さの度合いが強くなってきたのである。もちろん、甘みを「隠し味」に使うのは昔からであるが、もはや隠し味とは言えず、味の本質を変え始めている。最近は江戸前寿司のシャリまで、バッテラ寿司のような味になっている。

 

私は辛党であるので、甘いものが嫌いだ・・・と言っているのではない。甘党の反対なら辛党、という訳ではない。塩分も糖分も、度が過ぎれば、どちらも食材の味を殺すだけである。

 

デザートに・・・あるいは食間に・・・甘いものを食べるのは嫌いではない。が、生粋の江戸っ子である私とオトメは、「甘すぎる食事」には耐えられない。一口食べただけで胃が閉まり、食事を受け付けなくなる。もちろん鰻重やすき焼きなど、最初からそのつもりで食する伝統の味は別である。それも程度によるが・・・

 

この傾向に対するささやかな抵抗として述べておくが、世界的に空前の日本食ブームとはいえ、「日本食を好まない」という外国人も多い。その理由の殆どが「日本の食事は甘すぎる」というのである。これは恐らく、お手頃価格の外食を総じて「和食」と思っているのであろう。高級な店なら、そのようなことは少ない。関西出身の方々には申し訳ないが、私の観察では、首都圏の外食産業において、関西化の度合いと値段は反比例している。そしてその結果、関西化の潮流は、低所得者である私の生活を直撃している。

 

 

関西化の理由

 

首都圏において外食産業の関西化が進行してきたのは、なぜであろうか?

 

   理由1.「関西圏からの人々の流入が飛躍的に増えた」

 

私の記憶では、昔は外食の味も家庭の味も、首都圏ではむしろ塩分過剰であったように思う。かつては東北地方からの流入が多く、外食産業も塩分控えめにしなかったのであろう。東北に限らず、世界的に見ても、一般に寒冷地の食事は塩辛い。そして当時、塩は食品に使われるほぼ唯一の保存料であったので、その含有率と価格が反比例していた傾向がある。今でも鮭の切り身など、薄塩の方が価格が高い。

統計を見ずに勝手な推測を述べて申し訳ないが、寒冷地での稲作が安定してから、東北地方からの人口流入に歯止めがかかり、相対的に西側からの流入が増えてきたように思う。とくに外食産業に関わっている人々は、関西出身者が多い気がする。これが味の変化を促したのだろうか?

 

しかし、首都圏の巨大な人口を考えると、この説は十分な説明を与えるとは思えない。

 

 

   理由2.「関西の食文化が優れているため、首都圏の食文化を駆逐した」

       

関西出身の友人の多くが支持するこの意見を、私は決して認めない。しかし、私の観察結果である「関西化の度合いと値段の反比例関係」を前提に考察すると、この説の変形が、1つの可能性として考えられる。

 

関西圏の人々は、首都圏の人々に比べて、実質的な価値と価格との釣り合いに敏感である。そのため、関西圏から進出して来た外食産業の人々は、大企業から小さな食堂に至るまで、価格で勝負しようとした。その結果、とくに景気が後退気味である時期には、子供連れの主婦は関西風味の外食に接する機会が増える。マーケットで購入する食品も、関西で製造されたものが増えてくる。そして甘い味付けは・・・子供が好む。

 

つまり私の説は、

 

 「関西の食文化が低価格を武器に主婦と子供を取り込み、江戸の食文化を破壊した」

 

というものである。本当の味を理解できる年齢に達する以前に、若者の舌は完全にスポイルされてしまったのだ・・・

 

 

 (続く)