浦島太郎の随想

物理屋の妄想タイム

~記事へのコメントは歓迎です~

ガラパゴス列島の受験社会Ⅲ

 

前回の記事では、現在多くの国々で、若い人々を評価する共通基準として学業成績が使われていると書いた。

 

日本の社会では、しばしば「学歴信仰」などという表現まで使われているが、これは「人間の社会は神話によって形成されている」というユヴァル・ハラリの主張を裏付けるものかもしれない。

 

現在これは国内だけの承認にとどまらず、アカデミック・キャリアとして、国際社会での相互承認のレベルにまで発展・確立されている。

 

 

社会制度化された学歴

 

私の在職時代の話である。私はその年、学科長を初めて務め、初仕事として成績不振者への対応に追われていた。

 

早急に対応しなければならないのは、卒業研究のための研究室配属が見送られた4年生である。父兄に連絡を取り、卒業が少なくとも1年遅れることを、通知せねばならない。

 

その中の一人に、在籍年数を限度まで延長しても、卒業そのものがもはや難しいと判断される学生がいた。すでに前任の学科長が対応すべきだったケースである。授業料のみを搾り取り続ける詐欺行為になってはいけない。私は父兄を呼び出し、退学を勧めるとともに、就活の援助を申し出た。

 

彼は郷里である地方都市の実家に近い、小さな会社に就職が内定した。バブル初期、求人難の時代である。中退とはいえ、国立大学に合格した人材を採用できることに社長は喜び、推薦状を書いた私に、丁重にお礼の品までお送りいただいた。私は、公的には出せないものの、個人として精一杯の推薦状を書いていた。

 

その後、私は人事担当者から電話で、大学として彼に短大卒程度の資格を出せないものか、との相談を受けた。会社としては彼を高卒以上、大卒未満の扱いで採りたいが、組合を納得させられるものが必要、というのである。

 

そのようなことはできるはずも無い。私は困り果てた。大卒の組合員ではなく、非大卒の組合員が納得しないとのことである。これは私の理解を超えていたが・・・いずれにしろそのとき私は、学歴は制度の1つとして、社会に組み込まれていることを、初めて自覚した。

 

 

学業を評価基準にすると言っても、これはたやすい作業ではない。異なる地域、異なる学校での学業成績は、直接の比較ができない。採用する側では何らかの基準を、あらかじめ合意しておく必要がある。

 

その結果、高校、大学、大学院・・・などの「最終学歴」でまず判断することになる。そして最終学歴によって賃金体系が異なることを、労働組合は了承する。法律もこれを差別とは見做さない。

 

こうして、最終学歴は多くの国々で、組織内の序列とは独立した基準として、社会制度の一部に組み込まれて行ったのだろう。

 

 

ちなみに、このとき私は、会社の人事部に再び個人としての所見を書き送った。学科の専門性は理系全体の中ではやや特殊であり、本人はこれに適さなかったものの、社会人として十分な見識と能力を有すると判断される、などと書いたように記憶する。これをもとに、組合との折衝はそれなりに進められたそうである。このような扱いは、今では難しくなっているかもしれないが。

 

両親は息子の地元での就職を大層喜び、その後何年にもわたり、年の瀬には地元の名産品をお送りいただいた。

 

 

就職難と学歴信仰

 

相互に承認され、社会制度に組み込まれた学歴主義は、すでに戦前から始まっていたが、戦後はこれが非常な高まりを見せて来た。

 

実際、日本人の学歴信仰の強さは、世界に類がない。第2次大戦の敗戦によって、国を導いた多くの学歴エリートは国民の信頼を失ったと思うが、人々の信仰は揺るがなかった。このメカニズムは、人造ダイヤの出現の場合と同様に不思議である。

 

ただ異常な高まりは、戦後間もなくの昭和前期から中期までの期間に起こり、ここに大きな要因として、就職難があったことは間違いない。理工系に人気が集中し、学費の安い国立大は難関であった(私の在学当時は国立大学の授業料は月額1000円だった)。戦後の飢餓状態の記憶が生々しい当時の人々にとって、進学は経済的安定のためであり、製造業を中心とする経済復興が理工系ブームを牽引した。

 

私は団塊の世代に属するが、確かに関東では、国立大やメジャーな私立大の理系の就職は非常に良かった。当時は大学院進学者はまだ少数であり、大半が学部を卒業すると企業に就職した。完全な売り手市場であり、殆どの学生の就職活動は、卒研の教官に希望の企業名を告げるだけであった。

 

私より少し上の世代では、4年生になって会社訪問などすれば、酒池肉林の接待を受け、帰り際にはポケットに現金入りの封筒が捻じ込まれたそうである。10万円が相場であり、夏休みにこれで数百万円を稼いだ学生がいたと聞く。当時の物価では(恐らく今でも)学生に不相応な額であり、教育上も好ましくないので、私たちの頃には大学・企業間の申し合わせで、この習慣は無くなっていた。

 

ちなみに、当時はまだ関東と関西で、進学熱に差異が見られたように思う。関東では戦前からのヒステリシスで、学歴をステータスと見做す傾向が強く、これが受験過熱を後押ししていた。一方関西では、権威に背を向ける気質が根底にあり、また大企業への就職より個人ビジネスを評価する風土があって、関東ほど学歴重視でなかったように見える。

 

 

共通一次試験の導入

 

国立を中心とする高い理系人気はしばらく続いたが、私が大学を卒業するころから、受験界に大きな変化が起こり始めた。高度成長が本格的に軌道に乗り始めた頃である。

 

当時、大学受験者数は私たちの世代をピークとして、次第に18歳人口に比例して減少し、数年後に私立大学の多くは経営危機に陥る、と誰もが予想していた。予備校なども、すでに閉校の準備を始めていると噂されていたが・・・

 

その予想は大きく外れた。

 

国民所得が上昇したためか、進学率が大きく上昇し、大学受験者数は増加し続けたのである。進学熱は増々高まりを見せ、文部省は受け皿として、既存の私立大学の定員増と規模拡大、さらに新しい私立大学の新設を次々に認可した。予備校は閉校どころか、首都圏の大手は全国規模に展開し、さらに新しいものが雨後の筍の如く、続々と生まれた。

 

 

そしてこの頃、大学入試そのものに、大きな変化があった。共通1次試験と呼ばれるマークシート方式の全国一斉試験が導入され、国立大学の入試は大きく様変わりしたのである。

 

文部省は当初、国立大学の入試をすべてこれに統一する方向を示したが、主要大学はこれに強く反発して押し返し、その結果、従来通りの入試を2次試験で行う2段階の選抜方式となった。それまで2段階選抜の入試を行っていたのは、ごく一部に限られていたが、それがすべての国立大学に拡大された形になった。

 

共通一次の試験科目は英・数・国に加えて理科2科目・社会2科目であり、全ての国立大学で、受験生は勉強する科目数が増えることになった。試験問題は平易だったとはいえ、これは(少なくとも心理的には)国立大学を受験する場合の負担を増大させ、その後じわじわと、受験生を私立大学へ向かわせる流れを作った。

 

 

囁かれる共通一次の真の目的

 

共通一次試験は、大学の入試問題に難問・奇問が多いとの社会的批判に応える形で、「入試地獄を緩和する」という名目で導入されている。しかし科目数の増加や2段階選抜など、実際には受験生の負担は以前にも増して重くなり、入試地獄はさらに苛酷になった。

 

共通一次試験は、本当にそのような目的で導入されたのか?

 

当時、国立大学関係者の多くは、これを文部省の私学振興策と受け止めていた。この説は、当時は(まだ学生であった)私の知るところではなかったが、その後かなりの時を経て私が教員の一人となったとき、根強く語り継がれていたこの話を聞いた。

 

大学内では、文部省と直接の折衝を行う学長ら執行部の人々から、一般には報道されない種々の情報や、彼らの個人的な感触が漏れ伝えられる。この解釈はその中で生まれたものであり、背景として文部官僚には当時、省庁として例外的に私大出身者が多かったという事情があった。

 

文部省はすべての国立大学を共通一次に強制参加させたが、私学にはこれを強制していない。事実、殆どの私立大学は不参加であった。国立大学に対しては、「難問・奇問のない標準的な入試問題」による入試の統一を目論んだが、これについては大学だけでなく他の省庁(とくに当時の大蔵省)の怒りを買い、文部省は諦めざるを得なかったという。

 

共通一次試験はまた、天下り先を持たなかった文部省が、その新規開拓を図った施策とも囁かれている。事実、共通一次試験の問題作成、印刷、実施、採点などの業務を司る大学入試センターは、多くの職員を抱える巨大な組織となり、後に多くの関連組織・関連企業を作り出す出発点となった。

 

真偽のほどはともかくとして、これほどの巨大組織を潰して共通テストを廃止することは、もはや不可能である。文部省は批判が出る度に名称を変え、実質を変えずにこれを継続した。これは今後も、末永く続くであろう。

 

 

連動した授業料値上げ

 

文部省はさらに、ほぼ無料に等しかった国立大の授業料を段階的に値上げし、やがて私立大学の半分程度に達する額まで引き上げた。これも国立大学関係者は、国立大学の優位性を削ぐための連動した政策と受け止めている。

 

これについて文部省は「学費負担の不公平を是正する」と説明し、これは好感をもって国民に受け入れられた。当時すでに、学生数において国立大学の割合は10%程度に低下しており、「教育の機会均等を損なう」との反対の声は搔き消された。

 

国立大学の無料化は、その後何度も議論されてきたが、文部省は今でも同じ説明を繰り返している。そして日本は、教育格差社会への道を、確実に進んで来た。

 

 

共通一次導入と教育格差社会の関連については、次回にもう少し詳しく考えてみたい。

 

(続く)

 

 

ガラパゴス列島の受験社会 Ⅱ

前回の記事ではダイヤモンドを例として、人間社会で一度定着した価値観は根強く継承されると書いた。そして日本の社会においては、江戸時代から学歴の価値が継承され続けていると書いたが、これらは、いずれも本質的に同じ現象なのだろうか?

 

 

人造ダイヤと天然ダイヤ

 

ダイヤモンドについて私が不思議に感じるのは、人工ダイヤが比較的簡単に作れるようになっても、天然ダイヤの値崩れが起こらなかったことである。これはルビーなど、他の宝石についても言える。

 

「天然のものとは輝きが違う」など、多くの理由が語られているが、私はあまり信用していない。そのような物理的な理由ではなく、ビジネスを守りたい人々が暗躍した結果ではないか・・・と、考えてしまう。

 

人造ダイヤが夢物語だった頃、その作成技術の完成や争奪戦は、しばしばスパイ映画の題材にまでなっていた。

 

しかし、いざ出来てしまうと、全く拍子抜けである。色合いを決める微量な不純物のコントロール、光の反射を左右する面欠陥の導入など、宝石としての品質向上には、誰も関心を示さなかった。科学技術に従事する人にとっては、単に「炭素を固めたもの」だからなのか・・・

 

ダイヤは単に硬いだけではなく、多くの点で工業的に利用価値がある。その方向では結晶成長の技術などを駆使して、今でも様々な発展が続いている。

 

 

貨幣の価値は何を意味するか

 

ユヴァル・ハラリの「サピエンス全史」の文脈において、社会の形成に直接的に重要な役割を果たすのは、ダイヤモンドではなく貨幣である。

 

貨幣は、ダイヤや金(Gold)のように、天然に存在している物質ではなく、人間が作り出したものである。

 

多くの古代王朝において、金は貨幣の役割を果たしていたようなので、その後に流通している貨幣はいわば人造の金である。

 

ダイヤの場合、人々は本物の人造品(言葉に矛盾があるが)でも価値を認めなかったが、金の場合には、本物と全く異なる代替品を承認してしまった。

 

そもそも、貨幣はなぜ必要だったのか?

 

私が素朴に考えるに、貨幣は、社会的必要度を定量化する手段として、導入されたのだろう。あらゆるものの必要度に順位をつけ、さらに順位だけではなく、これを値を持つものとして定量化する。そして異なる種類のものでも、必要度を比較できるようにする。もちろん、需要と供給の変化による価格変動などを考え出すと、話は単純ではないが・・・

 

人間にとっての必要度を「価値」の定義とするなら、貨幣は必ずしもハラリ氏の主張するような相互承認された神話ではなく、記録媒体の役割を持っている。電子マネーになれば、紙でなく電子媒体に記録される。紙幣はただの紙切れであるから価値は無い、という主張は成り立たない。

 

 

序列を気にするサピエンス

 

あらゆるものの必要度を定量化する、と書いたが、人間の必要度の場合はどうであろうか?

 

古代の社会には人々の間に必ず序列があり、精密な定量化でなくても、官位などによって順序付けられ、ディジタルに価値を定められていた。同じ官位でも給与額に差があれば、より精密に定量化されていたと言えるだろう。現代においても、あらゆる組織に職制上の序列がある。

 

「サピエンス全史」によると、このような序列が生まれるのは人間社会の必然ということらしい。序列を相互承認することによって、組織に秩序が生まれ、意思決定を円滑にする。私の理解が正しければ、これは、古代・現代のみならず、未来でも継続する性質のものなのだろう。

 

しかし現代社会は肥大し、複雑化したことで、序列は混沌とした。国家には国民が等しく属するが、士農工商などという簡単な区分に収まっているわけではない。職業上の組織は数が膨大であり、組織を離れた一般社会においては、個人間の序列は決められていない。

 

少なくとも現代では、組織を離れた一般社会において序列は必要ないと思われるが・・・それでも霊長類の遺伝的宿命なのか、組織を離れても、互いの序列を気にする人々がいる。これは漠然としたものにしかならないが、気にする人々は、これを精密に定量化したがる。

 

が、その尺度について、合意を形成することは難しい。それぞれの組織内での序列は参考にはなるが、一般社会においては、それ以外の共通性のある基準が必要だ。

 

身長、収入、IQ・・・  などは共通性があり、定量化も可能だが、合意される可能性はないだろう。品格・・・は漠然としすぎており、客観的に定量化できない。

 

社会に対する貢献度は、多くの人が納得する基準かもしれない。しかしこれは、少なくとも同一の組織内でなければ、定量化が難しい。そして、まだ社会貢献を始めていない若い人々の場合は、潜在的な貢献度を何らかの方法で測らなければいけない。

 

若い人々は評価の対象から除外すれば良いのだが、企業の採用や男女のパートナー選びでは、そうも行かない。

 

若い人々の場合、将来の可能性とある程度の実績と言う意味で、学業成績は一定の基準となり得る。異なる組織の間でも共通性があり、点数化されるので定量的である。またIQと異なり一定の努力を要するので、意欲や社会人としての適性も含み、一応の安心感がある。

 

これらの理由から、現在では学業成績は若い人々を評価する共通基準として、どの国々でも一定の範囲で相互承認され、継承されている感がある。貨幣の相互承認のレベルには届かないが、とくに日本の社会ではその傾向が強い。

 

 

 

蛇足

 

男女のパートナー選びにおいて、価値基準の相互承認が必要・・・と書いたが、

 

生物に性別がある理由として、進化を加速するためという説があるそうだ。

 

現実に雌雄同体の生物もあり、昆虫などは時期によって有性生殖となったり無性生殖となったりする場合があると聞く。

 

もちろん、無性生殖では単に同一の遺伝子が再生産されるだけで、進化は突然変異だけが頼りの緩慢なものになる。2つの遺伝子の組み合わせによって、次世代の遺伝子の多様性が確保され、進化が加速される。

 

しかし高等動物の場合には、性別があることによって、さらに生物種としての意思が反映された、別次元の進化が可能になるそうだ。

 

例えば孔雀の場合、オスの羽根は美しく、大きく進化している。しかし最初はオスの羽根も小さく、貧弱だったそうだ。メスが美しい羽根を求めたために、その形質に優れたオスが子孫を残す確率が上がり、現在の方向に短期間に進化した、というのである。

 

孔雀の羽根の場合、大きさや美しさが種の生存・繁栄にどのような効果があるのか知らないが、一般に生物種は、種内で共通の評価基準を模索し、生存に有利な遺伝子を残す戦略をとっているのかもしれない。だとすれば、序列の発生はサピエンスに特有な話ではなく、さらに根が深いことになる。

 

(続く)

 

 

ガラパゴス列島の受験社会 Ⅰ

 

ユヴァル・ハラリの歴史観

 

ユヴァル・ハラリの「サピエンス全史」は世界的なベストセラーである。私もテレビ番組での断片的な紹介によって、内容を一部だけ知っていた。そして、サロンメンバーの一人がその漫画ヴァージョン(上下2巻)を持って来てくれたので、この正月に読んでみた。

 

私は文系学問の素養に乏しいので、このような話になると、どうしても独断と偏見による解釈となってしまうが・・・以下は、私の理解した範囲の紹介である。

 

ハラリ氏によると、人間の社会は古代から現代に至るまで、神話(作られた話)によって保たれているそうである。必ずしも根拠のない様々な価値を、大多数の人々が信ずることによって、人間社会は集団として機能することができる。この信仰が失われた場合、例えば貨幣の価値を人々が認めなくなった場合は、経済システムは崩壊する。また法令や道徳の正当性を人々が認めなくなれば、人間は互いの協力関係を築くことが出来ず、社会は成り立たない。

 

法令の正当性や貨幣の価値を保証する枠組みである国家、あるいは経済活動を担う企業といった組織は、具体的な実体ではなく、互いの承認によってのみ成立している想像上の機構である。これはつまり、古代人の社会形成を促進した神話の相互承認、それによる価値の共有と同類である、とハラリ氏は主張する。

 

 

ある大河ドラマ

 

江戸時代の日本は長期の鎖国によってガラパゴス化し、独特の価値観と文化を育んでいた。この社会は、明治維新と第2次大戦の敗戦という2度の大きな事変によって、価値観の大きな変化を経験し、大きな変容を遂げた・・・と私は教えられてきたが・・・

 

帰国して暫く経つうちに、私は「日本の社会は、実は江戸時代から余り変わっていないのではないか?」という思いが、次第に強くなってきた。外国帰りにとって、そのように感じさせる経験が、余りに多かったのである。

 

ハラリ氏の指摘が正しければ、人々の価値観が変われば社会も変容するはずである。変容していないのは、価値観そのものがあまり変わっていないからなのかもしれない。

 

実は、今から50年ほど前に、この点を見事に風刺したNHK大河ドラマがあった。確か「男は度胸」というタイトルだったと記憶する。

 

そのころは、「昭和元禄」という自嘲気味な言葉が盛んに使われていた。経済が栄えた結果、文化が成熟から退廃に向かい始めた江戸時代の元禄年間に、高度成長によって人々が豊かさを感じ始めた昭和の中・後期を重ねた流行語である。ドラマは江戸を舞台として、無能な官僚機構、官・民の癒着、そして内容の空虚な官吏登用試験やそれに血道を上げる寺子屋の受験教育など、昭和元禄の世相を鏡のように映し出すシーンを満載し、大いに視聴率を稼いだ。

 

残念ながら、このドラマは再放送されたことが一度もない。当時は録画を保管していなかったので・・・とNHKは言っているが、果たして本当か・・・

 

 

価値を継承する者、否定する者

 

ユヴァル・ハラリの指摘する通り、価値観の共有が人間社会を形成するのであれば、その価値観に従って、人々はどのように行動するのか?

 

当然ながら、その社会において価値が高いと見做されるものを欲するであろう。それは物質的な価値の場合も、精神的な価値の場合もある。

 

私は江戸時代についての知識は殆ど持たないが、少なくとも私が(親類縁者を通じて)間接的に知る大正時代から、直接的に知る現在に至るまで、100年以上の長きに渡り、日本の社会では一貫して、「学歴」に高い価値が与えられてきた。これは本質的に精神的な価値感に基づくと思われるが、精神的な価値であっても、それに従って社会が整ってくると、物質的な価値と関連性が生じる。古代の聖職者が超富裕層であり、特権階級であったことに似ている。

 

どのような種類の価値であれ、それを得た者は、社会がその価値を永続的に認めることを欲する。全員とは言えないが、価値を継承する人々の多くは、そのような人々である。

 

価値を手にする者が少なければ、継承者の数は多くならない。したがって、継承者は少数でその価値を守らなければならない・・・ように見えるが、実際はそうでない。多くの人々は、一部の人々が寡占する価値を否定するのではなく、むしろそれを得るための行動をとる。つまり価値の継承には、それを得た者のみならず、多数の人々が参加する。そして、手にする者が増えれば価値は相対的に減少するので、継承者はむしろ、それを警戒する。

 

例えば、「ダイヤモンドなど炭素の塊で石炭と変わらない、もっと綺麗な、色の付いた宝石がいくらでもあるぞ」と誰かが言い出し、多くの人が「そう言えば、そうだな・・・」と考え始めれば・・・鉱山の採掘権を持つ企業にとっては、死活問題であろう。しかし実際に、そのように考える人々は少ない。

 

ダイヤが炭素の塊に過ぎないことは、誰でも知っている。が、殆どの人々は、その価値に異を唱えない。それは、今までその価値が社会で認められてきており、それが今後も(少なくとも当分は)続くと考えるからである。自分が小さな石をはめ込んだ指輪でも持っていれば、なおさらであり、価値の低下は望まない。

 

私などはダイヤの価値に否定的であり、上の観点からすれば例外と言えるが・・・

その私にしても、上のような意見を声を大にして表明する訳ではない。むしろ経済的に余裕があれば、オトメにネックレスを買ってやりたい、などと思うかもしれない。誰かが大きめのダイヤをくれると言えば、喜んで頂くであろう。

 

ただ私の場合、大きいダイヤを頂くのは、換金できることが前提である。「宝石にして自分の身に付けるだけで、売ったり何かと交換してはいけない」と言われたら、私には何も使い道がなく、辞退するだろう。「君の奥さんが身に付けるのは構わない」と言われても、あまり魅力を感じない。オトメには大変申し訳ないが、彼女が特別に豪華なダイヤを身に付けても、貧相な私が隣に並んでいれば、人々は本物と思わないだろう。宝石に見合った服を彼女に購入するのも、私には負担が大きい。

 

もちろん、辞退したと知れば彼女は怒るであろう。むしろ無理をしてでも高級な服を揃え・・・私が隣に立たないことを望むかもしれない。

 

いったん社会に定着した価値観は強固であり、時に不幸を呼び込む。

 

(続く)

諺を良く考えよう18

 

 

        「我が身をつねって人の痛さを知れ」

 

 

      タロー: 痛い!! 何するんだ!?

 

      オトメ: あなたの代わりに つねってあげたの。

 

 

諺を良く考えよう 17

 

             「門前の小僧 習わぬ経を読む」

 

 

       オトメ:  これ、どういう話なの?

 

       タロー:  うん・・・例えば・・・

               教育には環境が大切、というような教訓だね

 

       オトメ:   凄い!ちゃんと 意味を解って読めるのね!

 

       タロー:  あ、 いや ・・・ それは・・・ 違うだろうな

 

       オトメ:   でも、読むようになったんだから、

            難しい漢字は読めるのよね?

 

       タロー:   ・・・いや、それも  たぶん・・・

              その・・・お経の場合、読むというのは 必ずしも・・・

 

       オトメ: え~!? 字も読めてないし、意味も解ってないの?

             「教育には環境が大切」っていう話なんでしょ?

 

       タロー: いや・・・だから その 必ずしも  教育だけじゃなくて ・・・

               環境が及ぼす 色々な影響に・・・

 

 

 

ペラペラ喋るとトラブルを招く?(後編)

トラブルに巻き込まれた体験ではないが・・・私の思い出話である。
 
そのままでは教壇に立てない
英国の大学に研究員として採用されてから、少しずつ英語の生活に慣れはじめてきた時期だった。その頃、日本の大学は物理学、とりわけ理論分野の過飽和状態が続いており、私は海外でキャリアを築く道を考えはじめていた。そしてそのためには、軽妙なユーモア程度はこなせるレベルの、社会に溶け込める英語力が必要と考えていた。
つまり、前編の記事で紹介したゲストの忠告には背く方向である。当時私は、なるべくネイティヴに近づく努力が必要と思っていた。
その頃、カナダの大学の教授が、私の勤める物理教室に、ゲストとして2か月ほど滞在した。私はこの先生と親しくなり、ある日、自分の英語が北米の研究機関で仕事を得るのに十分であるかを、率直に尋ねた。
彼は私の質問に率直に応じ、「そのままでは北米大陸で教壇に立つことは難しい」と厳しい判定を下した。「私は君の言葉を補いながら聞くことができるが、専門知識の乏しい学生では、聞き取れない部分が多く難しいだろう」とのことだった。
私はややショックを受け、詳しく問題点を尋ねると、語彙は十分であり、言葉の構成にも問題はないが、発音、とくに子音の発音に問題がある(弱すぎる)、と指摘された。私は(日本の学校教育にしたがって)母音の発音には気を使っていたが、このとき初めて、子音の方がずっと重要であることを知った。
彼は英国出身で、典型的なブリティッシュ・イングリッシュだったが、このとき一つだけ、会話の中で私が口にした clothes [klouðz] の発音を例にとり、正しい発音を丁寧に教えてくれた。
これは私にとって、高校生の頃から不思議な単語だった。今のようにネットで検索すれば、すぐに音を確かめられるという時代ではない。発音記号を見ても、良く似た子音が連続することを理解できず、自己流に母音を足して [klouðiz] とやっていた。それも「ð」の音が不正確で、ほとんど [klouziz] になっていた・・・
正しくは、[klou] まで発音した後、舌の先を前歯で軽く噛み、「ð」の音を出す。このとき、音が弱くならないように息をしっかり継続し、そこから、舌を少しずつ引っ込め、最後は「z」の音に持って行く。cloth の複数形の cloths [klouθs]も、濁音を清音に変えるだけで、同じようにする。
「うん、そうだ、それで良い!」と言われても、私は自分で発している音にもかかわらず、自分の耳で「ð」と「z」、「θ」と「s」の区別がほとんど出来なかった。この程度の音の差で区別するとは・・・
後でこの練習を自分で何度も繰り返し、私は舌の感覚を殆ど失った。この時は本当に、「英国の食事の不味さはこの発音によって舌をダメにしたからだ」という大陸ヨーロッパ人の説は、全く正しいと感じた。
考えてみると、日本語の「行かない?」と「行かない」や、「ううん」と「うん」などの区別も、外国人にとっては超絶難解であろう。
私はネイティヴに近づく難しさを実感すると同時に、私がしばしば人々に聞き返されるのに対して、呆れるほど滅茶苦茶な英語を話す留学生が、なぜ一度で通じるのか、ようやく理解した。彼らは語順も前置詞も、単数も複数も、時制すらも出鱈目であるが、子音はしっかりしていたのだ。
 
本当は君の英語の方が・・・
それから10数年の歳月が流れ、私は日本で教授職を得てから、彼の研究室にゲストとして長期滞在する機会を得た。海外での職探しはもう必要なくなっていたが、私はその時までに、英国でも授業を担当して経験を積み、自分なりにも発音を改善してきたつもりだったので、再び診断してもらうと、
 「 発音? そう言えば君は昔、 [klouziz] ・・・なんて言ってたな(笑)。
  今は別に問題ないよ。私と毎日、普通に話しているじゃないか 」
と言われ、多少は苦労した甲斐があったのか・・・と、少し安心した。が、続けて
 「発音以外では? たぶん、表現上の間違いも色々あると思いますが・・・」
と尋ねると、少し困った顔をして、
 「 うん・・・時々、私たちの英語とは少し違う表現があるんだが・・・
  後で良く考えて見ると、そういう時はいつも、君の喋っている英語の方が
  正しいんだな・・・私たちの方が、いいかげんな言い方なんだ・・・ 」
安堵したのも束の間、私は冷汗をかき始めた。これはきっと・・・「大きな御世話でした」は良く考えれば、正しいお礼の言葉である・・・などということを言っているのではないか?そういうことを、私は今まで頻繁にやっていたのか・・・
今後の改善のために、ぜひ 2,3例を教えて欲しい・・・これまでにどのような表現があったのか?と尋ねると、彼は驚いたことに、
 「改善? いや、変える必要はないよ・・・正しい言い方だから・・・
  というより、変えない方がいいよ。それは君らしい表現だから・・・
  断言するけれど、間違いなくそれで通じるから・・・
  君が話すのを聞いて、微笑む人はいても、怒る人や笑う人はいないから・・・
  さっきから言っているように、本当は君の英語の方が正しいんだから・・・ 」
と、頑なに答えを拒み、1つの例すら示してくれない。私は「微笑まれては困る・・・」と内心、焦るものの、それ以上の言葉はどうしても、彼から引き出せなかった。
 
異邦人の心得
彼の言っていたことは、前回の記事の冒頭に紹介した番組のゲストと同じなのだろう。外国人が過度に会話能力を追求すると、必ずしも良い結果にならない・・・
確かに、巧みな会話術というのは、母国語においてすら、少し方向を誤ると「育ち」を疑わせ、信頼感を損なう危険性がある。
外国人であればこそ、可愛げのある間違い、あるいは、その人なりの気遣いや礼節の表れとして、人々に受け入れられる表現もあるのだろう。そのようなものは、むしろ良好な人間関係や信頼感につながり、無理に変える必要が無いということなのか。
実は、「本当は君の英語の方が・・・」と言われた時、少し思い当る節があった。とくに日常的な会話においてであるが、場に相応しいかどうか、誤解の余地がないか・・・など、確信が持てないとき、私は回りくどい言い方になっても、確実に伝えることを優先していた。そのようにして、誤解をできるだけ回避することが、私の習慣になっていた。
その場合、私の言葉は、人々の耳にどのように響いているのか?
それを確かめたかったのだが・・・彼のメッセージは、「それは正しい方向であり、姿勢を崩してはいけない」という警告だったようだ。
社会に溶けこむためには、無理に背伸びをせず、人々の信頼を第一とする。
異邦人として暮らす者の、最も大切な心得かもしれない。そう思って見回すと、前回の記事で紹介した一流と言われるような人々も、同じ構えのように見える。
彼自身、非英語圏の大学に勤めた経験があった。また世界の各地から多くの学生やポスドク、ゲストを受け入れてきたので、その大切さを良く知っていたのだろう。
 
しかしながら・・・
ただ私自身は、「通じれば良い」ではなく、自分の英語をもう少し洗練させたいと、今でも密かに抵抗を続けている。無理のない範囲でだが、やはりそのような努力も、継続した方が良いように思っている。
日本語の達者な知識人として来日し、日本の社会で丁重に扱われてきた人々は、これまでにかなりの数に達している。しかし、これは私の個人的な印象であるが、昔から日本の社会で暮らしながら、言葉の上達が初歩的な段階で止まっている、と感じられる人々が、最近は目立つようになってきた。
日本語の達者な外国人が珍しくなくなった現在、このような人々は、かつての信頼感を失いつつあるように見える。いつまでも言葉が未熟なまま辛口のコメントを発信することが、敬意を欠いた態度と映る場合もあるのか、そのような人々は、マスコミへの露出が急速に減っている。言葉を絶えず向上させる努力は、現代の社会では、信用の必須要素でもあるのだろう。
それに、あまり考えたくないことだが、私の場合、カナダの先生が1つも例を示さなかったのは、彼の頭をよぎった例が余りにもまずいケースばかりだった・・・という可能性もあるので。
(完)

ペラペラ喋るとトラブルを招く?(前編)

私が帰国した頃、日本では国をあげて「国際化」の掛け声が大きくなっていた。「国際〇〇大学」という名前の大学や、国際の文字を冠した学部・学科が次々と作られていた。内容は全く変わらずに、ただ名前を変えただけの場合も多かったが・・・
当然、英語熱も高まりを見せ、「日本人はどのようにして英語の会話能力を高めて行けばよいか」を外国人のゲストに問う、という企画の番組があった。
そのようなことを聞かれても、ゲストの方々も困ると思うのだが・・・その中に、「ネイティヴの人と同じようになろうと思わない方がよい、ペラペラと流暢にしゃべると、却ってトラブルを招きますよ」と忠告する人がいた。
「流暢に話せるようになるにはどうしたら良いか」をテーマとする番組だったため、司会者は大いに困っていた。
 
語学力に含まれるもの
この忠告の意味は、なかなか理解されないかもしれない。
言葉を身に付けるプロセスは、個人の人格形成の過程と切り離せない。これは、母国語の場合は当然であるが、第2の言葉として外国語を身に付ける場合にも、かなり当てはまる。
人は、異なる社会では、社会道徳も十分にわきまえていない子供に等しい。もちろん全面的にではないが、外国では、自分の成長過程を1からやり直す、くらいに構えておくことも必要と言える。
そして、ここが海外生活の厳しいところであるが、言葉が未熟でも大人であるので、自分の発言に責任を持たなければならない。このとき、それまでの「育ち」が大きく影響する。
どの国でも人々は外国人に対して、子供に接すると同様に、言葉の習熟度を考慮して人間性を判断する。例を挙げれば、日本でしばらく暮らした外国人が、世話になった人々に深々と頭を下げ、「大きな御世話でした」と言ったとしよう(実際にあった話であるが)。
このとき人々は、表情や態度から真意を察する。このような場合は、発する言葉そのものより、態度の誠実さが大切で、余計なパフォーマンスは、正しく評価されないリスクを伴う。
 
国際的な知識人の英語
実際に、国際社会で活躍してる非ネイティヴの人々の英語は、必ずしも流暢というわけではない。多少の訛りは誰にでも見られ、ところどころに語法的な誤りが含まれる場合も珍しくない。例えば、日本人なら誰も間違えない be interested in ~ を be interested with ~ などと言ってしまう人は多い。
しかしながら英国滞在中に、インタビュー番組などで、一流と言われる知識人や芸術家などの話を聞き、いつも感心していたことは、受け答えの的確さである。単純にして真実を突き、したがって常に分かりやすい。たとえ言い回しに誤りが含まれていても適切さがある。
そのまま文章にして出版できるような、しっかりした表現が共通する特徴で、くだけた話し方をする人は殆どいない。そのため、私には非常に参考になった。
表現に誤りが含まれていても、番組は通常、そのままの言葉を放送で流す。意味が伝わらない心配は無いのだろう。それも報道側の敬意の現れと感じられた。
日本で活動している外国籍の人々にも、同様の例が多く見受けられる。このような人々は、討論会の司会などを任されても、普通の日本人と同様に(多くはそれ以上に)的確にこなすことができる。それは語学力というより、専門分野の力量、そこで磨かれた人間力や視野の広さであり、それを知る人々の信頼と敬意が可能にしているものだろう。
ちなみに、くだけた話し方というのは、どうしても本質から離れた余計な情報や雑味が加わりやすい。そのため、話が分かりにくくなる傾向がある。また同時に、育ちの悪さが出やすいところでもあるので要注意である。くだけた話し方ができる語学力のレベルに達してきた時に、トラブルが発生しやすくなる。ゲストはそれを注意したのだ。
冗談なども、日本人の冗談はかなり「きつ目」で、人々の気分を損ねる危険性が高い。とくに「日本語の冗談の英訳」は避けた方が無難と思われる。
笑いは文化的な土壌に強く依存するので、「笑いに国境はない」とはいかない。