浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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戦後教育の変遷7ー入学試験

 

第5回の記事で、「日本の学校教育の中に結果平等主義が持ち込まれた」と書いたが、戦後の学校教育には、これと決して相容れないものが、すでに早い時期に生まれていた。受験競争である。

 

平等主義と入学試験 

入学試験の合否に結果の平等は無い。手をつないでのゴールは合格者だけに許される特権である。日本の学校教育は長い間、競合と結果平等主義の対立構図の狭間で漂流してきた。

 

ほぼ終戦直後から、日本は受験社会へとまっしぐらに向かっていたように見える。高度成長に乗りはじめると、戦後のベビーブームと大学への進学率の上昇が重なり、学校教育と入学試験との関わりは、さらに密接になった。これによって、学業=競争 の発想が生まれたことは、戦後の教育の中で最も悲しむべきことである。

 

この潮流に抵抗するかのごとく、多くの人々が入学試験を批判した。しかし不思議なことに、これらの人々は(少なくとも表向きは)入学試験制度そのものに対する批判を、あまり展開しなかった。むしろ入試問題の批判に終始していた感がある。

 

入試問題を批判する際、「難しすぎる」との直接表現は使われなかった。常に「難問・奇問」というセットの表現が用いられてきた。そして、自分が分からなければ、何かと理由をつけて「不適切」と断じる人々が目立った。

 

確かに当時は、高校・大学どちらの入試も、不適切な問題は多いと私も感じていたが、個人的な印象では、むしろ良問に対して「難くせ」がつけられる場合が多かったように感じる(これはまた別の記事で論じたい)。

 

今考えると、このような批判は、学業=競争 に対する反発ではく、実際には「入学試験を廃止し、全員を平等に入学させる」ことを善とする、結果平等思想の一種であったように思える。両者は一見同じように見えるが、底流にあった感情は「試験問題が難しすぎる」という不満であり、つまるところ、普通に勉強していれば誰でも正解できる程度の、易しい入試問題の出題を要求していた。

 

高等教育の難しさは変わらない

定員と希望者数に差があり、入学試験がある限りは、試験問題を易しくしたり、選考基準を変えたりしても、競争そのものが無くなる訳ではない。入学試験とは、敢えて言えば、差をつけて合否を決定することが目的であるので、そのような主張は入学試験制度そのものに向けるのでなければ、自己矛盾から逃れられない。 

 

入学試験制度について個人的な意見を述べるなら、試験によって一定の水準に達したと見做せる者を、全員入学させることが望ましいと思っている。つまり資格試験である。実際に多くの先進国の制度はそれに近い。この場合は「差をつけること」を試験の目的にする必要はないので、学業=競争ではなくなる。自分が一定の水準を達成すれば良いだけであり、他人との競争ではない。

 

ただしこの場合、一部の大学に志願者が殺到しないように、入学者を強制的に配分する必要がある。例えば、すべての国立大学の名称・組織を完全に統一し、居住地域のキャンパスで学ばせるなど、強引な方策が必要となる。

 

居住地域への進学を促す政策は、奨学金などを利用して多くの国々でとられているが、日本の場合は保護者が学費を負担するため、この方向は大変危険である。国立大学の地位を相対的に下げ、私学の隆盛を図りたい文部科学省の一部の役人が、昔から考えていた方向とほぼ一致するが、まさにフランスの二の舞となり、高等教育を庶民の手の届かないものにするであろう。

 

また資格試験に切り替えたからと言って、試験が易しくなるとは限らない。とくに国際水準に合わせようとするならば、中等教育において相応の準備が出来ていなければ、高等教育は立ち行かない(国際水準を考える上で、国内ですら卒業証書が役に立たないと言われる米国の底辺大学は除外している)。

 

どのような方法を採るにしろ、高等教育を受けるために必要な学力は変わらない。学力の定義や測り方にも大きく依存するが(そしてこれは根底から見直されるべきと思うが)、私は個人的には、現在行われている入学試験の平均水準を超える必要があると考えている。資格試験にして競争を排除しても、全体としてみれば、高等教育が狭き門であることは変わらないだろう。

 

なお最近では、大学は一般的な教育の場とし、高等教育は大学院に移行すれば良いと主張する人々を目にする。この意見は米国の大学・大学院を基準に考える人々に多いが、これは日本の大学院の実情に全く合わない。大学院の教育水準をも低下させ、日本の宝であった学位の国際的な信用を失墜させるだろう。

 

中等教育の混乱と受験の低年齢化

受験に熱心な人々の関心は、全体の話ではなく、一部の大学に集中している。そして大学入試をめぐる議論は、出口のない袋小路に入り込んでいる。

 

今では結果平等主義の立場からの批判は殆ど聞かれなくなったが、これまで政府は学業=競争の現実をそのままにして、結果平等の要求を少しずつ受け容れる形で、大学入試と中等教育の現場に様々な制度的・内容的な改変を続けてきた。そして、その自己矛盾のために、公教育の現場に混乱と荒廃を招き続けている。

 

最も大きな混乱は、中等教育の質の低下と、低年齢化した入学試験の過熱に見られるように思う。かつて入学試験は、義務教育終了後の高校受験と大学受験にほぼ限られていたが、今では日本の受験社会の様相は、大変複雑になっているようだ。

 

戦後教育のシリーズはひとまずここで終了し、日本の受験社会について、近いうちに別のシリーズを開始しようと思う。