浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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スイスの鉄道網

私は鉄道マニアではないが、スイスの鉄道は楽しい。のんびりとした雰囲気ながら、全体として利便性が非常に高く、精巧にシステムが組まれている。

 

 

グリーンの車両と簡素な駅

 

殆どが2両編成であり、見た目の印象としては、日本の地方都市の廃線寸前の路線に、やや似ている。実際に、便数はその程度しかない。

ただ、車両は古いが厚みがあり、がっちりと体格が良い。車体の色と座席シートの色は、濃いグリーンで統一され、清掃も行き届いていた。座席は向かい合わせのボックスになっていて、通勤にも旅情がある。

スイスと言えば、私は湖と濃いグリーンの列車を思い出す。

 

ハブ駅以外は殆どが無人である。簡素な作りで、プラットフォームの中央に屋根つきのベンチがある。改札はなく、端まで行って数段ステップを降りれば、そこから歩道である。面倒なら、そこまで行かずに飛び降りても良い。プラットフォームからポンと飛び降りれば、即、街行く人々の仲間入りである。

車掌が廻って来てチケットを確認するので、このような駅では、切符を買わずに乗車し、車中で買えばよい。

単線の区間があるので、すれ違いのため少し停車する場合もある。そのような駅では車窓の乗客を相手に、軽食の販売がある。その時に買う土地の焼きたてのクロワッサンは、大変美味しかった。

 

 

通勤の指定席

 

日本の首都圏のように、殆ど待たずに乗車できる頻繁なサービスはない。住宅地の開発に際しては、人口分散が非常に慎重に計算されており、通勤時間帯でも30分に1便の2両編成で足りるようになっている。

 

滞在中の私は、単身のときは学生寮に宿泊していたが、家族連れの時は、大学から数駅離れた村に家を借り、鉄道を利用した。通勤時間帯の車両はほぼ満席であったが、実質的にすべての個人に「指定席」が用意されている。いつも同じ席に同じ人が座っているのである。B教授に「最初の日は目的地まで立ち、その区間でずっと空いている席を確認し、次の日からそこに座るように」とアドバイスされた。そうすると、指定席が貰える訳である。

立つ人が出始めると車両が増やされ、場合により増便されるが、このプロセスは非常にゆっくりで、あったとしても数年に一度より頻度が少ない。

 

そして料金は、1回ごとの乗車について払えば日本と同程度の金額であるが、国民の殆どが1年単位の全線フリーパスを購入する。この場合は非常に低料金である。

良く覚えていないが、家族パスや、1か月単位の旅行者向けのパスもあったような気がする。車のガソリン代より安く、国は通勤に鉄道の利用を奨励し、道路の渋滞の緩和に努めているようである。

 

 

出会いのネットワーク

 

スイスは国全体が山岳・丘陵地帯であるので、鉄道は谷間の細い平地を縫って進む。町も細長く谷間に沿っているので、交通はやや1次元的で、2次元特有の放射状特異点が発生しない。まさにネットワークである。ただ、大雨による土砂崩れで寸断される頻度が高い。こうなると輸送機能へのダメージが大きいので、スイス陸軍(常備軍)が緊急出動し、復旧にあたる。

 

通勤時間帯以外は、1時間に1便しかないが、乗り換え駅では必ず、どの方面にも2,3分で接続されるように、見事にダイヤが組まれている。効率は良いが、乗り換えは忙しい。もたついて接続を逃すと、必ず1時間遅れることになる。

 

そして終電は非常に早い。夏場は、まだ明るいうちに終わりになる。大学では通学に電車を使う学生も多かったが、最後の授業に出席すると、ある村に住む学生は帰れなかった。そこで、その村の学生が履修している場合、その時間帯の授業は15分短縮されるのが通例になっていた。

 

正午付近の電車は、どこも生徒で混み合う。日本の小中校生にあたる子供たちは、午前中で授業を終了し、帰宅して家で食事する。スイスは日本のように専業主婦の割合が多いのであろう。高校生になると、午後も少し授業があるが、彼等も一度帰宅し、また登校する。交通費の負担が増えないので、これが可能となる。おそらく、学校でも食事ができるであろうが・・・

 

小さな国土の全体に張り巡らされ、接続は良いが便数の少ない鉄道網を、人口800万人の全員が使うと、必然的に、乗換駅では知り合いに出会う確率が増える。そして、B教授と共に行動すると、彼は必ずといって良いほど、色々な人に声をかけられ、立ち話をした。

 

実は、彼については特別な事情があったが、これについては別のところで話そう。

 

 

 

郵便局にて

 

 

 

日本から海外へ送金するのは気が重い。いずれの金融機関も担当者が不慣れで、時間がかかり、ミスも多い。

 

それにしても、私が最近経験したトラブルは、異次元であった。

 

 

その日、私はイタリアのある団体に送金する必要があった。私は郵便局から送金することにした。

 

局に着くと、まず応対した局員の指示通りに、渡された書類に団体の住所、銀行の口座番号などを記入した。送金者の氏名を記入する欄には、アルファベット表記で私の氏名を記入した。さらに通信欄に(短いが私にとっては重要な)コメント文を添えた。

 

その後長く待たされ、最初の応対者を含めた局員が3人ほど、奥から出てきた。ようやく完了したかと思ったが、彼等は分厚い資料を抱えており、額を寄せ合って私の記入した書類を囲み、何やら相談を始めた。嫌な予感がした。

 

かなり時間が経った頃、最初の局員がやって来て「イタリアに送金する場合、書類の転送過程で送金者の氏名欄が空欄にされる場合があるので、通信文に送金者の氏名を含めなければならない」と述べた。

そして、いきなり私の目の前で、通信欄の英文に定規を当て、最初の単語に2重線を引くと、「ここに印鑑を押して、上の余白に貴方の氏名をアルファベット表記で書くように」と命じた。

 

余りに突然で乱暴な指示に私は驚き、「私の通信文に勝手に何をするのか!?」と言うと、「文字数に制限があるので、単語を抹消した」と言う。「この単語を私の名前に変えたのでは、全く意味が通じなくなるではないか」と言うと、局員は先ほど参照していた分厚い資料を持ち出し、「イタリア」のページを私に見せ、通信欄に氏名を書かなければならない理由を繰り返した。

 

その注意書き資料は、それまで私には見せておらず、彼らも最後の段階で初めて参照したものである。そこで「名前を入れる理由はわかったが、意味が通じなくては通信欄として役に立たないではないか」と押し問答を繰り返すこととなった。

 

 

それぞれの国の特殊事情があれば、当然ながら彼らは最初に調べ、私に伝えるべきである。私は彼らをあまり困らせたくなかったので、そこは追及しなかった。ところがそれを良いことに、謝罪の意を見せるどころか、尊大な態度で通信欄に氏名を書く理由を繰り返す。

 

通信欄にどのような文章を書くかは送金者が決めることであって、局員が決めることではない。この当然の理を、頭から無視している。それとも、彼らはこの「訂正」によって文章の内容が変わらないとでも思っているのか? まさかと思いつつ、これを問いただすと、私の質問には答えず、「この単語を消せば、名前を入れても字数が制限内に収まる。他の単語は、どれを消しても名前を入れると字数がオーバーするので、最小限の修正で済ませるベストな方法である」とのこと。

 

なんと、彼らは通信欄本来の目的など念頭になく、額を寄せ合いながら、文字数だけを数えて対処法を考えていたのだ。そして「私達が最も賢明な方法を教えてやったのだ」と言わぬばかりの態度である。

 

すでに最初の単語には2重線が引かれていたので、私は書類を最初から作り直し、私の名前を含めた文章を書き直すと述べたが、「もう書類の一部を送信してしまったから、この方法しかない」とのこと。

 

このような思考回路を持つ人々に、どのような紳士的な対応が可能であるか、私は知らない。私は有無を言わさぬ命令口調に切り替え、「全文を抹消・押印し、私の名前を含めた新しい文章を書き込むので、その用意をしなさい」と伝えた。私の態度に奥の2人が椅子から立ち上がりかけたが、目で威圧して座らせた。

 

 

 

それにしても、日本はいつから、こんな国になったのか。外国では種々の組織で、簡単な計算もできない窓口職員、勤労意欲の全く無い者、東洋人に対する嫌悪をむき出しにする者、単語のスペルが怪しい者・・・等々、多くの担当不適格者を目にした。しかし、本来の目的を度外視する珍種には、お目にかかったことがない。

 

局員が誠実さをもってこれを行ったとすれば、これは怠慢や無能、悪意などとは異次元の問題である。強いて言えば無能に属するが、この種は得てして、高学歴者にも多く存在し、なかなか無能とは判定されない。

 

キョーツケ!前へ倣い」を長年続け、whatを気にせずhowだけ教えた結果がここに至るのだとすれば、恐ろしいことである。 

このような種族が増殖すれば、社会は正常な機能を失い、あるいはミスリードされ、無能より危険である。過去にそのようなことが起こった国である。私はむしろ、これは不誠実さによるものと信じたい。

 

 

 

局員は渋々、紙面に再び定規を当て、全文に2重線を引き、私に手渡した。そして、新しい文章は小さな字で上の余白に書くこと、全行に訂正印を押すこと、字数制限を守り、必ず文中に氏名を含めること、などと繰り返した。私は言われたとおりに、局員の目の前で、小さな字で欄外に文章を書き入れた。

 

局員が手渡した紙束にはカーボン紙が含まれ、修正は下の紙にも印字されるようになっていたが、カーボン紙を取ると、その下は上下逆さまに重ねられており、局員が引いた2重線と私が書いた文章は、どちらも無関係な場所に、逆さに印字されていた。

 

私はフリーズする局員を尻目に、無言で控えのページをむしり取り、ボールペンを書類の上に置き捨てて外に出た。

 

彼らがどのように処理したか知らないが、後日、送金は確認された。

 

タテの教育とヨコの教育

アメリカ からの応募書類は、屑籠へ放り込め!

 

スイスの大学に共同研究で滞在していた時のことである。私は昼食後のコーヒータイムに、人々に混じって会話を聞いていた。ゲストがいる時は、彼らは英語で会話してくれる。

 

話の途中で、私のホストであったB教授が突然、

 

  「タロー、教授の人事のとき、私たちが最初に何をするか分かるか?」

 

と振って来た。

教授の人事はどこの大学でも同じようなもので、必ず公募を行う。応募者は業績リストと研究の要約、代表的な論文を幾つか送ってくるはずである。

 

  「たぶん・・・応募者は多いだろうから、スタッフが手分けして応募者の代表的な

   論文を読むところから始めるのでは?」

 

と答えると、人々は口々に、

 

  「とんでもない! 一人公募すると200人からの応募がある。そんな事をするの

   は最終段階で、プレゼンをしてもらう数人に絞ってからでなきゃ無理だよ」

 

と否定した。彼は続けて、

 

  「200人のうち大体半分はアメリカからでね・・・そのアメリカからの応募書類

   を選り分けて、屑籠に放り込む。それが、私たちが最初にすることなんだ」

 

と言って笑った。私が目を丸くすると、少し真顔になり、こう付け加えた。

 

   「いや、実際のところ・・・ まず応募書類をヨーロッパからとアメリカからに

    分ける。アメリカからでも、ハーバードやスタンフォードマサチューセッツ

    工科大とか、メジャーなところから来たのは、ヨーロッパと一緒にする。

 

  残りは議長が名前を一人ずつ読み上げて、『誰かこの名前を聞いたことがあるか?』

  と叫ぶ。誰も知らなければ、そのまま封を開けずに屑籠に放り込む。 

  まあ、アメリカからの応募者が残ることは滅多にないね・・・」

 

 

望郷のヨーロッパ人

 

彼等の教授人事がいかに厳しいか、という話だった訳ではない。話題の中心は、アメリカの大学の教育についてであった。

 

日本ではあまり知られていないが、ヨーロッパの人々の殆どは、アメリカの文化・政治に拒否反応を示し、大学人はアメリカの教育にも批判的だ。B教授は続けて、

 

 「タローは応募書類も見ないで門前払いはひどいじゃないか、と思うかもしれない

  けれど・・・スイスだけじゃないよ。ヨーロッパの大学では、どこでも同じこと

  をやっている。これは、研究者としてどうか、という問題じゃないんだ・・・

  

  ヨーロッパからは、ものすごい数の研究者が、博士号を取ったあとアメリカに

  渡り、キャリアをつなぎながら、いつか戻りたい、とチャンスを待っている。

  日本もそうかもしれないけれど・・・

 

  母国に帰れればベストだが、そうでなくても、ヨーロッパのどこかに行きたい。

  ヨーロッパ人は、あの国で暮らしていて、誰もハッピーじゃない・・・

 

  けれど、若い時にアメリカに渡って、帰って来れる人は殆どいない。なぜかと

  言うと、アメリカの中程度の大学で暫く働くと、体系的にきちんと教えることが

  出来なくなるから。表面的にさっと教える、ということを常に要求されるからね。

  どうしても、説明なしに、やたらに沢山のことを、結果だけ教えるようになる。

  縦に積み上げないで、横に知識を広げればいい、というわけだ。

 

  ヨーロッパの大学はどこでも、そうした連中を警戒している。研究者として、

  まずまずかな・・・と思って、こういうのを数名も雇ってしまって、教育が

  完全に破壊されてしまった例を、みんな知っているからね。

 

  これは絶対に阻止しなければならないことなんだ・・・

  だからアメリカで10年過ごした人は、ノーベル賞級のヒットを飛ばさない限り、

  ヨーロッパに戻るチャンスはないんだ。私は母国に帰れて、本当にラッキーだった」

 

と語った。

  

B教授は、チューリッヒで博士号を取得して、アメリカのメジャーの一つであるコーネル大に渡ったが、そこを1年半で切り上げてバーゼルに研究員として戻り、その後、この大学に教授として迎えられた。

 

 

日米独の共通点

 

この日のコーヒータイムの会話は、まるで自分の大学のことを言われているようで、背筋が寒くなった。彼らの基準では、私の勤めていた大学は、アメリカのジャンク型に分類されるであろう。私はそのような教え方をしていた訳ではなかったが、抵抗しているのは、学科内で私を含めて数名だけであった。

 

ドイツの教育に当てはめ思考の傾向が見られることは以前の記事に書いたが、実は私自身、これを不思議に感じていた。確かに友人のH.P.教授が苦労したように、ギムナジウムによる初等・中等教育の伝統にはその傾向がある。しかし高等教育においては、ドイツは戦前に留学された朝永先生が話されていたように、がっちりとした縦型という印象があった。

 

B教授の話で、はじめて思い当った。ドイツの若い世代の一部に見られる傾向は、アメリカ帰りの人々の影響だったのであろう。「完全に破壊された」とまで表現していたのは、このことだった。確かにドイツの大学では、アメリカ訛りの英語を話す人が、他の国々に比べて多かった。 

 

さらにドイツは、第2次大戦の戦後処理の際に、アメリカの政策に大きく左右されたはずである。これは日本で起こったことから、容易に推測される。

 

日本では、戦後、GHQが理系教育を根底から変えようとした。専門学校を廃校とし、それまでヨーロッパを規範としていた日本の学校制度を、アメリカ型に切り替えさせようとした。そして、理系を含むすべての大学に、平和教育を普及する、として人文系中心のカリキュラムを押し付けた。

孤立を強いられて他国の技術支援が無いにもかかわらず、自前で世界最大の戦艦を建造し、他国を上回る性能の戦闘機まで作りげた日本の技術力を怖れたのである。

 

すでに何度か書いてきたように、日本の当てはめ思考は、遺伝子的には純国産と思われるが、このような歴史的背景も原因のひとつかもしれない。

 

比較的最近知ったことであるが、戦後の日本の学校教育の変遷は、占領政策によって大きく歪められた制度を、何とか正常な形に戻すための、文部省の粘り強い戦いの歴史であった。フランスの二の舞にならないように、文部科学省には、もう少し頑張って欲しい。

これについては、また別のところに書くことにしよう。

学位の互換性と国際的信用

ヨーロッパのディプロマ制度

 

日本では良く「ドイツの大学は非常に厳しく、卒業できるのは入学者の1/3程度である」と紹介されてきた。しかし、ドイツが特に厳しいということはない。

 

ヨーロッパのほとんどの国は、単位の取得認定と、(日本の卒業研究にあたる)ディプロマの取得を区別している。単に必修科目単位をすべて取得し、取得した単位数が規定数を上回れば卒業証書が与えられる、ということではない。ディプロマを取得しなければ、大学卒業とは見做されず、もちろん大学院には進学できない。

 

日本の卒業研究にあたると書いたが、ディプロマの課題に取りかかる前に関門がある。指導教官の研究室に配属されるためには、単位認定とは別に定めた基準を、満たさなければならない(一般には卒業試験の合格が必要である)。これが厳しいため、卒業者の割合が低いのである。私の知る範囲では、多くの国々で、ディプロマ取得者の比率は1/3よりずっと少ない。

 

私が研究員をしていた英国の大学の物理教室に、ドイツの大学で単位を修得した学生が半年間滞在し、研究を行っていた。彼はその研究成果でディプロマを申請し、ドイツの大学院に進学したいと言っていた。資格さえあれば、ディプロマ研究はどの大学で行っても良いようであるが、外国でも良い、というのはやや驚きである。研究をまとめるだけでなく、その間に英語を習得しようと考えたのであろう。

 

私たちの建物は、夜間に出入りできるのは裏口のみであり、ノートに入出の記録を残さなければならなかった。記録を見ると、彼の入室は常に早朝の5時半前後、退出は夜の11時半前後で、土日も平日と変わらない日が多かった。

英国にはディプロマ制度がなく、卒業はやや緩やかであったので、ドイツの厳しさに誰もが驚いた(英国の制度については、別途、詳しく紹介する)。もっとも、彼はドイツ人としても例外的だったようで、先方の教授が本当に半年間の仕事かどうか疑い、問い合わせをしてきた程であった。

 

 

 

 

フランスの「大学改革」

  

ひところは「日本の教育レベルは高い」という神話のおかげで、日本の大学の卒業証書は、無条件でディプロマと同等に扱われていた時期があった。果たして今はどうであろうか。 

 

自分の国の学歴が、他の国々の学歴と等価と見做されなくなると、どうなるか?

これはヨーロッパで、現実に起こったことである。事の発端は、遠い昔のことであった。

 

 

 

私が大学に入学した1960年代の末は、大学紛争の頂点の時期であり、首都圏では2校の国立大学の入学試験が中止されるなど、大きな混乱があった。そのころ、ヨーロッパの大学でも、大学紛争が同時多発的に発生した。これは「怒れる若者たち - Angry Young Men - 」の時代と言われた、世界的な潮流である(呼び名は、その10年前から始まった英国の若手作家たちの活動にちなんでいる)。

 

多くの国々で、学生は大学の権威主義に反発し、民主化の要求を掲げた。それらの一部は、知識人も同調するなど、反論しがたいものがあり、その結果、西ドイツですら、教授の採用に大学院生が投票に参加するなど、大きな変革が行われた。

 

フランスでは1968年の「5月革命」がドゴール政権を覆し、後のミッテラン社会主義政権の誕生につながったと言われている。 

しかし、そのフランスでは、それから10年以上も過ぎ、ミッテラン政権の時代になってから、学生が再び立ち上がり、試験制度の改革を含む「大学改革」の要求を、政府に突きつけた。

そしてこれらの要求の多くは、怒れる若者世代とは異なり、要するに「簡単に卒業させろ」という、民主化要求に名を借りた「大学の楽園化」の要求であった。

 

大統領は警官隊の放水車を出動させてデモ隊を蹴散らし、厳しい態度を見せたが、左翼的な政権は結局、主な支持層であった若者の要求の多くを受け入れ、入学試験を撤廃するなどの政策を実行し、これが大きな転換点となって、フランスの国立大学は、じわじわと変貌していった。

 

先ほど、ヨーロッパの大学は卒業が難しいと書いたが、フランスは例外となった。

国内のすべての大学がそうなった訳ではなく、またフランスには大学以外にも名門の高等教育機関があったが、少なくともパリ大学など、多くの大学が権威を失墜させた。そして、影響は初等・中等教育に及び、フランスの教育制度は複雑化し、ずたずたになった。

 

 

その後、ヨーロッパにEUが立ち上がり、フランスの大学がEU内の他の大学と自由競争にさらされたとき、問題は噴出した。

他の国々の社会は、フランスの大学の卒業証書を自分たちのものと同等と認めず、EU内でフランスの国立大学の卒業証書は、紙切れ同然となったのである。

 

 

 

経済統合と学歴危機

 

フランスの大学を卒業した若者は、EU各国での就職が難かしくなり、フランスにやって来る留学生は減少した。さらに信用低下による学歴インフレが起こり、国内でさえ、多くの大学の卒業証書は価値を失った。

 

価値を失わなかったのは、ソルボンヌなど一部の名門大学、高等教育機関のみである。それらの新卒者は希少価値である。国内企業は、22歳の若者に年俸3000万円を超えるオファーを提示するなど、卒業生の争奪戦を始めた。他方、一般の大学の卒業生は、大半が良くて非正規雇用、中には、博士号を取得しても全く企業に職が無い、という状況が出現した(これらは何年か前に日本でも報道され、話題になった)。

 

そうなると、移動は自由なEUである。フランス国内の若者は、優秀な者ほど国内の大学を嫌い、国外の大学を選ぶようになる。まさに自国の通貨が信用を失う通貨危機に似た様相を呈してきた。これは通貨危機ならぬ学歴危機である。経済の統合は、必然的に様々な資格まで、基準の統合に向かわせる。

 

 

実は英国も、やや危ない状況にある。別のところに述べるが、英国は学部も大学院も、高等教育の期間が非常に短い。他の国々と歩調を合わせていないので、少なくともヨーロッパ大陸の大学関係者の間では、英国の学位を同等と見做さない空気が強い。

このようなことは英国人には話さず、他の国々の人々が集まった時、こっそり語られる。英国で博士号を取得したばかりの若い研究者をポスドクに採用しても、使い物にならないから、採用しない方が良い、というのである。実際に私も、大陸で英国人のポスドクに出会った記憶は無い。

 

 

私が滞在していた頃、日本人の研究員はどの国でも歓迎されており、これは今も続いていると思うが、今後はどうであろうか。フランスや英国のような状況は、近い将来、日本でも現実となる可能性がある。実際に、日本の大学の国際的な評価は、全体として低下傾向にある。

 

進学熱の高い日本の社会は、実質は学歴があまり通用しない社会である。人々は大学教育の内容に信頼を置かず、企業の採用担当は「学力より人物」を当然とする。

国民が信頼を置かないものが、国際社会で信頼されるはずはない。今後、国際社会での仕事を考える者は、語学力とは別の問題で、海外での進学を余儀なくされるかもしれない。その傾向は、すでに現れている。

 

フランス政府は危機に陥るまで、自国の学歴の価値は(通貨の価値と同様に)国が守るべき国民の財産である、ということに気が付かなかった。

国際社会において、学歴は国家による人材保証のパスポートとして機能する。国際水準に合わせなければ相手にされない。

実際に、途上国の学歴は、先進国と同等とは見做されていないので、国際的な機関で仕事をする途上国の人々は必ず留学している。また、そうしなければ、国内でもキャリアを築けない。

 

進学のための勉強は真の勉強と異なる」などと、呑気なことは言っていられない時代である。

 

 

2018年5月8日

 

 

ひと口笑い話: ミニ言語学16

 

     独語       日本語

  Name (ナーメ)            名前

 

 

注: 江戸っ子の発音をして下さい(「オメエのナメエは?」てな具合に・・・)