浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

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無意味なことをする理由・させる理由(1)

 

 

 

このブログで、私は社会で行われている様々な種類の無意味な行為について、色々な場面で愚痴をこぼしてきた。我ながら、やや頻度が多すぎた気がするが・・・

 

事実として、歴史的にも、無意味な行為は多かった。論語読みの論語知らずからはじまり、深刻な例としては第2次大戦時の特攻隊作戦に至るまで、数え上げれば、きりがない。

 

これらは、自発的に行われている場合と、強制されている場合がある。しかし私は、自発的に行われている無意味な行為でも、本人は強制と感じている場合が多いのではと想像する。学生のレポート丸写しなどは、学生が自発的に行っているものだが、レポートの提出そのものが強制であるので、その自覚は薄れる。はじめから勉強を無意味な行為と見做していれば、なおさらである。

 

  

何が意味のある行為か、何が意味の無い行為か・・・

無意味な行為を日常的に繰り返していると、次第に区別が曖昧になる。社会にとっても個人にとっても、これが大変に危険である。

 

私はこのシリーズで、無意味な仕事の分類学を試みて、それぞれの発生原因を探ってみようと思う。初回は私の経験を紹介しよう。

 

 

 

 

「はじめてのおつかい」

 

外国で生活を始めると、子供に戻ったような気分になる。勝手がわからず、周囲の大人たちに教えられる日々である。その中には言葉も含まれる。あらゆる意味で、子供時代の研ぎ澄まされた感覚を呼び覚まさなければならない。海外生活は人間力を鍛え直す。

 

はじめてのおつかい・・・ではなく、私の場合、「はじめてのセミナー」であった。スクールに加わった新しいメンバーが、これまでやってきた研究の概要を話すという、恒例の行事である。

 

くれぐれも短くするように、とあらかじめ言われた。

 

とにかく、日本人のセミナーは長くて困る・・・ 

人間が集中して話を聞ける時間は、30分が限度である。30分で話を修了し、30分を質疑応答に充てる。全部で1時間だ。 

聞いても解らない話は、始めからするな。これも一応話しておこう・・・はやめてくれ。聞いて理解できる話だけでまとめろ。 

君の分野の予備知識を持たない聴衆が大勢いる。30分の公演時間のうち、前半の15分はイントロダクションをしっかりやってくれ。前提に出来る知識は、君が学部の授業で教えられた内容だけだ・・・

 

 

やる前から、ずいぶん色々と注文を並べられた。そして最後に、

 

  「図やグラフはフリーハンドで良い。美しく仕上げる必要は無い。

   君の人件費は高い。余計なことに時間を使うな」

 

と釘を刺された。これも日本人に特徴的なことだからであろう。

 

正味15分のトークでは、言葉が闊達でない私には、到底不可能である。10分の延長を許してもらった。

 

それ以外のことは私も納得したが、最後の注意にはやや心理的な抵抗があり、準備の過程で、図はある程度、綺麗に仕上げられた。

今のようにパワポで簡単に描けるわけではない。トレーシングペーパーに、墨入れで仕上げる職人技である。私は本格的な道具を持参しており、やや達人であった。実際にはフリーハンドでそれなりに見やすく描くのにも、結構気を使い、時間もそれなりにかかる。どうせなら、一度墨入れで作成しておけば、長く保存できて色々と使い回しができる・・・と思ったのである。

 

 

 

人の時間を無駄にするな・・・自分の時間も無駄にするな・・・

使った時間の対価が常に問われる。海外で給料を貰う厳しさを実感した。

 

 

私個人についてではないが、Y教授はその後も、

 

   「日本人は、必要ないことに時間をかけ過ぎる」

 

と何度も私の前でぼやいた。そして、私が少しでもその方向に行きそうになると、

 

   「タロー、人生は無限に続くわけではないよ」

 

と、英国人には珍しく、父親らしい忠告をした。

 

  

 

仕事の種類

 

Y教授の言う「必要の無いこと」の中には、なるほどと納得できるものも多かったが、私には受け入れがたいものも相当あった。そこで私は、次のような基準で、自分の日常の仕事の仕分けを試みた。

 

  1.しなければならない仕事

  2.した方が良い仕事

  3.しなくても良い仕事

  4.しない方が良い仕事

  5.してはならない仕事

 

1は当然、誰もが納得するように、きちんと実行しなければならない。2までを習慣にしている日本人は多い。日本では高い評価に繋がるであろう。

2と3の境界は曖昧であるが、3をやっても低い評価にはならないので、これも一応やっておこう・・・という人もいる。

 

当然かもしれないが、個々の仕事をどの類に属させるかは、社会や個人の価値観が反映される。したがって、それぞれの社会で異なり、さらに個人差がある。一般的な仕分けはなかなか難しい。

 

プレゼンの図を綺麗に仕上げることは、2に属する・・・と思っていた。しかし、Y教授の分類では、これは恐らく3または4、あるいはそれどころか、5に属するのかもしれない。

 

これは状況によって変わり得る。時間や予算が非常に切迫していれば、通常は3、4の仕事でも、5に属させなければならない。2ですらも、5に落とされることは起こり得る。

 

 

自分で仕分けをやってみると、2に属する仕事は、際限なく存在することに驚いた。「した方が良い仕事」をすべて実行すれば、1が出来なくなるのは目に見えている。

 

人生は無限に続くわけではない・・・

そして、個人も組織も、能力は有限である・・・

 

1と5のカテゴリー以外は存在しない、と考えると、Y教授の話はすべて合点が行く。

 

少なくともこの国で生きる限り、2~5は一纏めにして、「してはならない仕事」と考えなければならないようであった。

 

 

 (続く)

 

 

英国の季節感2

(前回から続く

  

英国において、季節の区切りが感じられる節目は、イースターホリデーとクリスマスである。イースターでは実際に季節が変わる感覚があるが、クリスマスは、むしろ精神的な節目である。

  

 

イースターホリデー

 

 イースターの時期は年により変わるが、日本のゴールデンウィークよりは少し早い。大変良い時期の大型連休である。この頃になると、寒さは余り感じなくなり、日光浴も珍しくない風景である。

 

イースター前後の日照時間の伸びるスピードは、やや驚くほどである。何しろ、午後3時で暗くなっていたところから、真夏は夜の10時でもテニスができるまでになる。その中間点であり、かなりのペースで進まなければ、そうはならない。

日が傾いたら帰宅して食事・・・というつもりでいたら、帰宅時間がどんどん遅くなり、オトメに叱られた。

 

明るいうちに仕事を切り上げるのは、やや抵抗感があったが、ゲストハウスの住人と交流するには大変良い季節である。食前・食後に窓から芝生に出て、カメを近所の子供たちと遊ばせ、ビールやワインを飲みながら、私達もくつろいで談笑した。

 

日照時間が長くなると、ライフスタイルも変わる。仕事を終えたらビールを飲みに行こう、と時々誘われた。私の記憶する限り、冬はそのようなことはなかった。最初のとき、私はてっきり、飲みに行くのは食事も兼ねると思い、腹を空かせて集合場所のパブに向かった。私以外は全員、夕食を済ませていた。幸い、ポテトチップスや(スカンピーと呼ばれる)エビのカラ揚げなど、それなりの「つまみ」は注文できた。

 

その他にもテニスや映画、散歩など、夕食を終えてからの人々の活動時間は長い。

 

ちなみに、ポテトチップスは単にchips と呼ばれるが、これは日本流に言えばフレンチフライであり、主食として何にでも付いてくる。いわゆるスナックのポテチではない。ポテチはクリスプ(crisp)と呼ぶ。食べる時のカリッという擬音が名詞化した呼称である。

 

 

 

クリスマスの家族風景

 

クリスマスが近づくと、1か月も前から、テレビにも街にもクリスマス・ソングが流れる。定番のディングル・ベルも流れるが、最もスタンダードな歌は別にある。

 

何度も同じ曲を聞かされるので、この時期を嫌う人もいるが、この頃は日が最も短く、人々はひたすら耐えて生きている。クリスマスは耐乏期の数少ない楽しみであり、時間をかけて盛り上げる。

 

クリスマスセールがあるので、高価な電気製品などは、この時期に割引価格で買い揃える(日本と違って、電気製品は一般にかなり高額であった)。子供たちの靴下にプレゼントを入れる習慣は、クリスマスにまとめ買いをすることと関係があるかもしれない。

 

 

クリスマス・イヴには、成人して各地に散らばっていた子供たちも(家庭を持っていれば家族連れで)実家に集い、母親の手作りのケーキで祝う。日本の正月のようなものである。 

クリスマスパーティは基本的に家庭行事であるが、Y教授夫妻に私達は何度か招待され、その様子を知ることができた。

 

家庭を持っていなくても、年頃の男の子は、交際相手を連れてくるのが習わしのようである。女性が男性の家のパーティに加わる習慣のようで、Y教授の長女をクリスマスパーティで見かけたことは無かった。Y教授夫妻の子供達(二男一女)は、まだ誰も結婚していなかったが、2回目に招待された年には、高校生の次男まで、交際中の同級生を連れてきた。

 

実はY夫人は、彼女をひどく嫌っていた。さらにこの時は、最もかわいがっていた長男が、2年前に大学を退学し、働かずに親元を離れて社会保障で暮らしていた。この時のクリスマスパーティは、かなり暗い雰囲気で、私達も気を使った。

 

長男はピンクのパンクルックの彼女を連れており、自身も髪をブルーに染め、モヒカン刈りである。さすがに英国人の親の目にも「いかれた」格好と映っていた。母親は「息子は狂ってしまった」と嘆いていた。オトメは「親が甘すぎる!私なら家に入れてやらない!」と私に(日本語で)囁いた。

 

ま、クリスマスだけは・・・ということであろう。

後に私はY教授から、長男について個人的に相談を受けた。息子と近い世代で相談できる人が、他にいなかったのであろう。相当に困っていたようである。付き合っている仲間には、ドラッグの常習者も多かった。敢えて私達を招待したのは、前もって本人の様子を見せる目的もあったのかもしれない。あるいは、外国で頑張っている人々を見せ、自覚を促したかったのであろうか。

 

 

 

 

問題を抱えていても、クリスマスだけは明るく祝う。

直前はディナーの準備で忙しいので、ケーキは、かなり前もって用意する。保存のため、油で練ってオーブンで焼き上げる。そのとき、コインを幾つかアルミ箔で包み、埋め込んでおく。自分に切り分けられたケーキにコインが入っていれば、ラッキーという訳である。

 

ケーキの中にはその他に、ジョークをしたためた紙片が、数多く包んで埋め込まれていた。これは色々なものが混じったセットで売られている。「おみくじ」のようなお決まり文句ではなく、年替わりの楽しみである。これを開いて読み上げ、笑いに興ずる。

 

私の引き当てた紙片には、次のような短い会話が書いてあった。

 

  買い物客の男 「 I want to buy something for my wife. 」

       店主     「 What do you want for your wife ? 」

 

何の変哲もない会話と見えるが、Y教授が解説してくれた。種明かしは「for」の使い方で、「for ~ 」で「~ を払って、~ を対価として」という意味になり、通常は「~」のところには金額が入る。

店主の言葉は、「アンタ、自分のカミさん売っ払って、代わりに何を手に入れたいんだね?」というところである。

 

いくら英語を勉強しても、ジョークは難しい・・・

 

 

 

年に一度の家族の集いであり、高齢の老人も、クリスマスまでは生きて孫の顔を見ようと頑張る。そしてクリスマスが過ぎると、有名人の死去の報道が相次ぐ。地域のタウン誌も、毎週の訃報連絡の数が急激に増える。宴の後は寂しいものである。

 

が、クリスマスを過ぎると、それまで日々、短くなっていた日照時間が、一転して長くなり始める。人々は夏の到来を心待ちにしながら、残りの冬の日々を耐える。

 

 

英国の季節感1

  

 

日本は四季の区別がはっきりしている。

 

春と秋は独立した固有の季節であり、単に冬と夏の中間ではない。

春の空は霞がかり、空気は穏やかで肌に優しい。

秋は天高く、空気は引き締まり、優しいというよりは爽やかである。

 

春と秋では、風景は全く異なる。花の特徴にも、全体として違いがある。

 

 

英国は2シーズン制である。

冬の寒さが終わる頃になると、私がまだセーターを着ているような時期から、人々は無理をしてでも半袖になる。

感覚として、「春が来た」というより、「夏が来た」と思っている。時計も「サマータイム」に切り替わり、一時間早起きしなければならない。

 

英語では、太陽が出ている時間帯を昼(day)、暗い時間帯を夜(night)、と一日を分けている。これと似た感覚で、人々は一年を夏と冬に分ける。

実際に、暖かいと感じるようになってから、体感温度サマータイムが終わるまで、あまり変化が無い。真夏でも日中の最高気温が18度を下回ることが珍しくないので、夕方はコートを着ることが多い。私達家族は、半袖の服を持たずに生活していた。

 

日本と英国の季節感の違いを話したところ、アジア圏の友人の多くは「俺たちの国は1シーズンだよ」と言って笑っていた。

 

ちなみに、「無理をしてでも半袖に・・・」と書いたが、半袖の下は素肌であるから、相当に無理をしているはずである。殆どの英国人は、真冬でも下着のシャツを着る習慣を持たない。

 

そもそも、これらは特別な店でしか売っていない。

ましてや、私の愛用する古典的なズボン下や、ステテコなど・・・

 

 

 

季節感の初体験

 

気温では季節感がはっきりしないが、日照時間の違いにはっきり季節感が出る。冬場の日照時間は短い。午後の3時を過ぎると、もう暗くなる。さらに曇天の日が多いので、一日中暗さがある。日光に当たらないので、子供たちにはビタミンDの錠剤を飲ませる。日が長くなると、痩せ我慢(ではなく寒さ我慢)をしてでもすぐに半袖になるのは、太陽の光を浴びるためでもあるようだ。

 

 

私が単身で渡英したのは、まだ寒い春先であった。下宿先が決まるまでの2週間ほど、私はキャンパス内の学生寮に宿泊した。私が泊まったのは、チューターを務める成績優秀な学生に割り当てられる、豪華ルームであった。

 

広いダイニングキッチンの他に、独立したベッドルーム、さらに個人のバス・トイレまで付いている。ベッドとデスクしか置けない、4畳半ほどの一般学生の部屋とは大違いであるが、チューターのダイニングルームは、学生の質問に応じる勉強室でもある。一般学生は、バス・トイレ・キッチンが共同であり、寮費は変わらない。

 

天気の良い日であったが、早朝に目が覚めた私は、窓を開けて外を眺めた。まだ人々は寝静まっていたが、見降ろすと、10mほど前方の別棟の屋上に、バスタオルを敷き、全裸で日光浴をしている女子学生がいた。

 

私が窓を開けた音に振り返り、「Hi !」と私に向かって笑顔で手を振った。私は目のやり場に・・・

 

困っている暇は無かった。彼女の方に顔を向けたまま、平静を装い、同じように笑顔を作り、挨拶を返した。

 

この程度でうろたえては、久米の仙人である。

これは風物詩であり、季節感なのだ・・・

 

 

窓はすぐに閉めた。開けておくには寒すぎた。

 

 

(続く)

 

 

英国の自然

  

 

 

以前、英国の文学について感想を述べたが、私のイメージの中では、英国人の文学に感じられる寒々しさや無常感は、英国の自然と結びついている。アーサー王ロビンフッドなどの伝承的な物語や、ドラマや映画にも、同じものを感じる。独特の土臭さや時間の流れである。また絵画はもちろん、彼等の音楽も、英国の自然と何らかの関係があるように思える。

 

いくつか、英国の自然の特徴を述べよう。

 

 

1.水が冷たい。

川の水は真夏でも身を切るほどの冷たさであるが、海(私は北海しか知らないが)も非常に冷たく、海水浴をする気にはなれない(している人もほとんど見たことがない)。水温が低いので、海岸に近づいても「磯の香り」がしない。

 

 

2.夏も温度が低い。

一年中コートを仕舞えない。最初に暮らした年の夏は、一体、いつになったら暑くなるのか・・・と思っていたら、8月の半ばに入ると人々が「もう秋だね」と言い出した。

まだ十分に沸いていない風呂に入れられ、温まらないうちに「もう出ろ」と言われたような気分であった。

 

 

3.平地ばかりである。

遮るものが無いため、雷が怖い。

記憶が正しければ、落雷で、毎年20名ほどが命を落としていたと思う。 

私達の住んでいたビレッジの周辺は、冬は枯れたヒースが広がる、荒涼たる荒野であった。田舎道路には街灯もない。英国で生涯を終える覚悟であったが、冬の寒い日に車で暗い道を進むときは、さすがに「こんなところで一生を終えたくない・・・」と思った。意外にも、オトメはこの光景が気に入っていたが。

 

 

4.雨が多く、何となく暗い。

英国の自然と言うと、すぐに雨や霧、曇りの日々が思い出される。

降っている時間は比較的短い。「今日は雨の日」という感覚はない。一日のうち、いつ降り始めるか、いつ終わるかである。平地のため遠くから雲の位置を目視できるので、2時間後に雨が降る、その30分後に止む、などと予測ができる。

「今日は雨だから、テニスの約束は自動的にキャンセルだな」と思っていたら、「もうすぐ晴れるからすぐ来い!」と電話がかかってきた。雨が止めば、すぐプレーできるコートなのである。

 

 

5.暗さはあるが、整然としている。

木は背が高いが、数としては日本の森林よりまばらである。

日本の樹木は低く、密集している。帰国して山々を見たとき「ブロッコリーのようだ」と感じた。 

自然は緯度が北に昇るほど、整えられた形になる。物理学的に言えば、温度が低いとエントロピーが下がり、秩序が生まれるという一般法則がある。生態学的に言えば、寒ければ植物の種類が減り、さらに日照、保水量などの追加条件で、生息域が個別に厳しく限定される。結果として棲み分けが生まれ、熱帯のジャングルのように混沌としない。

  

 

6.季節の良い晴れの日は、別世界である。

郊外はすべて、グリーン一色である。Y教授の話によると、彼の子供の頃、緑に加えて野原には、何種類もの小さい花々が咲き乱れていたそうである。

害虫駆除のため、英国全土に空中から農薬散布を大規模に行い、緑を残して花々は全滅した。半世紀経っても回復していない。

残念なことをしたものである。

 

 

 

 

余談

 

日本の自然について人々によく尋ねられたが、国土の80%は森林の山岳地帯で、平地は海岸沿いや盆地に限られている、と答えると、別に尋ねてもいないのに、多くの人々が「英国にも山がある」と言って、一か所しかない(それも山と言うより岡に近い)スキー場の話を始める。これにはY教授も含まれた。ややムキになる傾向があるので、どうも変だと思っていたが・・・

 

山が無いので、英国ではアルペン競技の選手は殆ど育たず、冬季オリンピックに国際レベルの選手団を送れない。これが大きなコンプレックスとなっているようである。

冬季オリンピックは、北の先進国のメンバーズ・クラブである。存在感を示せない彼らにとっては、南の途上国の仲間入りの感がある。

 

 

私が滞在していた当時、高齢者の多くは、親日的な人々でさえも、「戦後しばらくして、日本車が走っているのを見て『日本が車を造るまでになったのか』と驚いた」などと話していた。

 

第2次大戦の初期の時点で、すでにスピットファイヤーの性能が、ゼロ戦に後れをとっていた事実など、知られていない。 シンガポールで歴史的大敗を喫したことも、パーシバル個人の責任と考えられている。どこの国でも、都合の悪いことは、政府も学校も教えないようである。 

 

そして、これらの人々は、日本は熱帯地方にあって、雪など降るはずがないと思っていた。「雪=ハイソ」の固定観念があり、日本海側は豪雪地帯であると言うと、逆にこちらが見栄を張っていると思われる。

 

日本が冬季オリンピックの主要メンバーであることは、彼らが納得できないことの一つである。

言葉の重要性7

 

 

前回から続く  

 

  

 このシリーズで初回の記事以来、私が問題にしてきたテーマは、言葉における「確かな情報伝達」と「秘められた意味」の問題である。英国では前者に、日本では後者に重きが置かれ、そのために、それぞれ問題が発生している。

 

 

 

入学試験と読解力の関係

 

他の国の事はどうでも良いが、RSTの調査で明らかとなった日本人の読解力の著しい劣化は、情報伝達としての国語教育を軽んじてきた結果であることは、間違いないと思われる。

 

私は、秘められた意味を学力評価の対象とすることは不適切である、と主張してきたが、これは入学試験の公平性を重要視するからではない。 入学試験に出題される問題が不適切であれば、若い人々に不適切な勉強を強いることになるからである。

 

国語教育ばかりが原因とは言わないが、実際に人の言葉や書かれた文章から、情報をしっかり受け取ろうとしない人々が多い。一部の人々は、むしろ「裏を探る」ことに熱心で、人の言葉を曲解する習慣が身に付いてしまっている。

 

 

 

このような習慣が身に付いてしまうと、少なくとも理系の学習には大きな障害となる。言語的な能力の低下が学習の障害になっていることは、かなり以前から指摘され、「国語が大切」と叫ばれてきた。しかし「受験の国語」は、下手に勉強すればするほど、悪影響も大きい。

 

理系教育の問題については、以前から多くを書いてきた。文章を文字通り読み進む習慣を失えば、学習そのものが成立しない。定義や説明を読み飛ばし、やり方だけ覚えこもうとするのも、その結果なのかもしれない。

 

 

 

社会生活における障害

 

言語的な能力の低下の学習への影響は、理系に限らないと思うが、言葉の「裏を探る」ことに熱心な人々は、言葉の真意は常に別のところにあるとすら、考えているようである。実際に社会では、そのような場面が少なくないことは事実であるが、そのような社会の在り方も、国語教育と無関係ではないような気がする。まさに「秘められた意味こそが真実」である。

 

 

つまらない例で恐縮だが、私は勤めてから間もなく、大学案内の編集会議に、委員として出席した。大学案内とは、受験生に向けての広報活動の一つで、要するに大学の宣伝のためのパンフレットである。各学部はそれぞれ、魅力的な内容を掲載するように努力する。

 

私は、自分の学部を紹介する文章の原案に「自然科学は国際的な学問です」と書いた。この一文に、他の学部の委員は強く反応し、「我々の分野が国際的でないと貶めるつもりですか」と、口々に苦言を呈し始めた。

 

 

常にそのような読み方をしていては、さぞ疲れるであろう。

  

  「教育は国の将来の・・・」  

  「農業は食糧生産という社会の基本を・・・」

 

これに対し、

 

  「我々の学部は国の将来に関係ないと言うのか」

  「社会の役に立たないと言うのか」

 

などと互に足を引っ張っていれば、何も書けなくなる。捻くれた読み方をするのは個人の勝手であるが、それによって他人に余計な気を使わせ、時間を使わせるのは大きな迷惑である。

 

そのコストは結局、自分達が支払わねばならない。そのロスは大きい。

理系人間はしばしば、そのロスを受け入れるだけの包容力と時間を持ち合わせず、人々と対決して早々と「けり」をつける道を選ぶ。私もそのように行動した。

 

そして理系人間は、争いを最小に抑える「国語力」を持ち合わせない・・・

 

が、幸いにも、私の場合はすぐに終わった。着任早々にもかかわらず、物理屋というだけで、すでに危険人物扱いであり、人々はすぐに引いたのである。

 

 

 

ちなみに、この大学案内は、教員の情報発信能力を試すものと言えたが、その出来栄えは惨憺たるものであった。

まず学部ごとに、同じページ数を割り当てる。次に学部に持ち帰り、学科ごとに同じページ数を割り当てる。この段階で割り当ては1ページになっている。スタッフ1人と用務員2人だけの研究施設も、学科と同じ扱いである。その1ページに学科の紹介の写真が載せられ、教育理念を格調高く謳った名文が添えられる。残りのスペースを研究室で均等に・・・ 

 

私は編集方針を全面的に見直すことを主張したが、全学のレベルでも学部のレベルでも「前任者のメンツを守る」意識が強く、認められなかった。そして、残りの僅かな行数は、それぞれの研究室の内容紹介で埋められた。

 

 

受験生が知りたい情報を記載できる余地は殆ど無い。読む人々のための冊子ではなく、大学内の縄張り争いと自己顕示の場になっている。何の得があろうか。

図書館や体育館など、共通の施設の写真は載せられているが、受験生や父兄に必要な情報は、むしろ外食産業など、大学周辺の生活の便、近隣のアパートの家賃水準、学食の質、課外活動(部やサークル)の種類、卒業生の就職先、大学院への進学実績などであろう。女子学生にとっては、トイレの清潔度なども重要である。

 

小難しい文章だらけの「学術的」な大学案内は、誰も手に取って読まない、と県内や近県の高校から毎年、注意と苦情が寄せられていたが、「学問に興味を持たない者は受験しないで良い」などと、大学側は強気であった。結局、大学案内を作成する、という仕事自体が無意味になっている。大学人の多くは、受験勉強で国語力を鍛えていたと思われるが、少なくとも情報発信能力の鍛錬として、これは役に立たっていない。

 

30年を経て、18歳人口の低下により受験生の確保が難しくなり、ようやく大学案内は多少改善された。その頃にはホームページの方が、ずっと重要な広報の手段となっていたが・・・

 

 

 

RSTによる国語試験の提案

 

最近は現代国語の入学試験問題に疑問を呈する発言が、昔より頻繁に聞かれるようになった。しかし、明確に書いていない著者の真意を問うという姿勢が変わらない限り、この問題はきりがない。 

 

私は、RSTの調査結果が圧力となり、日本の国語教育の抜本的な見直しに繋がることを期待している。 

RSTを入社試験に利用する企業も出ているそうであるが、高校や大学の入学試験での使用も、十分に検討に値する。内容までは覚えていないが、私が受験した際の入試問題は、実際にRSTの問題に近かったような気がする。

 

この程度の問題ではほとんど点差が付かず、入学試験に課す意味が無い、という意見が、難関大学からは聞こえてきそうである。しかし、それで良いのではないか。点差をつけたければ、個々の問題は容易であっても、量を増やし、短時間に情報を整理する能力を見るなど、色々と工夫できる余地がある。

 

現実にRSTの正答率がここまで低ければ、正しい情報伝達を教育目標にはっきり掲げ、底上げをする必要がある。例えばセンターテストでこれを実施することは、一つの方法である。

 

 

 

文学の国から脱却せよ、と言っているのではない。入学試験は情報を正しく伝える国語教育に徹し、文学については、音楽や美術と同様に扱っても良いのではないか。

音楽も美術も、入試科目には無いが、日本は高い水準にある。それによって、日本の言葉の文化が後退することは、決して無い。

 

そして私の予想では、社会での無用な摩擦も、相当に軽減されるであろう。

 

 

 

 

 

 

2018年9月7日

 

 

 

ひと口笑い話: 諺を良く考えよう12

  

  ?  「心頭滅却すれば火もまた涼し」

 

  〇  「神経滅却すれば・・・」

 

 

   小学生のとき、学校で習ったのは後者だと、カメが主張していました・・・